おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

亀戸で江戸の幻の野菜-亀戸大根を味わいました。

2014-12-02 | 日記

11/26日、毎年1回大学の同期の仲間と忘年会を兼ねて食事会です。

僕たちは、大学のサ-クルで経済・法科の人たちが中心で

工学部は、僕だけ。

皆さん2回目のお勤めも終わって、いろいろなことをしています。

絵画や歴史探訪や経済のセミナ-に参加しています。

でももう半世紀を超えました。年月の経つのは早いものですね。

その前に、東京スカイツリ-に。

   

   

   

外は、あいにくと風と雨。

晴れていれば、スカツリ-から亀戸まで歩く予定でした。

   

   

クリスマスの飾り着けを楽しみに。

   

スカイツリ-の展望台は雲の中。

   

   

いつも沢山の人がいますが、さすが誰もいません。

お土産コ-ナ-もがらんとしていました。

    

いつもの職人さんは、漆工の安宅信太郎さんです。

    

   

亀戸に行く道を聞きました。

曳舟から亀戸まで東武電車が走っていると。

2両連結の全部で5駅しかありません。

こんな短い区間の電車が東京のど真ん中を走っているとは。

でもお客さんは結構、乗っています。

   

   

   

今日の会食の場所は、升本本店。

その隣に観光案内所。

    

    

お店に入ると年代ものの江戸切り子。

いつも見るのは、コップが多くこのようは芸術作品は始めてです。

    

 

 升本さんブログから亀戸大根の話。

亀戸は昔、小さな島からなっており、その形が亀に似ていることから亀島と呼ばれていました。
葦の海辺が次第に堆積して出来た亀島に、やがて村落が形成され、まわりの島々と陸続きとなって耕地にうつり変わり、亀村といわれる様になりました。
後に臥龍梅庭(現存せず)にあったという井戸(亀ヶ井)と混同され、亀井戸から「井」が略されて亀戸と呼ばれるようになったと伝えられています。

亀戸大根は、文久年間(1861~1864)の頃、香取神社周辺で栽培され始め、さかんに栽培された明治の頃は「おかめ大根」とか「お多福大根」と呼ばれていましたが、大正初期に産地の名をつけて「亀戸大根」と呼ばれるようになりました。
当地は荒川水系によって出来た肥沃な粘土質で、大根作りに大変適していましたが、住宅化が進み今では「幻の大根」となってしまいました。明治38年、酒屋としてこの地亀戸に創業した升本は、戦後「亀戸升本」に生まれ変わりました。
現在この珍しい「亀戸大根」を契約農家で栽培し、「亀戸大根あさり鍋」をはじめ、様々なお料理でお楽しみ頂いております。

仲間のみなさんと楽しい一時でした。

   

実は、帰り際に大根の葉をちょっと失敬。

辛みもなく軟らかく美味しいかった。

僕は、平気で生野菜を食べます。

   

    

以前にもブログに書きましたが、味覚を研ぎ澄ますことの大切さを。

音楽家は、良い料理を食べることでその感性が豊かになると。

奥駆修行を終わったときに横浜では、いつもの天麩羅屋の天富さんで穴子。

穴子は産地により味が違うし、いつ調理したかでも味に違いがあります。

最近、五感を大切にしていると、本を読んでいてもひらめきが多くなりました。

これからも、亀戸大根の葉を生で味会う機会はないでしょうね。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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