「6日の会はどうだった?」と尋ねられても、その場にいなかった人に何を伝えればいいのだろう? 何が知りたいのかも分からないまま、やみくもに書いてみる。
フロアには懐かしい顔が並び、お互いに声を掛け合っていた。詩やフォークソング、GDM英語教授法、エンカウンターグループなど、片桐ユズルさんの活動に何らかの形で関わった人たちである。顔を見せなかった人たちは、どうしているのだろう? 帰えれないところに逝ってしまった人たちもいる。
この日は、1960年代から70年代にかけて、ほんやら洞やかわら版キャラバンで行われた詩の朗読とフォークソングの再現となった。40年前にタイムスリップしたようだった。登場人物全員が60歳から80歳まで、高齢になっていたが、元気だった。若い人たちも大勢いたが、その人たちは、この集まりをどう受け止めていたのだろう?
最初に登場した秋山基夫さんは、冒頭に「桜の枝の下で輪になって・・・」と切り出して、「ともだち」という4行詩の情景をこの集まりと重ね合わせた。
桜の枝にランタンを吊るし
輪になってお酒をのんで
この明るさをよろこびあおう
どうせ暗い道を散っていくのだ
秋山さんの詩は、一人で読むより本人が岡山訛りで朗読するほうが断然面白いし、伝わってくるものも大きい。この日に朗読された登山の詩は、かなり長かったが、秋山さんは緩急をつけながらテンポよく読み上げて私たちを笑いの渦に巻き込み、私たちの裡に何か大切なものを残していった。
次に登場した中川五郎さんは、「ふつうの女の子に」など、ユズルさんの詩に曲をつけた3曲と、横須賀で基地反対を訴え続けてこの世を去った友人のことを偲んで作った「一台のリアカーが立ち向かう」を唄ってくれた。
BS2の「週刊ブックレビュー」で書評を担当している中川さんは、1月30日の放送で矢口以文さんの『詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと』(コールサック社、2010)を取り上げていた。その矢口さんが、中川さんに続いて壇上に立ち『詩ではないかもしれないが・・・』からいくつかの詩を朗読された。「塗りつぶした」や「クラスター爆弾を作った科学者に」の教師や知識人への問いかけが、私には強く響いた。
・・・
だけど今、敗戦時に塗りつぶした類のものが
またぞろ生き返り
子供たちの教科書の中を
ゴキブリになって這い回り始めた
先生は 今度はどんな顔で教えているのか
(「塗りつぶした」)
長野県の辰野町で英語の先生をしながらライブハウスOREADをやっておられる三浦久さんも顔を見せておられて、飛び入りで唄ってくださった。
休憩の前に中尾ハジメさんが兄ユズルさんのことを語り、最後にユズルさんが「引き算としての意味論」を語った。余計なものをそぎ落とすことで、そのものの自然な姿が浮かび上がる。ユズルさんの詩もベーシック・イングリッシュもアレクサンダーテクニークも引き算によって成り立っているという。私たちも、ことば数を少なくし、余計なものを口に入れず、お化粧を薄くし、肩の荷物を下ろせば、今よりずっと溌剌と生きられるかもしれない。
そういえば、いま京都の何必館で木村伊兵衛展をやっている。一瞬を切り取った写真をさらに刈り込むことで現実を際立たせている木村伊兵衛の写真表現も引き算か。
ほんやら洞やフォークキャラバンは、限界芸術を共有する場だった。鶴見俊介さんが、純粋芸術でも大衆芸術でもないMarginal Art(限界芸術)という概念を示してくださったおかげで、私たちは自分の生活感覚を芸術に昇華することによって成長する術をもつことができた。表現者でなくても、そこに参加することによって文化を一緒に創りだしているという高揚感があった。安保やベトナム戦争の時代に、イデオロギーや理論や組織に導かれる闘争には関わりたくなくて、もう一つの世界に仲間を求めたが、そこで現在に通じる組織や知の在り方を学ぶことになった。
2月6日は私にとって、懐かしさとともに、さまざまな記憶が生々しくよみがえってきて、今の自分を見つめなおす機会となった。夢や理想がかなったわけではないが、あの頃に灯された炎は細々と燃えつづけていて、そこに少し油を注いだように一瞬明るくなった。この炎を次の世代にどうやってつなごうか?
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限界芸術論 (ちくま学芸文庫) |
鶴見 俊輔 | |
筑摩書房 |
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