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日本では、アメリカやカナダと比べて学校の授業で学校図書館が使われることがそれほど多くありません。メディア・センターとかリソース・センターとか呼ばれる最近のアメリカやカナダの学校図書館には、司書教諭と電子メディアなどの準備やメンテナンスなどを担当する技術職員がいて、司書教諭は、資料を整えて提供するだけでなく、各教科や担任の先生と相談して単元のカリキュラムを作ったり、資料や情報を活用して学ぶ指導すなわち情報リテラシーの育成を担当するのが標準になっています。こういうことが、日本で一般的に行われていないのは、ひとつには司書教諭が図書館専任の専門職ではなくて、専門教科との兼務であるということがあげられます。少し恵まれた学校には学校司書がいて図書館の実務を担当していますが、それも専門職でなかったり、非常勤である場合も多く、教育職でもないのでカリキュラムを開発したり授業を行ったりすることはできません。授業を行う先生を助けて資料を提供したり、子どもたちに本の紹介や調べ方の助言をすることはありますが、教科の先生と対等な立場で一緒に授業を組み立てるようなことはめったに行われません。
図書館文化の違いから、日本の学校図書館をめぐる諸々の整備が遅れていることが原因でしょうか。私は、他にも大きな問題があると思います。私は、何日か前にカテゴリー「学びを考える」で加藤幸次先生や陰山英夫先生の主張とお二人が共通して指摘しておられる問題点を紹介しました。それは指導要領の問題です。指導要領がガイドラインではなくて、法的拘束力をもち、その基準を満たす検定教科書を使って教育をすることが義務付けられていることです。つまり、検定教科書はひとつの資料ではなく、教科書が中心なのです。ということは、検定教科書以外はすべて、教科書の内容を理解し発展させるために用いられる補助資料、補助教材ということになるでしょう。それが日本の教育の標準になっているところが、多様な資料や教材から学ぶことを前提にしているアメリカやカナダの教育と大きく違うところですから、学校図書館に期待される役割も違って当然といえるでしょう。
わが国でも、指導要領をアメリカやカナダのようにガイドラインとし、検定教科書といったものもなくて、地方や学校が独自にカリキュラムを開発して授業を展開できるようになれば、教育委員会や教職員が協力して、創意工夫が活発に行われ、そのなかで、さまざまな資料や教材を活用する教育が行われるようになるのではないでしょうか。子どもたちが、課題や問題に対して、多様な資料や情報を比較検討して、自らの知識としてまとめていくプロセスのなかでこそ、ほんとうの意味での考える力が養われるでしょう。思考はつねにクリティカル(疑問を持つ)でクリエイティブ(創造的)でなければなりません。
21世紀の学びのための学校図書館について、アメリカの「ライブラリー・パワー・プロジェクト」に学び、情報リテラシー教育の理論とノウハウを具体的に解説した実践的手引書。日本における実践例も紹介する。
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わが国でも、指導要領をアメリカやカナダのようにガイドラインとし、検定教科書といったものもなくて、地方や学校が独自にカリキュラムを開発して授業を展開できるようになれば、教育委員会や教職員が協力して、創意工夫が活発に行われ、そのなかで、さまざまな資料や教材を活用する教育が行われるようになるのではないでしょうか。子どもたちが、課題や問題に対して、多様な資料や情報を比較検討して、自らの知識としてまとめていくプロセスのなかでこそ、ほんとうの意味での考える力が養われるでしょう。思考はつねにクリティカル(疑問を持つ)でクリエイティブ(創造的)でなければなりません。
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