唐突ですが、ちょっと思いついたお墓の話です。
よく、“夫婦は同じお墓に入れた方がいい”といいますが
それって、いつ頃から定着した思想なのかな~と思いまして。
きっかけは、京都へ旅行した際のこと。
山内一豊縁の寺院・大通院へ行ったのですが、
一豊は土佐、千代は京と・・・元々お墓は別々だったそうですが
千代の養子であった、大通院のお坊さんが“それは良くない”
とのことで、大通院に改めて合葬し直したそうです。
ということは・・・この頃(江戸初期かな?)までには
“夫婦は合葬”という慣習があったわけですね・・。
歴史を遡ってみると、マイラバー・彰子さまは
一族と共に葬られていて、一条帝とは別。
因みに定子さまも、一条帝とは別・・・なので
平安時代には、上記のような思想はまだなかった・・とも
思えるのですが・・・。
もっと遡った時代の、天武・持統天皇夫妻は合葬・・。
と考えていたら、訳が分からなくなりました。
天皇家と一般人とは埋葬方法が異なるのかもしれませんが・・。
よく、“夫婦は同じお墓に入れた方がいい”といいますが
それって、いつ頃から定着した思想なのかな~と思いまして。
きっかけは、京都へ旅行した際のこと。
山内一豊縁の寺院・大通院へ行ったのですが、
一豊は土佐、千代は京と・・・元々お墓は別々だったそうですが
千代の養子であった、大通院のお坊さんが“それは良くない”
とのことで、大通院に改めて合葬し直したそうです。
ということは・・・この頃(江戸初期かな?)までには
“夫婦は合葬”という慣習があったわけですね・・。
歴史を遡ってみると、マイラバー・彰子さまは
一族と共に葬られていて、一条帝とは別。
因みに定子さまも、一条帝とは別・・・なので
平安時代には、上記のような思想はまだなかった・・とも
思えるのですが・・・。
もっと遡った時代の、天武・持統天皇夫妻は合葬・・。
と考えていたら、訳が分からなくなりました。
天皇家と一般人とは埋葬方法が異なるのかもしれませんが・・。
義仲や巴は全国いろんなところに墓がありますよ(爆)
源平合戦ぐらいだと、墓という観念自体が薄い気がなんとなくします。
「塚」はよくあるんですけど・・・
庶民レベルだと、墓が作られだしたのは江戸時代かな?どなたか詳しい人に聞いてみたいです。
>義仲や巴は全国いろんなところに墓がありますよ(爆)
有名人は、本当にいろんな場所にお墓がありますよね~。
「お墓」という概念自体、中世以降のものなのかもしれませんね~。
京都では「・・野」と付く地域が埋葬地だったようです。道長レベルの人でも、どこに葬られているのかは不明ですしね・・・。