11/26日、毎年1回大学の同期の仲間と忘年会を兼ねて食事会です。
僕たちは、大学のサ-クルで経済・法科の人たちが中心で
工学部は、僕だけ。
皆さん2回目のお勤めも終わって、いろいろなことをしています。
絵画や歴史探訪や経済のセミナ-に参加しています。
でももう半世紀を超えました。年月の経つのは早いものですね。
その前に、東京スカイツリ-に。
外は、あいにくと風と雨。
晴れていれば、スカツリ-から亀戸まで歩く予定でした。
クリスマスの飾り着けを楽しみに。
スカイツリ-の展望台は雲の中。
いつも沢山の人がいますが、さすが誰もいません。
お土産コ-ナ-もがらんとしていました。
いつもの職人さんは、漆工の安宅信太郎さんです。
亀戸に行く道を聞きました。
曳舟から亀戸まで東武電車が走っていると。
2両連結の全部で5駅しかありません。
こんな短い区間の電車が東京のど真ん中を走っているとは。
でもお客さんは結構、乗っています。
今日の会食の場所は、升本本店。
その隣に観光案内所。
お店に入ると年代ものの江戸切り子。
いつも見るのは、コップが多くこのようは芸術作品は始めてです。
升本さんブログから亀戸大根の話。
亀戸は昔、小さな島からなっており、その形が亀に似ていることから亀島と呼ばれていました。
葦の海辺が次第に堆積して出来た亀島に、やがて村落が形成され、まわりの島々と陸続きとなって耕地にうつり変わり、亀村といわれる様になりました。
後に臥龍梅庭(現存せず)にあったという井戸(亀ヶ井)と混同され、亀井戸から「井」が略されて亀戸と呼ばれるようになったと伝えられています。
亀戸大根は、文久年間(1861~1864)の頃、香取神社周辺で栽培され始め、さかんに栽培された明治の頃は「おかめ大根」とか「お多福大根」と呼ばれていましたが、大正初期に産地の名をつけて「亀戸大根」と呼ばれるようになりました。
当地は荒川水系によって出来た肥沃な粘土質で、大根作りに大変適していましたが、住宅化が進み今では「幻の大根」となってしまいました。明治38年、酒屋としてこの地亀戸に創業した升本は、戦後「亀戸升本」に生まれ変わりました。
現在この珍しい「亀戸大根」を契約農家で栽培し、「亀戸大根あさり鍋」をはじめ、様々なお料理でお楽しみ頂いております。
仲間のみなさんと楽しい一時でした。
実は、帰り際に大根の葉をちょっと失敬。
辛みもなく軟らかく美味しいかった。
僕は、平気で生野菜を食べます。
以前にもブログに書きましたが、味覚を研ぎ澄ますことの大切さを。
音楽家は、良い料理を食べることでその感性が豊かになると。
奥駆修行を終わったときに横浜では、いつもの天麩羅屋の天富さんで穴子。
穴子は産地により味が違うし、いつ調理したかでも味に違いがあります。
最近、五感を大切にしていると、本を読んでいてもひらめきが多くなりました。
これからも、亀戸大根の葉を生で味会う機会はないでしょうね。
ありがとうございました。