牧之瀬雅明/一陽来復・前向きな言葉を集めました。

未曾有の災禍で心身ともに疲弊しがち。前向きな言葉で人は生かされます。
少しでも暗い気持ちを明るくできれば本望です。

禅語「巌松無心風来吟」と『回向返照』(えこうへんしょう)

2021-10-19 14:45:38 | ポジティブ

禅語「巌松無心風来吟」

 

なんの意識も、狙いも、欲望もない、無心こそ、自然の姿。

無策無心こそ、美しい人の姿形である、という意味の禅語です。

 

そのまま読めば「巌松無心風来たって吟ず」です。

 

巌谷の松に風が吹き来て、松籟の音が、時には激しく、時には優しく梢々と響く様を表現しています。

風が吹けば梢を鳴らします。

 

 良い音を鳴らしてやろうと風が吹くわけでもなく

 

 良い音を鳴らそうと松が思う訳でもありません。

 

 自然法爾で思惑のない

 

 無策無心だからこそ美しい。

 

松は歌う意志があるわけではなく、風も歌わせようと吹いているわけではありません。

その場の機縁に応じているだけ。ただ自然に鳴っているのです。

 

松には、歌おうとか人に褒められようとかという、意識も作為もなく、風が吹いてくれば自ずから、ただ鳴るだけ。

これをそのまま人に置き換えれば、自然の働き、無作無心こそが美しい人間性を現すという意味になるのでしょう。

 

しかし、自然のまま、ありのままで生きるのは難しいことです。

誰もが他人の目で評価される自分を測り、一喜一憂する世界で生きているのだから。

自然こそ、本来のあるべき姿、有り様なのは知っているのですが、そこが思うようにならないから、今日もこうして生きているのです。

 

「神様は越えられない壁を与えない」

 

日曜劇場ドラマ「JIN―仁」の中で、「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉が何度も出てきました。

 

多くの人は、この言葉を「あきらめなければ必ず目的を達成できる」という意味で解釈したことでしょうが、実は神様は「辛いこと悲しいこと」という意味では、人に「越えられない試練」を与えます。

 

人間は限界のある存在ですから、何もかもを自力で乗り越えられるはずがありません。

 

たとえば重い病気の人を「神様は乗り越えられない試練を与えないから必ず治るよ」と励ますのは、はたして優しいことなのでしょうか。

病気が治るか治らないかは神様の領域のことで、人には分からないからです。

もし、この励まされ方をした人の病気が治らなかったら、その人は「やっぱり神様はいない」とか「神様は嘘つきだ」とか思って、絶望してしまわないでしょうか。

 

 「自分が悪いか、神様が自分を見捨ててしまったからだ」と自暴自棄になってしまいます。そう考えると、この励まし方は必ずしも優しくないということになります。

 

 すべての苦しみや悲しみを自分の力で越えられるなら、人間は神様を必要としません。

 

『回向返照』(えこうへんしょう)という禅語があります。

 

 人はその人生の中で

幾度となく壁にぶつかる事になります。

 

多くの人は壁にぶつかった時

どうするべきか?という答えを自分の外に求めます。

 

例えば、それは、賢人に助言を求めたり、占い師に相談してみたり。

しかし、人の助言は的確でないものも多くあります。

 

『回向返照』(えこうへんしょう)は外に答えを求めるのではなく、自分の内面を見つめなさいと教えています。

 

自分はどうしたいのか?

自分の内なる声に耳を傾ける

 

自分は自分をどう評価するのか?

他人から見た自分をよく見せることだけに執着していないか?

 

本来は、自分の人生なのだから、周りの目を気にしすぎることなく

 

もっと自由にワガママに生きてもいいのです。

 

誰のものでも無い、自分の人生なのですから

 

自分はどうしたいのか?

 

その声に素直に生きれば、人生はもっと素敵なものになります。

 

もちろん、回向返照の逆も、また有りです!

 

乗り越えられない壁にぶち当たったなら、ひとりで抱えずに、誰彼ともなく相談したり、話してみれば良いのです。

背負う荷物を軽くすることも時には必要です。

 

自分の内なる声が、きっと誰かに話して荷を軽くせよ!と仰ったのですから。



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