先日、孫のクリスマスプレゼントを買いに
横浜駅西口のヤマハに行きました。
楽譜売り場に書籍があり、「感動する脳」(茂木健一郎)(税別552円)を見つけました。
僕は、箱根勤行でも横浜港の散策でも感動することが多くなりました。
高齢になり涙もろくなったのかなあ・・・と思っていました。
茂木さんの本読んでそれは間違いであることを知り、また自信を持ちました。
少し長くなりますが、一部を転載します。
是非、お買いになってお読み下さい。面白いですよ!
「あなたは今、人生をどれくらい意欲的に生きていますか? 5段階で評価してください」というアンケートを取るとします。きわめて曖昧な質問で、答える人も「う-ん、3か4くらいかなあ」と適当に答えます。ところがこの適当に答えた結果が、中枢の脳活動ときわめて精密に対応しているということが分かってきました。つまり自己評価が高い人ほど、脳の活動も活発であるというわけです。従って、ある心の持ちように対して、必ず脳の活動の裏付けがあるということになる。
たとえば「前向きに生きよう」などというアドバイスがよくなされます。一見すると単なる精神論のようにも思えますが、実は非常に脳科学の理屈に合ったアドバイスとも言えるのです。前向きの気持ちで生きている時には、前向きに生きる時の脳の状態があります。後ろ向きに生きている時には、脳もまた後ろ向きの働きをしている。感情というものに大きく関係する情動系と呼ばれる部分があります。大脳皮質の下の大脳辺縁系を中心とする領域にある物質。この物質が、前向きに生きる時と後ろ向きに生きる時とでは、その状態がまったく違ってくる。
従って前向きに生きるというのは、実は気のせいでも、心の持ちようでもないのです。脳の中には、実際にそれを左右するインフラが組み込まれているわけです。人生に意欲を持って生きている時には、意欲を持っている時の脳の状態が実際にあるのです。
ということは何を意味するのか。意欲がなくなっていると感じたら、意欲を持っている時の脳の状態をつくってしまえばいいわけです。別に具体的な目標などを探さなくてもいい。無理して何かを始める必要もない。とにかく意欲ある脳をつくってしまう。そしてI度つくってしまえばしめたもの。脳のインフラが勝手に整備されますから、自然にやる気が起こってくる。やる気が出てくれば具体的な目標も次々と生まれてくるでしょう。
私はよく「根拠なき自信」が大切だと言っています。自信というものは普通、何らかの成功体験から生まれます。つまりは、自信を持つには何らかの裏付けが必要だとされている。もちろんそれも大事なことですが、私はあえて逆の発想をします。そう、まずは何の成功体験もないのに、最初に自信を持ってしまうのです。
「自分は必ずできる」「オレには自信がある」と勝手に信じてしまう。「どうしてできると言えるのか?」「その自信はどこから来るんだ?」と聞かれても、そんな根拠はどうでもいい。とにかく自分には自信があるんだと考える。そうすると面白いことに、自信を持っている脳の状態ができ上がってしまうのです。
人生は不確実性の連続です。先のことなど誰も分からない。どんな出来事に出会うかも分からない。その不確実性に対して前向きに闘う力が自信なのです。事実、自信を持って不確実性に向き合うか、自信もなくビクビクと向き合うか。その結果は自ずと変わってくるものです。
引っ込み思案な人は、その脳までもが引っ込み思案になっています。まずは自信を持って、積極的な脳をつくる。自信の根拠なんてなくてもいい。そんなものは後からくっつければいいのです。
ただ、大切なことは、せっかく備わっている感情の回路を鍛えることだと思います。やはり創造的な人というのは、一般的に感情が豊かな人が多い。特に感動したことに対しては、素直にその感動を言葉や体で表現する。これはとても大事なことだと私は思います。
感動は数値で表わすことはできませんが、たとえば同じくらいの感動を昧わった二人がいたとします。Aさんはその感動を言葉に表わし、身振り手振りで誰かに伝える。Bさんはその感動を静かに自分の心の中で受け止め、一人でそれに浸っている。とな’ると、全く同じ感動を昧わったとしても、感情の回路が強化されるのはきっとAさんのほうでしょう。もしこういう生き方を二人が続けたとしたら、Aさんのほうが創造的になるのは明らかです。
表に出さないという日本の美徳は素晴らしいものです。それは上品な国民性として私も誇りに思います。しかしそれとは別に、感情の回路を鍛えることも大切です。
人はそれぞれが遺伝子(DNA)を持って生まれてきます。DNAというのはまさに人間の設計図のようなものであり、それに沿ったかたちで人は成長していくわけです。そこで多くの人は勘違いをしています。設計図には完成品が描かれているのだと。
自分には自分のDNAが既にあるのだから、それに逆らっても仕方がない。いくらあがいたところで自分のDNAは変えられるものではないと。そんなふうに思い込んでいませんか。もしそう考えているとしたら、それは大きな間違いです。DNAには、完成品など書き込まれていません。実際に人間の脳というのは、生きている限り自発的に活動し続けています。
そしてそれに伴って、神経細胞の結びつきというのも変化している。中高年になったから活動しなくなるというのは間違いです。よく「もう年だから、若い頃のように頭が働かないよ」とか「脳細胞がどんどん消滅していくのだから、今から新しいことを始めるのはムリだよ」と言う人がいるでしょう。それは単に自分が努力をしていないだけ。生きる意欲がなくなってきただけなのです。
我々は専門用語で「オープンーエンド」と言いますが、脳はいつまで経っても完成を迎えることのない、まさに青天井の構造をしているのです。なのに自分で天井を勝手に決めてしまうのは勿体ないことです。
人間の寿命はせいぜい百年くらいのものです。どんな頑強な人間でも、百年もすれば死んでしまいます。ならば百歳で死を迎える時に脳は完成しているのかと言うと、実はまだまだ発展途上に過ぎない。もしも人間が二百年も三百年も生きられたとしたなら、脳は三百年間も変化し続けることになります。
つまり人生というのは、実は永遠に完成することのない、終着点のない旅だとも言えるでしょう 0生きている限りにおいて、脳は何百年でも変化を続けている。従って人間の脳というのは、非常に残念なことに、どこまで行けるかというその限界を見ないうちに寿命を迎えてしまう運命にあるのです。
感動の意義は、それを感じた人間がその後どう生きるかということに関わってくるのです。
「感動することをやめた人は、生きていないのと同じである。」(アインシュタイン)
実は、最近「成功者が学ぶ気功術メルマガ」がきましたが、同じようなことが書かれていました。
清水義久さんの金運のセミナ-からです。
清水さんと茂木さんの話が重なりました。
ありがとうございました。