町並み情景工房

 尼崎寺町

2月19日 神戸方面への「トラウマ克服するゾ”ライブ」で、三和市場に初出没” 

午後になってからの出発(何時もは早朝です)阪神出屋敷駅からの、台車ライブの始まりです。目的地は、特にはありません、しいて言えば尼崎城かな?、先週の雪がウソみたいな、良い季節を感じながら、三和市場の中へ・・・「久しぶりに、元気な商店街に出会いましたよ」、とにかく、魚も野菜も安い”、ちょうど夕食の買い物時間帯だからか、活気度100点満点、心配していた、タイガース色もホドホド(私もタイガースファンですがソコソコの、ですので)でした。

笑覧者、洋服屋さんに「商店街の応援のつもりで来たのですが、ここは必要無いようですね」と、言うと、「元気に見えるのは、このあたりだけで、全体的にはシンドイよ、応援ありがとう、また来てやって、」、と・・・市場を抜けて・・・次は、夫婦で笑覧・・・旦那さんが手話で奥さんに、作品のお笑い部分の説明を・・・理解される度に、にこやかな、笑顔、と無言の会話が交わされています、帰りぎわには、丁寧なお礼を頂き、今日の目的すべて完了”気分です。しかし、この時点で写真一枚も撮れずで、「来ましたヨ証拠写真」と歴史散策が、まだで、寺町へ、秀吉の中国大返しの宿舎となった所、だそうです、あまり興味の無い今回の「大河」ですが、今週ぐらいの放映場面があるのかな?。

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寺町とは、城を作る際に、寺を一か所に集めたもので、アメリカの空襲からも、のがれ、残ったそうです、この説明をしてくれた笑覧者の家(工務店)も明治時代の建物だそうです、

この人に、城跡への道筋も教えて貰い、つぎの機会に訪れます、私の好きな武将の一人、 荒木村重の嫡男が一時収めていた城で、信長に反乱しその後、伊丹有岡城落城で単身落ちのび、この城へ逃げ込んだそうです、以後、「私は道ばたの糞に等しい」と、名を「道糞」と改めて生涯を全うしています、「何故、あの信長が彼の命を取らなかったのか?」、より苦しめを・・・そんな処だと、解釈していますが、ご存知の方教えて下さい。

今日の笑覧者総数(会話あり)・・・20人   子ども・・・20人

反省・・・関心をよせられた人に「見ますかー?」と言うと、顔の前で手を振り、「売り付けられるのでは、」と、急に小走りになる人が多くて、「売り物ではありません」の告知看板が角度によっては、見えにくいようでした。で、なければ私の人相・・・・?

 

ライブ時によく聞かれる質問に・・・「銭にもならん事を、なんで・・・?」が、あります。

「誰かの役にたっている」、つもりのこんな活動、理解されるには、マダマダのようです。

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地の人いわく 「日曜日なら観光客が多くて見てもらえるのに」  

「いいえ、今日もいい人との出会い、たくさんありましたよ。」


町おこしのためのジオラマです。

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