「人生は廻る輪のように」を読み終える。甥っ子がこの本を置いて行ってくれた理由はまだよく分からないが、確かにすばらしい本である。特に何とも納得のいかない人の死には一筋の光りを与えるものだし、死のあり方について考えさせられる思いだし、彼女の人の死に捧げる精神と活動は賞讃に値すると思います。
読むにあたって注意点は、キューブラー・ロスはユングやフロストといった、どちらかと言うと古いタイプの心理学を継承している精神科医である事(過去の心理学はどちらかと言うと宗教や哲学を補足するような物だと思います)。文章中に彼女の臨死体験や降霊体験が包み隠さず書かれていますが、彼女はその時代に流行ったであろうLSDや大麻等のドラッグの使用を書いていないのではと勘繰ってしまう部分も有り、写真に撮ったと言われる幽霊の下りも、写真を撮った事のある方なら「?」と思うのではないでしょうか。
ともあれ、読んでもらいたい本のひとつです。本に書かれてる病院での嫌な思いは僕にも嫌な記憶があります。ひとつは親父が癌だと分かった時、その医者は言葉を選ぶでも無く、しかも素っ気なく「手術しても3ヶ月も持ちませんけど、どうされます?」と言われた時の医者に対する嫌悪感と絶望感。もうひとつは僕の病気が悪化して今の大学病院で始めて診察を受けた日。完全予約制の病院とはいえ、その時は待合室は僕ひとり。まず第三診察室に迎え入れられた僕はやけに若い青年にあれこれ質問を受けた。恐らくは大学院生。暫く待合室で待たされた後に通された第一診察室は「教室か?」と思えるような広さ。その真ん中に座らされ、僕は10数人の白衣の学生の前で医者の診察を再び受けた。最悪の精神状態の中、僕は流石に殆ど喋れなかった。そういう事が何度か続いたがそれに抵抗する力も無く、大学側もこれ以上は・・・と思ったのだろう、ようやく普通の診療を受けさせてもらえるようになった。と思ったとたんに暫く言われ続けたのは入院すれば経過を見ながら治療出来る旨の誘導。勿論、断固断った。
良い医者とは必ずしも良い医療を提供する人でなく、患者の意思を尊重出来る医者なのだと思います。
長くなってしまいましたが。
今日は過日結婚した甥っ子が奥さんを連れてわざわざ挨拶に来てくれた。そこで、僕にはよくある事だがデジャブを見る。人間の脳味噌ってのはよく出来 てるのかそうでないのか分からないけど、記憶のブロックを都合良く繋ぎあわせてそれらしく見せる癖がある。心理学で言うところの「虚偽記憶(フォールス・ メモリー)」に近い物なんじゃないかと思う。
それにしても甥っ子は綺麗で礼儀正しい奥さんを見事にゲットしたものだ。
おめでとう。
Playing For Change Day 2012