日本図書館協会が発行する「図書館雑誌」に10月号から「フランスにアニマシオンをたずねて」が連載されている。フランス文学者で翻訳家の辻由美さんを案内人としてフランスの社会文化アニマシオンを学ぶ旅に参加された皆さんが交代で執筆されているもので、昨日届いた12月号の「その3」には、アニマシオン勉強会を主宰しておられる黒木秀子さんが「ヨーロッパ規模の青少年交流活動」という文章を寄せておられる。「インターカルチャー」と題する講義とワークショップを通して見えてきた、フランスの「社会文化アニマシオン」とモンセラット・サルトさんの「読書へのアニマシオン」の関係を、ご自身の活動体験も交えて分かりやすくまとめてくださっている。
黒木さんの報告によると、フランスの社会文化アニマシオンは、青少年の異文化関係性を育むことを軸に展開されている。青少年が自立した個人として、他者を尊重し、寛容な態度で柔軟に他者と出会っていくために重視されるのは、まず自分のことばを振り返って自分を知り、自分の考えを持つことであるという。このことは、国境・宗教・人種・民族・言語の違いだけでなく、性別・世代など同じ社会を構成している人々のなかにある「異文化」についてもいえることであろう。アニマシオンでは、ある対象(テーマ・課題・プロジェクト)に対して、多様な人が多様な関わり方をすることによって、自己理解と他者理解が相互に育まれていく。それが「交流」であり、それを促す「活動」がアニマシオンの実践なのだろう。とすれば、それはフィンランドの教育政策に大きな影響を与えているヘルシンキ大学のユリア・エンゲストロームが提唱する「人間活動理論」とも重なって、いまヨーロッパ全体を覆っている考え方のように見えてくる。
スペインのモンセラット・サルトさんは、このアニマシオンの考え方を、読書を通して実現しようとして「読書へのアニマシオン」を開発した。アニマドールが出す作戦が、一人ひとりの内面への問いかけとなって自分のことばを持ち自立的に考えることを助け、他者理解へとつながっていく。一冊の本を読むという行為に共に参加する人々がそれぞれ多様な自己を開示できる場を保障することで、それが可能になる。対話と自己理解を基盤とする、すばらしい方法だ。
日本では、モンセラットさんの著書「読書で遊ぼう!アニマシオン」(柏書房、1997)が翻訳出版されると、たちまち学校の教師や司書の間でブームを呼んだ。筆者は、これまで、この本を翻訳するなどの活動を通してモンセラさんたちの実践を紹介してこられた佐藤美智代さんと青柳啓子さん、そして全国各地で精力的にアニマシオンの勉強会を催してこられた黒木秀子さんとの交流を通して、この社会文化アニマシオンを背景とする「読書へのアニマシオン」に触れてきた。しかし、フランスにおける社会文化アニマシオンがどのように展開されていて、それが、どのような点でスペインのモンセラットさんに影響を与えたのかが具体的に見えなかった。それでも、ただ、なんとなく、現在学校教育の場に流布している「アニマシオン」や「読書クイズ」なるものの多くに違和感あった。このことが、今回、黒木さんが端的かつ的確に語ってくださったことによって納得のいくように整理されたような気がする。これを機に、今後、読書へのアニマシオンに対する理解がいっそう深まり、誤解も解消することを期待したい。
アニマシオンが社会教育(あるいは学校教育)として、今後日本に根付くためには、青少年にとっても指導者にとっても、もっと時間的(かつ精神的)なゆとりをもつことが必要であろう。ところが、先般、日本の学校教育に導入された「ゆとり」は、学校選択性の導入や習熟度別学習や発展的学習などと一体となって学力格差の拡大を助長している。明治以降の近代化によって日本人が犠牲にしてきた「ゆとり」の文化のヨーロッパとの違いこそが、私たちがまず克服しなければならない課題であろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます