つれづれ日記~竹河せりかの日常風景~

同人情報や旅行記など、日々の出来事を綴っていきます。

ちょっと思ったこと(お墓のはなし)

2006-11-14 22:24:27 | 日記・エッセイ・コラム
唐突ですが、ちょっと思いついたお墓の話です。

よく、“夫婦は同じお墓に入れた方がいい”といいますが
それって、いつ頃から定着した思想なのかな~と思いまして。

きっかけは、京都へ旅行した際のこと。

山内一豊縁の寺院・大通院へ行ったのですが、
一豊は土佐、千代は京と・・・元々お墓は別々だったそうですが
千代の養子であった、大通院のお坊さんが“それは良くない”
とのことで、大通院に改めて合葬し直したそうです。

ということは・・・この頃(江戸初期かな?)までには
“夫婦は合葬”という慣習があったわけですね・・。

歴史を遡ってみると、マイラバー・彰子さまは
一族と共に葬られていて、一条帝とは別。
因みに定子さまも、一条帝とは別・・・なので
平安時代には、上記のような思想はまだなかった・・とも
思えるのですが・・・。

もっと遡った時代の、天武・持統天皇夫妻は合葬・・。

と考えていたら、訳が分からなくなりました。

天皇家と一般人とは埋葬方法が異なるのかもしれませんが・・。




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2 コメント

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興味深い話題ですね。 (nissy)
2006-11-15 00:29:33
興味深い話題ですね。
義仲や巴は全国いろんなところに墓がありますよ(爆)

源平合戦ぐらいだと、墓という観念自体が薄い気がなんとなくします。
「塚」はよくあるんですけど・・・

庶民レベルだと、墓が作られだしたのは江戸時代かな?どなたか詳しい人に聞いてみたいです。
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nissyさま、書き込みありがとうございますv (竹河せりか)
2006-11-18 22:55:33
nissyさま、書き込みありがとうございますv

>義仲や巴は全国いろんなところに墓がありますよ(爆)

有名人は、本当にいろんな場所にお墓がありますよね~。

「お墓」という概念自体、中世以降のものなのかもしれませんね~。
京都では「・・野」と付く地域が埋葬地だったようです。道長レベルの人でも、どこに葬られているのかは不明ですしね・・・。
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