沖縄の元サブスリー中年男が再メタボでサブ3.5を目指す日々

メタボ解消から始めたランニング。2013年NAHAマラソンでサブ3達成!2023年再メタボでサブ3.5を目指しています。

平成28年度も終わり

2017年03月31日 | Myランナーズ自分史

平成29年3月31日(金)本日で平成28年度も終わりですね。

 

明日から平成29年度。新しい年度が始まります。

 

年度末のプレミアムフライデーですが、普通の人には関係ないイベントですね。

 

さて、私のマラソン日誌もこれで終わり。もう、明日からランニング生活もいったん終わり。

 

今まで、一緒に走ってくれた方、レースで競った方、指導していただいたコーチ陣、監督のみなさんありがとうございました。

 

また、いずれはこの世界に戻ってきますが、いったんお休みします。

 

では。

 

ブログは・・・・・どうしようかな!?

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第3章 サブ4へ向けての練習メニュー

2013年12月16日 | Myランナーズ自分史
サブ4を目指して練習した練習メニューを公開します。

当時の月間走行距離は
2010年

5月 158km
6月 123km
7月 100km
8月 155km
9月 225km
10月 221km
11月 202km
12月 208km

12月のNAHAマラソンで無事サブ4を達成しています。この年は東京マラソンにも当選したので、
2月東京マラソンでは3時間25分36(ネットタイム)で完走しています。

こう見ると、サブ4達成には月間走行距離200kmが基準となるのは、おおむねそうなのかなぁ~と思ったり、もう少し少ない距離でも達成できた気もします。とりあえず月間200kmは途中から目標にしていたので、200km超えるようにしていたのも事実です。

当時の8月のスペック
172cm 66kg 体脂肪率17%
喫煙 1日20本
飲酒 週3日晩酌 月2回飲み会
体型的にはいわゆる標準体型ですね。

当時の8月夏場の練習メニューを見ると

月曜日・・・8kmペース走45分 キロ5分10秒設定
火曜日・・・8kmジョグ 52分 ゆっくりを意識
水曜日・・・筋トレ
木曜日・・・坂道ダッシュ200m10本
金曜日・・・休み
土曜日・・・20kmロングジョグ2時間
日曜日・・・休み

基本的な練習
①ジョグ 週2回(たまにレースペース)
②坂道ダッシュ(インターバル的に)
③20kmのロングジョグ(LSD風や快調走などペースは時々により変えている) 

靴もさすがに本格的マラソンシューズを使った方がいいだろうと考え、完全にインスピレーションと値段の安さ(6000円くらい今までの倍以上)で、「adizero mana5」を購入しました。初めてのランニングシューズです。この靴で初めて走った時「ランニングシューズってこんなに走りやすいのか~」とめちゃめちゃ感動、というかあまりの走りやすさにショックを受けた記憶があります。結局この靴で練習も尚巴志ハーフマラソンも、NAHAマラソン走ってだいぶソールがつるつるになるまで走りました。

練習内容は①~③の組み合わせで、ほぼ冬場も変わりなくこの繰り返しです。30km走ったのが、9月初めてでこの時3時間36分かかっています。NAHAマラソンまでに2回ほど30kmLSDやりました。10月に入り、週に1回、月曜日はレースペース走として10km54分 1km 5分30秒で走る練習をしています。たまに、15km程度のLSDを入れたりはしていますが、ほぼ上記基本練習です

(練習メニューの抜粋)

8月7日 20km快調走
2時間11分

9月3日 20km快調走
1時間58分

9月6日 10km全力走
52分01秒

10月1日 20kmレースペース
1時間38分

10月9日 尚巴志ハーフ試走会
1時間51分

10月26日 10km全力走
46分33秒

10月29日 20km快調走
1時間39分

11月6日 尚巴志ハーフ大会
1時間53分 

12月4日 NAHAマラソン
3時間53分(ネット3時間50分)サブ4達成 (第27回NAHAマラソン)

こんな流れになっています。

まとめ

私なりのサブ4達成の練習
①週に1回はロング走(20km以上)する。
②月間200kmは走っていた方がいい。
③週1は強度の高いレースペースや全力走とかインターバルなどを入れる。
④標準体重まで落とす。

たぶんこんなところで、サブ4は達成できるのではないでしょうか。

サブ4は達成したものの、NAHAマラソン1000位以内の翌日の新聞にも載らず・・・。で次は絶対に1000位以内に入ってやる。と新たな目標ができました。


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第2章 サブ4へ向けて

2013年12月16日 | Myランナーズ自分史
2回目のokinwaマラソンへ向けては当時の自分としては結構本気で練習に取り組みました。靴も2980円のアディダスのぎりぎりランニングシューズっぽいものを購入。そして夜な夜な新都心公園の周回コースを走りました。この時は1時間位は走っていたと思います。

で、okinawaマラソンはいきなり4時間40分で完走しました。しかも本当の意味での「完走」でした。この時に初めて「マラソンって練習すれば走れるようになるのか」と感じました。そして翌年のNAHAマラソンも4時間30分ほどで完走しましたが、この時はまだまだタイムなどを意識することはなく、要するに「完走」=すごいこと。しかも自分は歩かないで完走をしている。という変な達成感とプライドでした。

で、この後結婚し、新婚旅行から帰ってきたその月に大学院に入学が決定。仕事をしながら学業(8:00~17:00仕事→18:30~22:30大学院→23:00帰宅)をすることになり、しかも、大学院在学中に子供が生まれ、生活は激変。走る時間は「まったく」なくなりました。

大学院を修了し、子供のある程度成長して手がかからなくなりました。そこからまたあの「マラソンしたい」意欲が起こるようになりました。またよりによって、当時住んでいた場所が、那覇市仲井真のサンエー津嘉山シティ付近でした。そう!なんとNAHAマラソンのコース沿いです。12月NAHAマラソンのランナーをアパートのベランダから見ました。火が付きましたwww

よし!マラソン再開!練習すれば報われるということは体験済みだったので、今度な何か目標を立てようと決めました。そういえば、子供のころ自分の親父がこんなことを言っていたのを思い出しました。

親父「○○のおじさんは自衛隊で、フルマラソン3時間で走るって。すごいね」

フルマラソン3時間。なんとなく速いとは思いますが、それがどのくらい速いのは具体的にはわからない。けど、子供のころ親父はフルマラソン3時間はすごいと言っていた。確かに、自分の周りにフルマラソン完走=すごいとは思っている人がほとんどでしたから、4時間半の自分は自分で結構速い方だと思っていました。なおかつ、歩かないで完走したというと、みんなすごいねという。ということは、3時間はやっぱり親父が言う通り、相当すごいのだろう。自分ができるか?でも試してみる価値はありそうだ。と思い目標を3時間台でフルマラソン完走を掲げました。

で、手に取った本が「3時間台で完走するマラソン まずはウォーキングから (光文社新書)」でした。初めて買ったマラソン関連書籍で、この本で初めてマラソンをどう走ったらいいのか、とか練習方法とかを知りました。そして、具体的に突きつけられたペース。

1km 5分40秒

このペースで42km走って3時間59分

しかし、この本ではこうも書いてありました。「サブフォーで走るということは、ホノルルマラソンでいえば、ほぼ上位10%に入ることなのだ。これは、一つの壁を越えたマラソンランナーとして、誇るべきタイムと言ってもよい」
「サブフォーは市民ランナーが工夫して達成する目標としてはちょうどよい」「しかしサブスリーはエリートランナーと同じ2時間台で走ることであり、生半可な練習では達成できない」

なるほど、3時間台はやっぱりすごいことなんだ。4時間台は一般人。3時間台はマラソンランナーとして10%の人しか達成できないのか~でも工夫次第で達成できると書いてあるということは、自分にもできるかも。一生懸命走って4時間半。あのペースを少し上げれば、3時間台。でも、あの4時間台のペースを上げて走れるのか・・・?と自問自答しながら本を読みました。今でも持っています。サブフォーという言葉はその時に知りました。ちなみに自分がサブスリーを目標にして達成できるなんて当時の自分は1mmも考えたことがありませんでした。

まずは、自分がどのくらいのペースで普段ジョギングをしているのか知りませんでした。そこで、これからは具体的に距離と時間を計って走ることにしました。当時毎日アクセスしていたのがこのページです。「ジョギングシュミレーター

これで、距離を事前に調べてから走ることにしました。

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第1章 初フルマラソン

2013年12月16日 | Myランナーズ自分史
サブ3を達成したので、ここらでちょっと自分のランニングの歴史、「Myランナーズ自分史」をまとめてみようかと思いました。つまんないかもしれませんが、暇だったら読んでやってください。

第1章 初フルマラソン
大学時代はろくにスポーツもせずにバイト、飲み会と当時はドリフトがはやっていたので車いじりばっかりやっていた青春時代。そして卒業してからもろくにスポーツなどしたこともなく、50m先のコンビニにも当たり前のように車に乗って行っていました。酒が大好きで、タバコもヘビー当然ウエストは際限なく伸びていき、しまいには20代でウエスト調整付のスラックスを買っていましたwwwなぜかって?そりゃウエストが大きくなる度にズボン買いなおすのが馬鹿らしいからですよ。

そんな、怠惰な20台も終わりかけのある日、高校時代の友人から「20台終わりの記念にNAHAマラソンでない?」と言われました。その当時の私は「はぁ~?金払って、42km走って、苦しい思いしてばかでしょ」と真剣に思っていました。マラソンとかする人の気がしれん。

しかし、そんな私にしつこく友人が誘ってくるので、本当にしょうがなく出場することにしました。もう本当にしょうがなくです。で、一応応募したので、とりあえず少しは練習はしておかないといけないと思い、10分とかジョギングはするようになりました。まぁ~長くて30分です。しかも、結構毎回全力走。するとめっちゃ汗かいて、自分なりにめっちゃカロリー消費したと思い、(1000キロカロリー位消費した気分)家に帰ってからのビールとから揚げがうまく感じるんですよ~www

でも、意外なことにそんなことでも体重は減るんですね~。まぁ~当時172cmで80kg以上、毎日晩酌だったので、多少の運動でも消費カロリーがあったのでしょう。

NAHAマラソン前日友人とゼッケンを引き換えに行きました。で、帰りに友人と居酒屋へ。そこで飲んで調子こいて「もう明日のマラソン出場取りやめて、そのまま今日夜遊びしよう」と持ち掛けましたが、友人にあっさり拒否されました。まぁ~当時の私のマラソンに対しての意欲はそんなもんでした。

当日。めったに朝早起きしない私は、朝起きて会場に到着すると、何とも言えない高揚感を自分で感じることができました。上空にはヘリが飛んでいて、どことなくあの曲が聞こえてきます。そして多くの人が楽しそうに朝から集まってきます。「なにか大きなイベントに自分が関わっている、そしてそのイベントのなにかわからないわくわく感が自分を包んでいる」そう感じたのです。

そして、スタート。正直NAHAマラソンのボランティアや私設エイドがすごいという事実もしらなかった私は、途中でかけられる応援の声、差し出される飲み物、YMCAの一体感、どことなく聞こえるエイサーの掛け声、どれもこれもが「カルチャーショック」でした。

「沖縄でこんなイベントが毎年行われていて、そして、これだけの人が関わって、だれもかれもが楽しく過ごしているこんなイベントが私の生活の目と鼻のさきでおこなわれていたなんて・・・・」

NAHAマラソンの存在はしっていましたが、何月に行われているかも知らなかった私。たぶん友人に誘われなかったらいまだに知らなかったかもしれません。

「ハーフまで走れば、ハーフから歩いても6時間で完走できる」と聞いていたのでとりあえずハーフまで走ろうとは決めていたのですが、そのハーフまでが本当にあっという間で気が付けば本当にわくわくしながら楽しく走っている自分がいました。

で、ハーフで私を誘った友人がリタイヤし(なんやこいつ!)21kmから先は私一人になりました。25km位までは何とか走れたのですが、そっから地獄をみました。練習していたとはいえ、せいぜい30分ジョギングくらいでメタボな自分でいしたから、ふくらはぎがつり、足が動かなくなり、もうほとんど走ることができなくなっていました。しかし足が痛くなったら、目の前の応援の人々がエアーサロンパスを貸してくれるし、のどが渇けば、まったく知らない人がアクエリアスを差し出してくれる。人々の「ちむぐくる」を直に感じたのはこれが初めてでした。とちゅう豊見城でマッサージブースもありましたが、時間を見ると結構ぎりぎりです。これは間に合わないかもしれない。せっかくここまできたのに完走できなかったらかっこ悪いし、いままで助けてくれた沿道の人たちに申し訳ないとおもい、足を引きずりながら歩いたり、走ったりを繰り返しました。

那覇のジャスコ付近でもう時間がかなり切迫していました。で奥武山付近でだれかた「もう門しまるぞー」と大声で言っているのが聞こえ、もう足がどうなってもいいからという気持ちでつりながら走りました。で、なんとかぎりぎりでゴールしました。ゴールの時「自分よくがんばった」と自分で自分をほめ、何かこみあげてくるものがありました。そして今まで怠惰な生活をしてきた自分が久々に感じた「達成感」でもありました。

ゴールしてバスに乗ってきた友人と会い、居酒屋へ。その時はマラソンの話ばかりをしました。この時点で私はマラソンのとりこになっていました。

初マラソン 6時間6分 完走 

しかし、第二の地獄は1週間続きました。翌日はみんな足が痛い痛いといいながら、びっこを引く人が多かったのですが、私は3日たっても治りません。周りの人はもう筋肉痛はあるけど、歩けないほどではない。と言っていましたが、私はまだびっこです。そして1週間が過ぎてもおかしいので、これは普通じゃないと思い、整形外科へ。そこでレントゲンを撮られ言われたひとこと。

「疲労骨折の可能性があります」

マラソンで骨折!?うそだろーと思いましたが、たちまちギプスをまかれ、生まれて2回目の松葉杖を渡されました。初めての松葉づえは大学時代の交通事故だったのですが、今回は「マラソン」で松葉づえです。そうとうかっこ悪い。職場で爆笑されました。

よく考えてみると、私がマラソンの時に履いた靴は、1年以上使い古した、1980円の中国製ノーブランドで靴屋ゴンドラに野積みされているテニスシューズでした。クッション性などもなく、走るのに最も不向きな靴だと思います。そんな靴で42km走ったんだからそうなるのは目に見えています。今では信じられませんが。

ですが、マラソンのとりこになった私は、まだ申し込み期間中だったOkinawaマラソンを申し込んだのでした。
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