サブ3を達成したので、ここらでちょっと自分のランニングの歴史、「Myランナーズ自分史」をまとめてみようかと思いました。つまんないかもしれませんが、暇だったら読んでやってください。
第1章 初フルマラソン
大学時代はろくにスポーツもせずにバイト、飲み会と当時はドリフトがはやっていたので車いじりばっかりやっていた青春時代。そして卒業してからもろくにスポーツなどしたこともなく、50m先のコンビニにも当たり前のように車に乗って行っていました。酒が大好きで、タバコもヘビー当然ウエストは際限なく伸びていき、しまいには20代でウエスト調整付のスラックスを買っていましたwwwなぜかって?そりゃウエストが大きくなる度にズボン買いなおすのが馬鹿らしいからですよ。
そんな、怠惰な20台も終わりかけのある日、高校時代の友人から「20台終わりの記念にNAHAマラソンでない?」と言われました。その当時の私は「はぁ~?金払って、42km走って、苦しい思いしてばかでしょ」と真剣に思っていました。マラソンとかする人の気がしれん。
しかし、そんな私にしつこく友人が誘ってくるので、本当にしょうがなく出場することにしました。もう本当にしょうがなくです。で、一応応募したので、とりあえず少しは練習はしておかないといけないと思い、10分とかジョギングはするようになりました。まぁ~長くて30分です。しかも、結構毎回全力走。するとめっちゃ汗かいて、自分なりにめっちゃカロリー消費したと思い、(1000キロカロリー位消費した気分)家に帰ってからのビールとから揚げがうまく感じるんですよ~www
でも、意外なことにそんなことでも体重は減るんですね~。まぁ~当時172cmで80kg以上、毎日晩酌だったので、多少の運動でも消費カロリーがあったのでしょう。
NAHAマラソン前日友人とゼッケンを引き換えに行きました。で、帰りに友人と居酒屋へ。そこで飲んで調子こいて「もう明日のマラソン出場取りやめて、そのまま今日夜遊びしよう」と持ち掛けましたが、友人にあっさり拒否されました。まぁ~当時の私のマラソンに対しての意欲はそんなもんでした。
当日。めったに朝早起きしない私は、朝起きて会場に到着すると、何とも言えない高揚感を自分で感じることができました。上空にはヘリが飛んでいて、どことなく
あの曲が聞こえてきます。そして多くの人が楽しそうに朝から集まってきます。「なにか大きなイベントに自分が関わっている、そしてそのイベントのなにかわからないわくわく感が自分を包んでいる」そう感じたのです。
そして、スタート。正直NAHAマラソンのボランティアや私設エイドがすごいという事実もしらなかった私は、途中でかけられる応援の声、差し出される飲み物、YMCAの一体感、どことなく聞こえるエイサーの掛け声、どれもこれもが「カルチャーショック」でした。
「沖縄でこんなイベントが毎年行われていて、そして、これだけの人が関わって、だれもかれもが楽しく過ごしているこんなイベントが私の生活の目と鼻のさきでおこなわれていたなんて・・・・」
NAHAマラソンの存在はしっていましたが、何月に行われているかも知らなかった私。たぶん友人に誘われなかったらいまだに知らなかったかもしれません。
「ハーフまで走れば、ハーフから歩いても6時間で完走できる」と聞いていたのでとりあえずハーフまで走ろうとは決めていたのですが、そのハーフまでが本当にあっという間で気が付けば本当にわくわくしながら楽しく走っている自分がいました。
で、ハーフで私を誘った友人がリタイヤし(なんやこいつ!)21kmから先は私一人になりました。25km位までは何とか走れたのですが、そっから地獄をみました。練習していたとはいえ、せいぜい30分ジョギングくらいでメタボな自分でいしたから、ふくらはぎがつり、足が動かなくなり、もうほとんど走ることができなくなっていました。しかし足が痛くなったら、目の前の応援の人々がエアーサロンパスを貸してくれるし、のどが渇けば、まったく知らない人がアクエリアスを差し出してくれる。人々の「ちむぐくる」を直に感じたのはこれが初めてでした。とちゅう豊見城でマッサージブースもありましたが、時間を見ると結構ぎりぎりです。これは間に合わないかもしれない。せっかくここまできたのに完走できなかったらかっこ悪いし、いままで助けてくれた沿道の人たちに申し訳ないとおもい、足を引きずりながら歩いたり、走ったりを繰り返しました。
那覇のジャスコ付近でもう時間がかなり切迫していました。で奥武山付近でだれかた「もう門しまるぞー」と大声で言っているのが聞こえ、もう足がどうなってもいいからという気持ちでつりながら走りました。で、なんとかぎりぎりでゴールしました。ゴールの時「自分よくがんばった」と自分で自分をほめ、何かこみあげてくるものがありました。そして今まで怠惰な生活をしてきた自分が久々に感じた「達成感」でもありました。
ゴールしてバスに乗ってきた友人と会い、居酒屋へ。その時はマラソンの話ばかりをしました。この時点で私はマラソンのとりこになっていました。
初マラソン 6時間6分 完走
しかし、第二の地獄は1週間続きました。翌日はみんな足が痛い痛いといいながら、びっこを引く人が多かったのですが、私は3日たっても治りません。周りの人はもう筋肉痛はあるけど、歩けないほどではない。と言っていましたが、私はまだびっこです。そして1週間が過ぎてもおかしいので、これは普通じゃないと思い、整形外科へ。そこでレントゲンを撮られ言われたひとこと。
「疲労骨折の可能性があります」
マラソンで骨折!?うそだろーと思いましたが、たちまちギプスをまかれ、生まれて2回目の松葉杖を渡されました。初めての松葉づえは大学時代の交通事故だったのですが、今回は「マラソン」で松葉づえです。そうとうかっこ悪い。職場で爆笑されました。
よく考えてみると、私がマラソンの時に履いた靴は、1年以上使い古した、1980円の中国製ノーブランドで靴屋ゴンドラに野積みされているテニスシューズでした。クッション性などもなく、走るのに最も不向きな靴だと思います。そんな靴で42km走ったんだからそうなるのは目に見えています。今では信じられませんが。
ですが、マラソンのとりこになった私は、まだ申し込み期間中だったOkinawaマラソンを申し込んだのでした。