百姓彫刻
昔々、東北の、とある山合いの村では、農閑期になると、男たちは囲炉裏ばたで、傍らにある材木で、人の仕草などを彫っていました。
そして、それを寺や宮での、寄り合いのつどに持ち寄り、自慢し競い合って酒の肴にして、長い冬を過ごしていたそうです。
生き人形
江戸時代になると、各地に「名人」と呼ばれる達人が現れ、江戸日本橋を含め、作品展示の見世物小屋が各地にできたそうです。
立派に興行として成り立っていたんですね、
しかし、長くは続かなかったようで、作品もちりじりに・・・
それらへの評価は低く、その後も、芸術品として認められることはなく多くは廃棄されました。
なんと、これらを最初に評価したのは、戦後(太平洋戦争)の進駐軍でした。
アメリカに渡った作品はオークションにより各国に散らばり、日本に残っているのは数点だけです。
現代でも、その流れでの、素晴らしい作品を造られておられる方は多くおられるようです、しかし、江戸時代の作品のような「動き」「仕草」を表現しているものは少なく、「技術はあるのに勿体ない!」…
まして、人を笑わしたり、楽しくさせる作品は、あまりみられないようです。
(生き人形の写真、転載不可”でナシ!)
・そして…仕草彫り
・写真設定・・・(交番所のむこう近くに銭湯があります)
(何事にも無関心な人と、ちょっとだけ…の人)
(双子さん、服も興味対象も、リアクションも同程度”)
こんな流れで「仕草彫り」と名付けました、そして、
人形の舞台にジオラマを・・・ごく自然に、です。
・作品は「いっぱいの蕎麦屋さん」
店内には、客とたくさんの出前の蕎麦があります。
この作品の場合は、ジオラマに合わせて人形が出来ました。