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『もりのなか』のなぞ("大人のための絵本サロンスペシャルin勝沼"を振り返る3)

2013年10月27日 | 「学び」を考える

 

遊びに満ちた、アートとしての学びを求めてpart3

 報告の続きです。今日は細かいところにこだわります。こうして、ふだんは見すごしてしまうようなところで立ち止まって考えていくと、いろんな気づきや発見があるものです。少し長くなりますが、お付き合いください。

 『もりのなか』の作戦が終わった後、青柳さんから、ひとつの問いかけがあり、それについて話し合った。

もりのなか (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)
マリー・ホール・エッツぶん・え、まさきるりこ訳
福音館書店(1963)

 この本の中ほどに、こんなページがある。見開きの左のページには、森の中の大きなテーブルを囲んで動物たちがおやつを楽しんでいる様子が描かれていて、

しばらくいくと、だれかが ぴくにっくをした あとが ありました。
そこで ぼくたちは、ひとやすみして、ぴーなっつや じゃむを たべました。
また、そこにあった、あいすくりーむや おかしを たべました。」

とある。
 右側のページでは、動物たちが輪になって遊んでいる。

それから、“はんかちおとし”を ひとまわり しました。」

 問題は、左側のページ。ピーナツやジャムは、自分たち(二匹のくまさん)がもってきたものなので、分け合って食べるのはいいとして、アイスクリームやお菓子は、先に来た人が「食べ残し」ていったものじゃないの? という子どもがいるというのである。絵をよく見るとケーキはまるごと置いてあるし、そばには樽型のアイスクリーム製造器が描かれていて、「食べ残し」には見えない。それでも、だれかがピクニックをしたあとに「残していった」(と思われる)ものを食べるのは抵抗があるのではないか?

(画像をクリックしてください)

 この問いかけについて山本敬子さんは、以下のように報告しておられる。(全文はこちら

「さて、今回は大人同士ならではの話し合いも加わりました。これは青柳さんが子どもたちの反応から深く考えるようになったことだといいます。
 本のなかで、だれかがピクニックしたあとがあり、主人公たちはそこにあったケーキやアイスなどを食べるという記述があるのですが、こどもたちはこの部分に違和感をもつのだそうです。確かに私も最初に読んだときに、食べ残しを食べたの!?という驚きがありました。他人のものを許可を得ずに食べるということに対する抵抗感があったこと、また自分ならケーキは全部食べて帰るぞと思ったのです。
 絵を見る限り、ケーキは完全なラウンド型を保っており、食べ残しには見えません。それに、本の展開のなかでこの部分だけが主人公以外のリアルな人間の存在を感じさせ、やけに生々しいのです。主人公たちを迎えてくれている森に、姿は見えねどすでに先客がいて、何かを食べ残していった…。主人公たちが森や大いなるものかから祝福されているという感覚が絵本全体から感じ取れるのですが、その感覚と相容れない「残念な感じ」があるのです。
 この違和感について参加者で話し合った後、青柳さんは原著を紹介します。なんと原文では、誰かのピクニックの後だなんて書かれていないのです…!」

In The Forest (Picture Puffins)
Marie Hall Ets
Penguin Books(2006)

 この本には、こんな風に書かれている。

We came to a place made for picnics and games
So we stopped and ate peanuts and jam-
And some ice cream and cake that were there.

 これを文字どおり日本語に直すと、おおよそ以下のようになる。

ぼくたちは、ピクニックやゲームをするのにちょうどいい場所にやってきました。
そこで、ぼくたちは一休みして、ピーナツやジャムを食べ、
そこにあったアイスクリームとケーキも食べました。

 最初の文のmade forは「~のためにつくられている」「~にうってつけの」という意味で、「だれかがピクニックをした後」にあたる表現は見あたらない。これでは、どうしてそこにアイスクリームとケーキがあったのか分からない。そこで、翻訳者は、誰か先客がいて、その人たちが置いていったと解釈するのが合理的だと考えたのだろうか? だが、非合理な世界で、さまざまな想像をめぐらすのもファンタジーの世界に遊ぶ楽しみではないか。ケーキやアイスクリームは、男の子のために、誰かが用意してくれていたと考えることもできる。森の精とか、神様とか、両親とか・・・誰かが男の子を祝福してくれている・・・と読むこともできる。
 青柳さんは、松居直さんの『絵本編集者の眼‐エッツ『もりのなか』を読む』 (かわさき市民アカデミー講座ブックレット、2003.4)も調べてくださったが、このページに関しては「アイスクリームが融けてしまうのではないか」という疑問にたいして、アイスクリーム製造器が描かれていることを指摘しておられるだけで、この訳にいたった経緯については書かれていないという。

 家に帰って調べてみたら『もりのなか』の中国語訳が出ていることが分かった。

In the Forest(中国語)
Marie H. Ets
Er Shi Yi Shi Ji/Tsai Fong Books(2008)

 さっそく調べてみると、

我们来到一片可以野餐和游戏的空地。
(ぼくたちは野外で食事とゲームができるスペースにやってきました。)
大家停下来、吃起了花生、果酱‐还有冰激凌和蛋糕
(みんなは一休みして、落花生とジャムを食べ始めました‐アイスクリームとケーキもありました)

とある。原文に即した訳で、「だれかがピクニックをした後」とはなっていない。本の帯には「日本絵本父松居直先生 最钟愛的经典之作」(日本絵本の父である松居直氏が最も愛する古典)」と大書してあるが、松居さんはこの中国語版をご覧になっただろうか?
 ひとつ気になるのは、日本語版の表紙が茶色なのに、英語版も中国語版も表紙は緑色であることだが、じつは1944年の初版はハードカバーで茶色だった。日本語版はこれに倣った。

In the Forest
Marie Hall Ets
Viking Juvenile(1944)

 ペーパーバックとは内容が違っているのだろうか? 初版は見ていないが、内容の一部が書き換えられたという記録は見あたらない。

In the Forest by Marie Hall Ets (by Marie Page)

 では、この部分は、原文に近くなるように「ピクニックやゲームをするのにちょうどいい場所」とか「ピクニックができるところ」、あるいは「ピクニックをするために用意された場所」とするべきだろうか? 一般的に翻訳は原文を文字通りに訳せばいいというものではないし、そもそも訳者の解釈を抜きにした訳というものはありえない。しかも、『もりのなか』の対象年齢は「読んであげるなら2才から、自分で読むなら小学低学年から」となっていて、その年齢層の子どもたちが耳できいただけで具体的な場面をイメージしやすいように、ことばの選び方や並べ方を工夫しなくてはならない。問題の箇所が「ぼくたちは、・・・にやってきました」ではなく「しばらくいくと、・・・が ありました」となっていたり、「ぴくにっくとげーむ」でなく「ぴくにっく」だけになっているのも、そういったことを考慮してのことだろう。いま考えると「けーき」は「おかし」に変えなくてもいいように思うが、この本が翻訳された1963年当時の子どもたちの感覚が反映されているのかもしれない。さらに、やっと平仮名を読めるようになった子どもが読みやすいように、分かち書きにしてあることも大事だ。意味のかたまりを一目で読み取れるように、どこで区切り、一区切りの長さをどれくらいにするか。このページでは一区切りが最大で8文字になっている。こうしたことを考え合わせると、「しばらくいくと、だれかが ぴくにっくをした あとが ありました」というのは、よく吟味された表現であることが分かる。これを凌ぐ代案を考えることは大きなチャレンジといっていい。それでも、原文の表現から大きく外れないで、しかも子どもたちに「食べ残し」をイメージさせないために、どんな表現が可能かを話し合ってみる価値はあるだろう。

 さて、こうして、われわれ大人が、この絵本に込められた原作者の意図を読み解き、翻訳の在り方を考え、より原文に近い適切な代訳を考えることとは別に、ぼくは個人的には、長く親しまれてきた日本語版の『もりのなか』は、そのままの形で受け継いでいってほしいと思う。そして、もしも子どもたちが「誰かが残していったものを食べるの?」という疑問をもったら、絵をよく見て、けっして「食べ残し」とは言えないことを確かめた上で、「じゃあ誰が用意してくれたのだろう?」と問いかけて、いろんな可能性を考えてみてはどうだろう?

 そして、誰か先に来た人が後から来る人のために残しておいてくれたと想像したとしても、子どもたちは、他者からの無償の贈与(純粋贈与)という、常に見返りを求める現代の交換経済(等価交換)とは異なる価値に触れることによって、温かく祝福に満ちた幸せな感じを受けるにちがいない。  

 

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