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まんやま独歩

霧立越の入り口

3週間前になります。
先月、6/17に霧立越の入り口の部分を、少しだけ歩きました。



登山届の受付箱ですが、下の方に「駄賃つけ 昭和の初期まで」とあります。
駄賃は荷物の運賃のことですが、牛馬に荷物を背負わせることを「駄賃つけ」といい、この「駄賃つけ」の道こそが「霧立越」です。標高1500m前後の稜線伝いに五ヶ瀬町から椎葉村へと物資を運んだ山越えの道です。

どうしても霧立越の雰囲気だけでも味わいたくて、小川岳に登った翌日に、長い林道歩きの末にここにたどり着いたのでした。




この道を牛馬が通ったのかと思うと感慨深いものがありました。




歩き出してすぐ、白岩山山頂(1620m)


キリンソウ

「昭和30年代までは白岩山の登山道を黄色く染めるほどであった。近年は踏圧などで減少している」(「西郷さんも歩いた霧立越花の旅」秋本治著より引用)

山頂周辺にはヤマシャクがたくさん自生していました。

ヤマシャクは鹿が食べないそうです。


水吞の頭(1647m)




「扇山山小屋 6800m」とあります。
扇山までは無理にしても、せめてその途中にある「馬つなぎ場」までは歩いてみたかったのですが、登山口までのアプローチに時間がかかりすぎたので、今回はあきらめることにしました。
ただ、「水場50m」とあったので、覗いてみることにしました。

「水吞の頭」下の水場


山の中では貴重な水です。暑い日などは牛馬にも飲ませていたのでしょう。
「『水吞』とはその昔、馬方さんが物資を輸送中に馬に水を与えたという湧水のある場所である」(「西郷さんも歩いた霧立越花の旅」より引用)


これより引き返します。
途中、木々の間から見えていた向坂山に立ち寄ることにしました。
私が持っている「九州の山」には、
「藪漕ぎに苦労するわりには展望がきかないので、とかく敬遠されがちだ」と書かれていました。

ところがどうでしょう!

道は遊歩道として、きれいに整備されていました。


もっとも私が持っている「九州の山」は昭和53年(1978年)版ですので、登山道整備がなされる1995年前の山の情報でした。

向坂山山頂(1685m)



ツクシヒトツバテンナンショウ
マムシグサにもいろいろな種類があるようです。


バイケイソウ
ヤマシャク同様に、鹿の食害に遭わないのでたくさん自生しています。


一時は通る人もなく藪と化していた霧立越だそうですが、気持ちのよい遊歩道になっていました。

九州脊梁、霧立越山地は起伏も少なく、ブナやミズナラの巨木に包まれたおおらかな稜線でした。ギザギザした山ではないので牛馬が物資を運ぶ生活道路になり得たのでしょう。その古道を踏破したいという思いはさらに強くなりました。



本文中2回引用した「西郷さんも歩いた霧立越花の旅」の中に、今回引き返した先の道の、1994年当時の様子が書かれていました。
「初めて行く『水吞』の先は、更に歩道を覆う藪が厚くなった。立って歩けば木の枝やスズタケが行く手をさえぎるので、その下を這うようにして馬の通った跡らしいえぐれた窪地を辿って進む。-中略- 古道は尾根を右に左に廻り込みながら延々と伸びて道の形をくっきりと残しているが、スズタケや灌木が道を塞いでいるのでなかなか前へ進めない。腰をかがめてかき分けながら、時折立ち止まって地図を広げて現在地を確かめる」

著者の秋本治さんは、通り抜けるのに相当な苦労があったにもかかわらずその夜、「もしかすると霧立越は素晴らしいハイキングコースになるのではないか」と閃かれたそうです。「なによりブナの原生林が素晴らしい」と。
そして翌1995年に、村おこしグループを巻き込んで霧立越整備に取りかかられました。

道を整備してくださった方々のご苦労に感謝です。
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