禅語「掬水月在手」
「水を掬すれば月手に在り」と読み、茶道の掛軸としてよく掛けられる禅語です。
唐の時代、于良史作の漢詩『春山夜月』にあり、「掬水月在手 弄花満香衣」の語で禅の世界では使われます。
自分とかけ離れた、遠くにある美しいものとして月を見ているだけでは、そのものに気づくことは出来ない。水を掬うという働きかけがあって初めて、月は心の中に入って来て自分のものとして感じられる。
壁にぶつかって立ちすくなんでいたのでは状況は変わらない。
どうなるか分からないが行動を起こすことによって状況に変化が起こり、打開の道が開ける。
この禅語を読むと、自らの可能性を信じて、届くはずのない月に手を伸ばそうと歌う「インポッシブルドリーム」という曲が思い浮かばれます。
この曲は、ミュージカル「ラ・マンチャの男」の主題歌。
勝てるはずのない水車を敵に闘う男の話。恋人の女性は、酒場で働く娼婦ですが、ドン・キホーテにはレディに見えてしまう。
酒場で娼婦として働いていた女は、ドン・キホーテに淑女として、扱われたために、乙女心を宿すのですが、酒場の荒らくれ男たちに、元の娼婦のように扱われ、傷つくのです。「こんなに傷付くのなら娼婦のままで居させて欲しかった」と。
たとえ手の届かなくても、あの星に向かって、手を伸ばすのだ!そう歌って絶命するドン・キホーテの物語。
一つの動きが、人知の範囲を越えて動きを生む。
月を手に入れることは困難ですが、手に掬った水に映せば、不可能を可能にできる。
素敵な発想です。
昔は銅鏡に月を写し、鏡に生ずる水滴を集めて月の精を飲用するという行為があったそうです。宇宙の彼方の月と交わる方法だったのですね。