昨日からの始まった「大シーボルト展」
長崎大学経済学部の図書館であっていた「シーボルトゆかりの人物展」
長崎大学経済学部の図書館には、貴重な展実物が多数あったのですが、今回は牧野富太郎氏関係にしぼって紹介します。
驚いたのは、牧野氏がその著書「随筆草木志」で、シーボルトを「世人が思う程な植物の大学者ではない」と批評していたことです。
「随筆草木志」牧野富太郎著
説明の展示プレート
プレートに、「全頁をご覧になりたい方はカウンターへ『牧野の』とお声掛けください」とあったので、カウンターで声を掛けました。すると、そのくだりの全文のコピーをいただきました。
はたして、その全文、読んでショックを受けました。
というのは、私はシーボルトを憧憬していたからです。
私のこれまでの知識では、多良岳のシャクナゲをシーボルトが「ツクシシャクナゲ」と命名し、著書「日本植物誌」に原色図を載せて世界に紹介したと思っていたからです。もちろん図を描いたのは、シーボルトのお抱え絵師、川原慶賀ということは知っていましたが。
牧野氏の「随筆草木志」の「シーボルトは世人が思ふ程な植物の大学者ではない」を要約すると次のようになります。
シーボルトは日本の文物を西洋に紹介した点においてはその功績は大きく有名な学者である。しかし、シーボルトの著書と日本人が誤解している「日本植物志(原文のまま)」はトツツカリニーとの共著で、植物学的な仕事をしたのは専らトツツカリニー氏であり、シーボルトは植物を集めたに過ぎない。日本人はそのあたりの真相を知らない。
また、医学博士呉秀三氏が「シーボルト」という名前の著書の中で「日本植物誌」を絶賛したので、多くの日本人が「日本植物誌」はシーボルトの本で、彼を偉大な植物学者であるとの誤解が生まれた。
植物の命名についても、命名者がSIEB ET ZUCC. 即ちシーボルト並びにトツツカリニーとなっているが、シーボルトはただ名誉に与えられたものに過ぎない。植物検定の労を執ったのはトツツカリニー氏だ。
後年、シーボルト氏自身が著した日本植物の小冊子を見ても、シーボルトの日本の植物に対する知識は決して深奥なものではなく、むしろ浅薄なものであることがわかる。
以上です。
「シーボルトゆかりの人物展」には川原慶賀の本も展示してありました。
川原慶賀は「日本植物誌」の原色図を描いた絵師です。
「日本植物誌」で紹介されたツクシシャクナゲの原色図
(「川原慶賀の植物図譜」のパンフより)
牧野富太郎氏がいうような、シーボルトの植物学者としての力量はともかく、シーボルトが日本のことを世界に紹介したのは事実でその功績は大きいものがあります。
会場にはシーボルトにまつわる色々な資料が展示してありました。
展示物
この展示会のすごかったところは、書物によっては実際に触ることができたことです。
例えば、シーボルトの「NIPPON」
「ページをめくっても大丈夫」と。
本物に触れる感動
地図も手にとることで発見も。
肥前が「FIZEN」と表記されたいました。
こんな本もありました。
伊東圭介著「泰西本草名疎」
伊東圭介は、朝ドラ「らんまん」に登場した伊東孝光のモデル伊東篤太郎の祖父にあたります。ドラマの中でも伊東孝光はシーボルトの助手を務めた伊東圭介の孫という設定でした。伊東の名を目にし「らんまん」をより身近に感じることができました。
この「シーボルトゆかりの人物展」は当初10/1(日)まででしたが、11/12(日)まで延期されることになりました。長崎歴史文化博物館で開催される「大シーボルト展」の最終日と同じになりました。
最新の画像もっと見る
最近の「その他」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー