映画「ジャージー・ボーイズ」
ネタばれしていますので、ご注意ください。
ステージからスクリーンへ(1)
ステージからスクリーンへ(2)
ステージからスクリーンへ(3)
★「追憶の劇」ということ
「ジャージー・ボーイズ」は追憶の劇です。つまり、そこで見せられるのは、過去の話ではあるのですが、一人ひとりの追憶の向こうにある過去なのであって、過去をそのまま見せられるわけではありません。
舞台は、ほぼ裸舞台に近いシンプルな舞台なのですが、プロジェクションや照明効果を駆使して、ひとりひとりが追憶の彼方から自らのストリーをひっぱり出してきて、詩情豊かに見せてくれます。音楽の効果は、いまさら言うまでもありません。
私は、回数を見れば見るほど、同じく「追憶劇」として有名な、テネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」に近い情緒を感じてしまうのですが、実際、ラスベガスで長い間フランキーをやっていたリック・ファーニョも「ジャージー・ボーイズはテネシー・ウィリアムズなどのアメリカの演劇の伝統を踏襲していることに気づいてもらえると思う」と話していたことがありました。
でも、映画にするとどうなるでしょう。映画でも「追憶」をテーマにした作品は数ありますが…
この「ジャージー・ボーイズ」の映画では、画面全体を抑え気味のトーンにして独特の効果を出し、また全体の話の流れも、いかにも人の記憶をなぞるような、ゆっくりとした自然なペースで展開します。「ジャージー・ボーイズ」はミュージカル舞台の映画化というよりは、舞台の脚本をもとに、伝記映画としての要素を強くした…と以前にも書きましたが、もっと言えば、単なる伝記映画ではなく、基本的な部分は舞台と同じ…つまり「良質の追憶劇」であるということです。
アメリカのポスターのほうは、日本のものよりも色調が暗く、街灯の明かりとのコントラストもはっきりしていて、4人が追憶の世界に浮かんでいるように見えます。それよりも、アメリカのもののほうが「追憶」のイメージを強く打ち出していると思うのは、そこの書かれている言葉。
ちなみに、日本のものは
「夢・栄光と挫折― それでも僕らは歌い続ける」
印象としては、フランキーの心情に一番近いように聞こえます。また、これは台詞として出てくる言葉ではありません。おそらく、日本側の関係者が、少しでも日本の人にアピールするような、ちょっと感傷的なフレーズをつけたのでしょう。(これはこれで悪くありません)
アメリカのものは
“Everybody remembers it how they need to”
これは、トミーの台詞から取っています。「人ってのは、(過ぎ去ったことは)自分に都合のいいように覚えているもんさ」というような意味…この映画の日本のHPのプロダクションノートに「人の記憶は都合がいい」というタイトルが付いているのは、この台詞の日本語訳でしょう。字幕がこうなっているものと思われます。
このトミーの台詞の前後も紹介しましょう(ここは、舞台も映画も同じです)
「俺は今、ジョー・ペシの下で働いてんだ…数ヶ月前、奴を車に乗せていたとき『トミー、ちょっと訊くけどな、おまえは昔の自分はどんな奴だったと覚えてるんだ?』って言うんだ。で、言ってやった『俺は、まじで立派な人間だったよ』そしたら、ペシ『ホントのことを言わせてもらうぜ。おまえはメチャクチャ嫌な奴だったよ。お前みたいなろくでなしには、みんな我慢できなかった…よほどのことがない限りはな!』」
次に、このトミーの台詞が入ります。
“Everybody remembers it how they need to”
そしてトミーは続けます。
「事実、俺がフランキーを初めてステージに上げ、ボブ・ゴーディオをグループに入れ、ヒット曲が出るまで頑張ったんだ…故郷では、俺は今でもヒーローだぜ!」
相変わらず、調子のいいこと言っています(笑)
実際のトミー・デビートについては、こちらの記事もお読みください。
舞台でも、トミーは大喝さいを受けて舞台を去ります。もちろん、他の3人も同様に大喝さいを浴びます…追憶の中から引っ張り出してきたそれぞれのストリーに観客が共感し、長いときをかけて、それぞれの人生が肯定された瞬間で、とても感動的。映画では、ここのシーン…難しかったと思いますが…とりあえず「努力賞」はあげたいと思います。
★時系列
映画の始まりは「1951年 ニュー・ジャージー、ベルビル」と表示され、あとは正確な年代が表示されるのは、最後のロックの殿堂入りの「1990年 ニューヨーク」だけ。その間は、大ヒットを生み出したシーンでさえ、正確な年は表示されません。フランキー・ヴァリは長いキャリアを持つミュージシャンであり、その道のりは音楽ファンには広く知られているところだと思いますが、映画では、別に「年代記」という意味合いを持たせようとはしていないようです。舞台でも、この辺りは正確ではありませんが、映画にすると、もっとドキュメンタリー風にもできると思うのですが、敢えてやっていないようですね。ですから…厳密にいえば「伝記映画」とも言いにくいかも。
とにかく、「ジャージー・ボーイズ」は、約40年間の「物語」です。それも、それぞれが記憶の中から引っ張り出してきているんです。正確でなかったり、「都合が良かったり」するのも当然…ということなのですね。見る側が、ここの「合意」ができるかどうかが、この映画を楽しめるかどうかのカギになるでしょう。
高利貸しのワクスマンが楽屋まで押し掛けてきたとき、ニックは「実は、金銭問題は前からあったんだ」と語り、場面は2年前のオハイオに変わります。ここ「その2年前」なんて、あまりにアバウトな表示が出るので…「ちょ~、えらくいい加減じゃないか!」と、ウケてしまいました(笑)このシーンが象徴的。
また、これまでの試写の段階でも気づかれた人がいらっしゃると思いますが…あの名曲Can’t Take My Eyes Off You(君の瞳に恋してる)が出来たのは、あの「時期」でいいのか?…ということですが、ここは実は舞台とも違わせています。
舞台では、第2幕は、トミーの金銭問題が発覚し、フランキーが支払うことになり、家庭を犠牲にしながらも必死で歌い続け、ボブも名曲を世の出そうと格闘する。努力の甲斐あって、名曲は大ヒットして、借金も返済、娘との仲にも良い兆しがみられる…そこで一息ついたところに「悲劇」が起きる、という流れになります。つまり、「君の瞳に恋してる」のヒットのときは、まだ悲劇は起きていませんでした。それでも、舞台の観客たちは、フランキーとボブが、さまざまな困難の中で名曲を世に出していく過程を胸に迫る思いで見守っており、ついにはフランキーの「夢のシンボル」でもあったホーンセクションも華々しく登場するので、この曲のシーンは非常に感動的です。
映画の展開は、舞台ほどの「浮き沈み」はありません。つまり、物語の構成として、後半に山をいくつも持ってくるのを避けて、構成的にすっきり見えるように単純化したのだろうと思います。映画でも、あの流れにすると、かなり冗長に見えてしまうでしょう。
ただ、名曲誕生については、映画では、失意のフランキーを救おうと、ボブが友人として、アーティストとして最高の仕事をする…という流れになっていますが、フランキーの役割が受動的に見えるのが残念ですね。舞台では、ボブの格闘を傍で見守るフランキーが、アーティストとしてさらなる成長を遂げる姿も描かれます。舞台では、まずボブが、「これは自分の曲なんだ、レコード会社の曲じゃないぞ!」…という強固な意識を持って世に出そうとする。そして、やがて観客の前で披露する機会を得て、フランキーが渾身の歌唱で聴かせ、大喝さいを浴びると、ボブは、今度は「この曲はもう君の曲だよ」と言いたげにステージを去ります。つまり、舞台には、「名曲誕生」にまつわる普遍のドラマがあるとも言えるのですが、映画では単純に「人間ドラマ」にされてしまっているような印象。
いずれにしても、フランキー役のジョン・ロイド・ヤングの歌い終えたときの表情を見たら「これはこれでいいじゃないか」と納得しました。ジョンのあの表情を見たら、細かいところをぐだぐだ言わなくても~と思えてしまうのでした(笑)
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