おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

1年間ありがとうございました。今日はマザ-テレサについてです。

2013-10-28 | 日記


皆様の励みをいただき何とか1年を過ごすことができました。
ほんとうにありがとうございました。

毎日毎日、ブログに何を書くのかを
考えなら過ごしてきました。



この1年で一番、印象に残ったことは
保江先生の「愛魂(あいき)」でした。
稽古では、「愛すること」についての楽しい先生のお話で
あっという間の2時間半。

僕は、凝り性なので疑問を持ちながらどうして?と。
稽古でマザ-テレサのことが話されます。

古本屋で沖 守弘さんの
マザ-・テレサ あふれる愛」を200円で購入。


読んでいて自然に涙が出てきます。

ノ-ベル平和賞を受賞されインドで貧し人たちを
援助されている程度しかの知識しかありませんでした。

沖さんの本でマザ-テレサの「愛」についてを知りました。

「だれにも見向きもされなかったかもしれない。
路上で生まれ、路上で死ぬ身かもしれない、

でもせめて
死の瞬間だけでも人間らしくさせてあげたい・・・・」


僕はこの文章を読んで心の底から自分の恥ずかしさを感じて
涙がこぼれてきました。
「死の瞬間だけでも人間らしくさせてあげたい」
人間の尊厳さを思い知らされました。


この写真は、沖さんが撮影されたものです。
「死を前にした2人の老婆にボランティアの女性が語りかけていた。
2人とも自分が余命いくばくもないことを知っている。
それゆえか、その若い美しい女性の手を握って離そうとしない。」
と写真のコメント。



この本からの紹介です。
ドリスたち見習生は、午前中の奉仕活動が終わり昼食をすませると、英語やキリスト教理の
学習をはじめる。そして午後の奉仕、祈り、夕食、夜の祈り、午後九時半には就寝という毎日
の生活は、ドリスにとっては快適で、奉仕し祈りをあげる一日ごとに、心が豊かに充たされて
いくのを感じとることができた、という。
こうして、くじけることなく、初心をつらぬき、見習期、志願期、修練期を終えたドリスは、
三つの誓願、さらに最終誓願をしてシスターになった。


 三つの誓願とは、
 一 貧しい人を愛するために自分も貧しくなることを誓う「清貧の誓願」
二 心をわかつことなくキリストヘの全面奉献を誓う「貞潔の誓願」
三 心から素直に従う「従順の誓願」
の三つであり、またマザーの修道会にしかない最終誓願というのは、貧しい人のため報酬を
うけずに心から仕えるという「特別誓願」でミシスター・ドリスがこれらの誓願のすべてを終
えた時は、はじめてマザーの門をたたいてから八年の歳月が流れていた。

いま、シスター・ドリスは、ハンセン氏病患者の自力更生施設、〈サンチナガール(平和の村)〉
にいる。

ぼくが、夕暮れの〈平和の村〉をたずねた時、ドリスは病棟で、患者たちの膿を洗い、消毒
していた。

 その時の話を、あとで語ってくれた。
 「鼻が欠けてうまく発音できないお婆さんが窓の外を指さしてなにかいったのよね。だから私は、
もう夜だわ、今日はこれで終りね、といったらね、隣のベットにいる患者が、ちがうのよ、シスター、
彼女はごはんまだかっていってるのよ、だって」      ・
 ドリスは、うれしくてたまらないといった顔で笑った。
 ドリスは、夜、病棟から宿舎に帰ってくる途中、闇に沈んだ〈平和の村〉をみると、いつも感
動で胸をしめつけられるようになる、という。
 手術室の灯りも消えヽ三棟ある病棟の灯もひとつずつ消えていく。



遠くの丘の上に患者の家族が住む家々の灯りがみえる。そのむこうは空一面の星。
 「ここには、シャンデリアもおいしいケーキもない。だけど、私にとっては、昔、お嬢さんで
いた時よりも数十倍もたのしいの。わかる、オキ。たくさんの苦しんでいる人が私を待ってい
てくれ、いま安心して床についている。私は貧しい人、苦しんでる人のひとりになることがで
きたのよ。私はなにも持っていないけれども、私の胸にはこんなに愛があふれているからなのよ」
 ぼくたちはとかく、彼女たちをみると、悲壮感とかある種の驕りといったものを連想するけ
れども、それはまちかっている。

 ドリスがいうように、シスターたちは決して悲壮な覚悟で仕事をしているのではない。社会
奉仕とか慈善事業をしようとしているのでもない。まして、世間の評判になろうなどとは、ま
ったく思ってもいない。
 ぼくはマザーのことばを引用する。

親切で慈しみ深くありなさい
あなたに出会った人がだれでも
前よりももっと気持よく
明るくなって帰るようになさい
親切があなたの表情に
まなざしに、ほほえみに
温く声をかけることばにあらわれるように

子どもにも貧しい人にも
苦しんでいる孤独な人すべてに
いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい
世話するだけでなく
あなたの心をあたえなさい。(半田基子訳)

 
彼女たちが貧しい人を愛する理由のひとつに、貧しい者は金持よりよく笑うからという。
そして、マザーもその姉妹たちのいるところにはどこでも、笑いがあふれている。

「笑いがあふれている。」の文章を読んだとき
保江先生の「愛魂」の稽古でも
初めから終わりまで笑いにあふれていることを思い出しました。


沖さんの本を読んで自分の出来ることは何か・・・
僕の母は、11月が来ると96才になります。
お風呂と洗濯は自分で。

母は、敬虔なカトリックのクリスチャンで、
50年以上、毎日祈っています。

マザ-テレサは、「死の瞬間だけでも人間らしくさせてあげたい」と。

昨日もこれから寒くなるので上に着る物を買いました。
前の日に買った、湯豆腐セットを忘れてお昼に用意して食べさせました。
夜に残りをと。

魚屋さんでカレ-を買って煮て湯豆腐に入れました。

母は神様からお迎えの来るのを何も思わずに
ただ待っています。
それまで少しでも楽しい食事をと。

最近は、ぐちも言わないで
「ありがとう 助かるわ」と言っています。

子が親を面倒見るのがと考えていましたが、
マザ-テレサの言葉に、目覚めました。

小さいことかも知れませんがそれが人間の尊厳に繋がればと。

次の保江先生の稽古に
沖さんの写真を持って行こうと思います。
そして「いつでもよろこびにあふれた笑顔」を。

楽しいですね。

ありがとうございました。
マザ-テレサの写真は、「マザ-テレサあふれる愛」からです。
雪の写真は、5月の金峯山寺の戸開けのときの写真です。

コメント
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