『Here Comes Everybody 足立正治の個人史を通して考える教育的人間関係と学校図書館の可能性』がやっと出版された。私が甲南中高を去るにあたって2010年3月21日に催してくださった「足立正治氏とともに考える学校図書館の過去・現在・未来」の記録をもとにしてつくられたものだが、出版社を通さずに印刷・製本以外のすべての作業を自分たちで手がけたために完成まで一年以上かかってしまった。時間がかかったわりには不備な点が目立つが、型にはまらない自由な発想を大切にしたおかげで、カバーからカバーまで、どのページにも、この本にかかわった人たちの心地よい気が満ちているのは、何ものにも代えがたいことである。
当初から意図していたわけではないが、あらためて読み返してみると、本書には「図書館」「学び」「一般意味論」という3つのテーマが織り込まれている。共通しているのは、いずれも人類の命をつなぐために必要な基本的な活動であるという点だ。言い換えれば、本書は、時間と空間を超えて人々の経験に学び、人類を破滅に追いやらない知性を私たちのなかにいかに育むかという問題意識に貫かれている。折しも3.11に起きた未曾有の災害は、私たちの生き方を見直し、次世代に命をつなぐ人間の営みについて深く考える機会となった。生死を分ける局面で命をつなぐ行動とは何か? 私たちは現在置かれている状況をどのように受けとめ、どこに向かって行動すべきか? そのために私たちの知性と感性をどのように活かすべきか? 奇しくも、そんな問題意識が高まるなかで出版されることになった本書に何らかの手がかりが見つかればいいのだが・・・
中沢新一氏によれば、人間の知識は、線形的な知識と非線形的な知識という二つのタイプの複論理(バイロジック)として構成されている(「非線形図書館」、『つくる図書館をつくる‐伊東豊雄と多摩美術大学の実験』pp.64-65、鹿島出版会、2007)。線形的知識とは主として言語によって、非線形的知識とは無意識‐直観によって経験を組織化して得られる知識のことである。人間の知の集積である図書館においては、もちろん、この複論理性が再現されているべきだ。そして、一見まとまりがなく、とりとめのない本書もまた、複論理的に読み取ってくだされば、それなりの統一感をもって理解していただけるかもしれない。
(出版されたといっても、出版社が関わっていないので、本書が既成の流通経路に乗って書店に並ぶことははい。だからと言って記念の会の参加者があの時の記録を読み返し、自分たちのエッセイをお互いに読みあうだけではもったいない。せっかく本になったのだから一人でも多くに人たちに届けて、読んでもらいたいと思う。関心のある人は左の欄からメッセージを送ってくださるか、下記のアドレスまでお問い合わせください。頒布価格2400円+送料でお分けします)
片桐ユズルさんのブログで紹介されています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます