その空間にアートをセットする。
どんなアートさんでも、なんとなく
置く前とそのあと、その空間の雰囲気は
がらっとかわる。
調和のとれたアートさんを置けば、
空間の拡がりや、あたたかみや、
ほっと剥がれる空気感も生まれる。
味わえる。
きっと、その空間のフゲーキンさんも
喜んでくれる、ような。
じゃ、何のどのアート?
ってなったとき、なんか微妙に力入ってしまったり、ってある気がする。
すごくよくわかる。
お金もかかることだし、失敗したら、とかよりその場に適ったものに、とか、
自分で決めたようでもなにか不安で
誰かに太鼓判押してほしい、というか。
でもでも…。
知ってる。
なにが大切か…
それはその空間を調整するって
そこに延長する意識。
決めて終わりじゃない。
飾って終わりじゃない。
その空間を整えるという意識のベースの延長にアートを選ぶ作業があったり、そしてアートが届くまでの意識が流れたり…、
しながら絶妙なタイミングでアートさんは時空から届けられる。
そのあとも交流は続く。
その空間をただただ、自分の内側でかんじる。
そこから感覚を掘り下げ、深めてく。
そこで味わう振動波そのもの。
その振動波と近い、リンクしてるような
アートをただ単純に選ぶ。
それだけ。
ほんとはすごくシンプル。
だけど、枝葉を削ぎ落としてかなきゃ、
根っこは見えないってことだけかもしれない。