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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
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まなざしは、ゴールの先を見つめている。

みんな水の中 「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか

2021年08月04日 14時13分07秒 | 読書・文学


日本の文部科学省は、発達障害の児童の割合を6.5%程度と発表している。
当事者、グレイゾーンの人々、未診断者を合わせて、全人口の1割が発達障害者ではないかと考える。
ちなみに、発達障害は「発達凹凸:デコボコ」と言いかえたほうが良いという意見もある。
脳神経の発達が平均と異なり、能力のデコボコが生まれているのが発達障害とみなされるからだ。昔ながらの偉人伝などで、子供の頃は学校で落ちこぼれだったが、天才的な一面があり、大きな仕事を成し遂げる、などの逸話が語られる人々。彼らは発達障害者(だろうと言われている)人々だ。ただし、すべての発達障害者が天才肌なわけではない。その誤解が広まることで、自分の能力の「凸」を発見できず、「凹」に苦悩している人は、さらに苦しむことになってしまった。

私は初めはADHD(注意欠如・多動症)と診断された。
不注意優勢型、多動性ー衝動性優勢型、両方の特性を併せもった混合型に分類されていた。
その後、私はADHDとASD(自閉スペクトラム症)が併発していると診断されなおした。

解離型・孤立型・受動型・奇異型ASD

ADHDの診断基準としての「不注意」
・学業・仕事、または活動中に、しばしば綿密に注意することができない。または不注意な間違いをする(例;細部を見過ごしたり、見逃してしまう、作業が不正確である)
・課題または遊びの活動中に、注意を持続することが困難である。
(例;講義、会話、または長時間の読書に集中し続けることが難しい)
・直接話しかけられたときに、しばしば聞いてないように見える。
(例;心のどこか他所にあるように見える)
・しばしば指示に従えず、学業、用事、職場での義務をやり遂げることができない
(例:課題を始めるがすぐに集中できなくなる、または容易に脱線する)
・課題や活動を順序たてることがしばしば困難である
(例;一連の課題を遂行することが難しい、資料や持ち物を整理しておくことが難しい。
作業が乱雑でまもまりがない。時間の管理が苦手、締め切りを守れない)
・精神的努力の持続を要する課題に従事することをしばしば避ける、嫌う、またはいやいや行う
・課題や活動に必要なものをしばしば紛失してしまう。
・しばしば外的な刺激によってすぐ気が散ってしまう。
・しばしば日々の活動で忘れっぽい

ADHD者は交通事故に遭遇しやすい傾向にある。

元プロ野球選手のイチローがASD者かどうかという問題については、さまざまな憶測のみが語られているが、毎朝カレーライスを食べるという有名な発言は、いかにもそれらしいと感じさせる側面だ。不可解なTシャツを無数に集め、それらを着て人前に現れるという現役時代の挙動、引退記者会見などでの表情も、「やはり彼は仲間では?」と親愛の念を抱かせる。

なお、自分が発達障害者だと公表していない人を、そうでないかと推測することは、非難を呼ぶかもしれない。しかし私の立場では、発達障害とは「脳の多様性」。個性的な特性を、多様性として評価しているに過ぎない。

ASD者は、喉の渇き、空腹感、体温、満腹感、病気の兆候など内受容感覚に鈍麻の傾向があるとの研究も提出されている。

ADHDの診断基準には、さまざまな種類の「多動性および衝動性」が挙げられている。
・しばしば手足をそわそわ動かしたりトントン叩いたりする。
・不適切な状況でしばしば走り回ったり高い所へ登ったりする
・静かに遊んだり余暇活動につくことがしばしばできない
・しばしば「じっとしていない」またはまるで「エンジンで動かされているように」行動する。
・しばしばしゃべりすぎる
・しばしば質問が終わる前に出し抜いて答え始めてしまう
・しばしば自分の順番を待つことが困難である
・しばしば他人を妨害し、邪魔する
(例;会話、ゲーム、または活動に干渉する。
相手に聞かずにまたは許可を得ずに他人の物を使い始める)

ASDの診断基準には、視線を合わせることの「異常」が挙げられている。

当然ながらと言うべきか、発達障害児はいじめの格好の的になる。
相手がこいつは発達障碍者と意識して肉体的ないし精神的に私刑をおおなうこともあるし、そうと意識せずに異物の排除をおこなうこともある。
私は小学生から高校生までの9年間、ほとんどの学年でいじめにあっていた。
その9年間に自殺をしなかったことは、私にとって誇りだ。

ASD者は平均よりも18歳寿命が短いという研究結果がある。
知的障害や限局性学習障害を併発している場合は30年、そうでない場合は12年短いと指摘される。たくさんのASD者が40歳を迎えるまでに死ぬ。原因は社会的および文化的圧力にある。順応を強制され、孤立して希死念慮に囚われ、自殺する。
「脳の多様性」の観念が広く理解され、社会からの支援が増えることを願う。

ASDの診断基準に「人間関係を発展させ、維持し、それらを理解することの欠陥」を挙げている。それは「先制攻撃」にも似ていて、「解雇される前に自分から辞める、捨てられる前に相手を捨てる、状況がぐちゃぐちゃになる前に立ち去る」ことを指す。
ASD者は絶交の名人だ。

私が診断を受けたのは40代になってから、それからようやく自己理解を始めることができたので、もっと早くに診断を受けていたら「橋を焼く」ことがはるかに少なかったと思う。
「橋を焼く」というのは良い表現だと思う。
実際、私の人間関係は炎に包まれてしまうことが多かった。

私は長年、自分が発達障碍者だと気づかなかった。
実際には能力の凹凸が激しく、小学校から高校まで通知表は「1」から「5」まですべて揃っていたのに、得意な科目は学年で1位を取ったりしたため、「変人」ということで済まされてきた。

発達障碍者支援法が施行されたのは2005年だ。
京都大学の大学院は、誇張して言えば変人ばかりだ。
実際には、私以上の変人は周囲にそうそういなかったが、私は、ここは自分みたいな人間がたくさんいる場所なのだと考え、己に対して懐疑の眼を向けることがなかった。
アスペルガー症候群(空気を読めないイタい人)が具体的にどのようなことを意味しているか調べることもなく、自分が「障碍者」だと察知できなかった。

私のこだわり行動の多動は、多くの人に注目されていた。
成長してからも、体全体をガタガタ振動させて、
「オレが知っている貧乏ゆすりの規模を更新しやがった」と驚かれたり、衝撃的に動きまくって「めちゃイノシシやな」とツッコミを受けたりした。
子供の頃ははるかにひどく、いつもバタバタしていて、ドジでおっちょこちょい。自分の言いたいことだけをしゃべり、友達に無遠慮なことを言う。
人前で鼻をほじるのを止められなかった。

おそらく母は私を矯正しようとして宗教にのめりこんだ。
母親の意に沿わぬことをしたら、母は獣のように狂乱した。
何時間も正座させられ、教団の教義に背いたことについて自己批判を強要され、そのうえでゴムホースによる処刑が執行され、母親は私を抱きしめてくる。
私に深刻な心の傷を残したのは、暴力よりも抱きしめられることだった。
教団は親に対して「叩き終わった後、必ず子供を力一杯抱きしめてください」と伝えていた。

「暴力を振るった後に愛情を示すのは、ドメスティック・バイオレンスの夫が、妻を殴った後に愛情を示すのと同じやり方です」
「これにより子供は強度の依存症になり、親と宗教から逃げられなくなります」

自傷行為
不適切な場面でも鼻の穴をほじることは、長年の私のこだわり行動だった。
いまでもストレスが増大すると、鼻の穴をほじってしまう。
動物園の生き物などもストレスが大きいと自傷行為や食糞に走ることがあるが、私たちもそのようにして自分たちの動物性を現す。

ASD者は規則性を愛好する。
電車の時刻表やカレンダーの暗記を楽しいと思う。

ASDの診断基準の例として、おもちゃを一列に並べることが挙げられている。

「発達障害」に関して現在の医療ができることは限られている。
医者は診断を出し、わずかな、効果が限定的な薬を処置することができるだけだ。
発達障害を根本的に「治療」する方法は開発されていない。
医療で解決できないことに対処するべく、発達障害には自助グループ活動がある。
「関西ほっとサロン」
「さかいハッタツ友の会」
私自身、京都で「月と地球」という名のグループを運営している。

私は文学と芸術について語り合う発達障害の自助グループも運営している。
いままでに扱った作品でもっとも反響が大きかったのは、村田沙耶香の「コンビニ人間」だ。未読の発達障害者は是非一度、読んでみていただきたい。



#話題の最新芥川賞受賞作がこれだ。あまりに日常的で、軽やかとも思えるコンビニが舞台だが、内容は結構、現代社会の深いところを、ググッとえぐり、刺し込んでくる。著者は、群像新人文学賞優秀作でデビューし、野間文芸新人賞、三島由紀夫賞を受賞した、知る人ぞ知る書き手。「芥川賞ってさあ」と食わず嫌いの読者も、絶対に満足できる受賞作。

(2016年9月12日)
#36歳未婚女性、古倉恵子。大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしいと突きつけられるが…。「普通」とは何か?現代の実存を軽やかに問う衝撃作。第155回芥川賞受賞。

なによりもこの小説に「のめりこんだ」と礼賛するASD者やADHD者が多い。
自分が抱えているのと同種の生きづらさが小説化され、社会に広く受容されたことで、自分自身が「救われた気がする」と語る仲間もいる。


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