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And This Is Not Elf Land

ステージからスクリーンへ(14)




フランキーには「声」があり、ボブには「曲作りの才能」があり、この二人のコンビネーションが数々の名曲を生み出し、成功をもたらしました。

この二人がそれぞれに持って生まれた自らの才能とどう向き合ったのか…ここも非常に面白い。

ボブの歌うCry For Meに魅せられたウェイトレスたちが「この歌は特定の女性のことを歌っているの?」と声をかけたとき「いや、これはTSエリオットの客観的相関物だ」と、いともあっさりとボブは答えます。会話の中に当たり前にTSエリオットが登場するというのは、相当に知的な人間として描かれているということでしょう。

若干15歳で大ヒット曲を生み出したボブは、フランキーの歌声に惚れ込み、二人はパートナーとなります。天才肌のボブは臆することなく夢や理想を求めます。

ここで重要なのは、ボブには広い視野と先見性、論理的な思考力がある一方、平均的なジャージー・ボーイであるフランキーにはそれがなく、その部分においては、二人は決して対等ではなかったということです。

舞台でも映画でも、ボブの加入が決まった次のシーンで、フランキーとボブがブリル・ビルディングへデモテープの売込みのフォローアップに行くと言います。映画では、フランキーは「家族もいるし、もっと安定した生活をしたいから」との理由をトミーに言います。ここは舞台にはありませんでしたが、この台詞というのは、まさに本音であったのかも知れませんし、あるいは、トミーにはとりあえずこう言っておくしかなかったのかも知れません。

映画においても…フランキーは素晴らしい声を持っているということで人々から注目され、賞賛されますが、フランキー自身の「野心」「夢」というものが筋書の中にあまり見えてこない。映画では、冒頭のシーンでジップ・デカルロから「お前は世界的に有名な歌手になるぞ」と言われても「本当になれるのかなぁ」と自信なさげ。次に、フランキーはボブとの繋がりを深くしますが、それは単に収入を増やして安定した暮らしがしたいからなのか、歌手として成功したいからなのか、どちらとも言えないような感じです。

ただ、才気あふれるボブと一緒にいれば、何らかの可能性が開けるだろうという予感を、フランキーは信じていたのではないかという気がします。

ボブの加入について話していたとき、ボブの態度が気に入らないトミーは「あれくらいの奴はゴマンといる!」と反対しますが、ニックは「どこにゴマンといるって言うんだ!」と言い返します。ニックはボブの才能にすぐに気づきました。映画では触れられなくて残念でしたが、実はニックも「ハーモニーの天才」と言われるほどの才能があり、即興でコーラスを作れる人でした。また、ここは映画にもありましたが、フランキーに歌の手ほどきもしたのもニックでした。

しかし、結局はフランキーとボブは、ニック抜きで、「ジャージー契約」を交わしてしまいます。このことについて、フランキーはずっと後ろめたい気持ちを抱いていました。ニックが去り際に「秘密の契約なんてまっぴらごめんだ!」とぶちまけたときに、舞台のフランキーは慌てふためいた表情をしますが、映画では特に表情を変えませんでした。

しかし、昔なじみだったトミーもニックも去ってしまい、フランキーは何も感じないでいられるはずもありません。フランキーもトミーやニックと同じ世界で生きていた人間でした。しかし、ボブはあくまでもビジネスライク…元気をなくしているフランキーに、映画でのボブは新しいメンバーのことを話します。舞台では「大勢いる人間の中からベストの人材を選べばいいだけだ」と言います。私はこの台詞を聞くと、ボブの加入に反対するトミーに対してニックが言った「(ボブのような奴が)どこにゴマンといるって言うんだ?」の台詞が頭の中でリフレインされます…結局、ボブにとってニックは「大勢のうちの一人」でしかなかったのでした。

映画では、表情がはっきりと映し出されるだけに、ボブの意向に従ってフランキーが動いているような印象が強くなっています。舞台にはないのですが、トミーに会計から手を引くように迫るシーンでは(実際のフォー・シーズンズには、こういう場面はあったのだそうです)ニックが「多数決で決めればいいじゃないか」と提案したとき、フランキーとボブは「想定外」のニックの発言に一瞬戸惑う表情を見せます。そして、ボブがフランキーに目で合図を送っています。おそらく「そんな決め方をさせちゃいけない」と言いたかったんでしょう。ちょっとしたシーンではありますが、ここまでボブの影響がフランキーに及んでいるのを見て、私は衝撃を受けました。

フランキーは「何故そうやっていつも僕を説得させてしまうんだ?」と言いながらも、ボブとのパートナーシップを続けていきます。


そして、終盤ですが…ここは舞台と映画と筋書が変わってしまっているので、フランキーとボブの関係については、舞台とはずいぶん印象が違うものになってしまいました。

舞台では、借金返済にあえいでいる中でボブは「君の瞳に恋してる」を書きあげます。しかし、レコード会社はせっかくの曲をリリースしてくれそうにありません。このあたりは映画でも描かれていましたが…ボブは自ら社長やラジオのDJと交渉します。「この曲は僕のものだ」とソングライターとしての誇りも新たに、自らの手でプロモーションをします。

舞台の第2幕は、実はフランキー役は「出ずっぱり」なのです。ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」のフランキー役というのは、俳優にとって非常に負担が大きい。(だから、事実上のダブル・キャストになっている)この第2幕の、ボブが曲を世に出そうとに駆けずり回るシーンぐらいはフランキー役を引っ込めてもいいのではないかとも思えます…その後には最大の見せ場である「君の瞳に恋してる」のパフォーマンスが控えているわけだし、楽屋でウォーミングアップをさせたほうがいいのでは…普通に考えればそうです。しかし、舞台監督のデス・マカナフはフランキーを引っ込めません。

このときは、フランキーは舞台のそでにいて、水を飲んだりうがいをしたりして最大の見せ場の歌唱の準備をしながら、自分の曲を世に出すためのボブの苦労を見守ります。ここは、フランキーにスポットライトこそ当たっていませんが、観客からも見えるようになっています。フランキーが「片身だけ」ストリーの中にいるように見えるここの演出も本当に素晴らしいです。

これまでは才気あふれるボブに押され気味に見えたフランキーですが、ボブの闘いを目の当たりにし、「作品を創り出す」側にいる人間の苦しみにも心を寄せることができるようになっていきます。そして、名曲誕生のシーンに移るのです。

映画では、筋の展開を変えているので、ここの印象はずいぶん変わってしまっています。

娘を亡くしたフランキーに「自分を責めてはいけないよ」と言うのは、舞台では牧師です。映画ではボブでした。舞台では「その時しか登場しない」牧師にこの言葉をかけさせています。フランキーが「じゃあ、誰が責められるべきなんだ!」と絞り出すように言うのも牧師に対して。

とにかく…私の中では、ボブとフランキーは仕事上のパートナーではあっても、プライベートでは距離を置いているという印象を持っていました。ところが、映画では、年がら年中一緒に車に乗っているし…なんか、夫婦間のもめごとの相談までもしていそうな感じじゃありませんか(笑)これはちょっと違うのでは~と思いましたね。

天才肌のボブは、その才能とは裏腹に、俗事には疎いというか…そういう人間像を描いていました。私の勝手な想像だったのかも知れませんが。ボブは、ニックが言うように「現実を見ようとしない」それでも「天才であるがゆえに」それが許されていくというか…そういうタイプですね。だからこそ、好む好まざるにかかわらず、常に現実と向き合わざるを得なかったニックの怒りがあります。(この話は改めて)

映画のボブは、その声で自分の音楽の理想を具現化してくれたフランキーへの恩返しとして、失意のどん底にいるフランキーに曲を贈る、という展開になっていました。…まぁ、悪い話ではありませんし、実際ここに感動された方も多いんだと思いますが…舞台と比べると、ちょっと感傷的すぎる気もします。

先に書いたように、フランキー自身が自分の歌手としての才能を一体どうしたいと思っていたのか…ここは舞台でも見えにくい。でも、考えてみれば…舞台劇というものは、ハムレット然り、マクベス然り、「欲望という名の電車」のブランチとステラ、「オペラ座の怪人」のクリスティーヌまで「主人公の意思が見えにくい」と感じる…というのは珍しいことではありません。舞台劇の中の多くの主人公たちも、周囲との複雑な関係性の中で次第に「セルフ」がぼやけていってしまって、やがては本人の意思の及ばない大きな力の渦の中に投げ込まれていきます。観ているものはそこに普遍のドラマを感じるわけです。そして、この作品においては、フランキーにこういう役回りが与えられていると考えることもできます。

舞台の「ジャージー・ボーイズ」というのは、「舞台劇」として比較的整った形をとっています。舞台は春夏秋冬にそって4人がナレーターを務めますが、主人公であるフランキーは「冬」を語ります。苦難に翻弄されながらも、一筋の光を求めてひたすら歩みを続けます。私は「冬」のパートを見ていると、フランキーは「荒野を彷徨うキリスト」なのでは?と思うことがあります。

映画では、そこはかなり崩れてしまっています。しかし、そもそも…そういう「舞台劇としての形態」はそのままスクリーンに移すことは可能なのかどうか…それについては何とも言えません。

(続)

コメント一覧

Elaine's
4Seasons Fanさん、こんにちは!
こちらのブログが放置状態ですみません!
私も初日と最終日のチケットを買いました。確かに、前列中央部はBWであれば150ドル以上ですから、そんなに高いという感じではなくて、価格的には「一安心(笑)」でした。
キャストは北米ツアーのプロダクションが来日します。このあたりはまた記事にいたします~よろしくお願いします!
4seasons Fan
7月の公演の切符買いました!
ついに、ジャージーボーイズの来日公演の切符が発売されましたね。私は九州から上京しますので、7月4日の夕方の公演の切符を2枚買いました。前から6列目の真ん中ですから、良い席です。切符代は13000円ですが、送料、システム使用料?等がかかり、2枚で27000円ちょっとでした。でも去年の8月NYに行ったときは、1$=¥103くらいで、切符は$115ドルくらいでしたから、いまのレートを考えれば、良心的な価格ですね。
今なら、まだまだ前方の良席がいくらでも買えますよ!あとは、どんなキャストが来日するかが、興味ですね!
Elaine's
4seasons fanさま、

再びのご来訪ありがとうございます!

日本でのリリースは2月4日のようですね。日本語吹き替えが入るのではないかとの情報もあり、私も期待しています。「ジャージー・ボーイズ」は台詞がとても面白いのですが、字幕だけでは追い切れていないところがあります。歌部分はそのままで、台詞だけを吹き替えと言うのは、私はいいことだと思って期待しているのですよ。

確かに最近の円安はちょっと痛いでも、先んじて海外版を入手するメリットはありますよね。もう近隣の劇場でやらなくなってしまっていますので。

とにかく、この映画が日本でも人気を集めたのはフォーシーズンズの音楽の魅力によるところが大きいと思います。音楽系の映画ですから、ストリーももちろん大切ですが、音楽の「刷り込み度」「クセになり度」(笑)ここがミソだと思います。で、フォーシーズンズはそこを見事にクリアしていますよね。これからも注目を集め続けると思います。
4seasons Fan
ブルーレイ版
10月に何度かコメントさせてもらった、者です。
こちらのブログをときどき拝見するたびに、もっと何度も映画みておけばよかったな~、と思っていました。
さて注文していたJBのブルーレイディスク(と日本ではリージョンコードが違って、見えないDVDのセット)が、本日到着しました。10月17日にアマゾンUSAに注文して、ちょうど1ヶ月半です。送料込で$24.27でした。いまは円安ですから、3000円というところですね。本編以外の特典画像?もなかなか興味深かったです。合わせて30分くらいのものですが。
難聴の方向けとある、英語の字幕が出せますので、映画のセリフ、ト書き、歌詞および特典~メイキングや、出演者のコメント等~も分かってよかったです。
日本版のブルーレイはいつ出るか分かりませんので、興味のある方は買ってみてはいかがでしょうか?
Elaine's
suzyさま、レポートありがとうございます!!

返信が遅れて申し訳ありませんでした!

私もまたまたオーガストウィルソンに戻りたくなってしまいました。最後に見て半年になりますし…だいたい半年が「限界」ですね(笑)

ジョセフは「高スペック」なフランキーですよね、私も感心しました。彼は長い間ツアーにいて北米中の観客を魅了していました。どんな田舎町にも彼のファンがいます。ツアー隊にもあのレベルがいるのですから凄いですよね。来日キャストにも期待したいと思っています。

ジョン・エドワーズは「元大統領候補と同名」ということで面白がられたりしていて、本人もとてもいい人です。ダンスも抜群にうまい。彼がいない日には、時々フランキーの代役もしている人が出るはずです。suzyさんがご覧になったのは最近カンパニーに入った人でしょう。JERSEY BOYSは基本、あまりダンスシーンがないのですが、この役はダンスで魅せなければならないので大変ですよね。

また、最近ボブ役に戻ってきたクインはちょっと人見知りで偏屈そうな感じで、こっちのほうが私のイメージに近いです。トミー役のリチャードは、あまりカリスマ性あまりありませんが、この人も「高スペック」で歌も演技もうまいし、いい感じだと思っています。

suzyさまのレポートを読んでいると、もう本当に航空券サイトへ飛んでしまいます~(!)やはりあの舞台の興奮は格別ですよね!ありがとうございました!

suzy
3泊5日というタイトなブロードウェイへの旅でしたが、ミュージカルを3本観ることができました。
そのうちJBが3本、あと1本もジュークボックスです(笑)
滞在中は毎日オーガスト・ウィルソン・シアターへ通ったことになります(汗)
フランキーは3回ともジョセフ(ジョゼフ?)でした。
伸びやかな高音と抜群の歌唱力で、観客を圧倒していました。
舞台で動き回るジョセフは、やはりかわいいフランキー。
個人的には、ファルセットを若干苦しそうな表情で歌うJLYの方が色っぽくて好みです。
ドミニクのフランキーも観たかったのですが、スケジュールが合わず残念でした。
次回は、神々しいドミニク版フランキーに会いたいです。

ニック役のマットについては、ノープロブレムでしたよ。
だって、私は映画→舞台のにわかJBファンですので、キャストの心配ごとと言えば、JLY以外のフランキーを受け入れることができるか?その一点だけでしたので(笑)
マットは実ニックに似ているような気もしますし(ムニャムニャ・・・)

キャストで気になったことは、冒頭の”セ・ソワレ・ラ”のフレンチ・ラップ・スター役が、初日はジョン・エドワーズ(だと思います)でした。
勝手なイメージなのですが、仏領マルティニーク出身のラッパーって感じで、ダンスのキレが良くて、サイコーにかっこよく、初BWということもあり度肝を抜かれました。
ですが、2日目は小柄な白人の役者さんで、拍子抜けしてしまいました。

ところで、ボブ・クリューは今年の9月に亡くなっていたのですね。
NYCで偶然ブリル・ビルディングの前を通りかかり、「ここが2人のボブが初対面した場所だ~」と感激したばかりなので、驚きました。

帰りの機内では何気に映画「ラブ・アクチュアリー」を観まして、BCRの”Bye,Bye,Baby”が使われていて「おおーっ」となってしまいました。
(Elaine's様もとっくに話題にしていらっしゃいますね)
「フォーシーズンズはいいバンドだ」というセリフが結構唐突で、この場面をどうしても入れたい人がいたのでしょうか(笑)
最後、(Crew/Gaudio)のクレジットを目にして、感傷にひたってしまいました。

それで思ったのですが、イーストウッド監督は、”OUR SONS”を後世に伝えるために、JBを映画化したのではないかと。

また、熱く語ってしまいました。。。
Elaine's
suzyさま、お帰りなさいませ!

わ~、BWのジャージー・ボーイズはいかがでした?ジョセフでしたか?ドミニクでしたか?…なんて、私こそ聞きたいことがたくさん(!)

BWのニックのマット・ボガートは、私的には何ともびみょ~なニックのまま居座り続けていますが(笑)彼はこの"Where are the million guys?"で笑いをとるんですよね~言葉じりをとらえて面白がっているように聞こえる…"Wait a second"と相手が言えば「ホントに1秒だな」というような感じかな?他のニック役はそうじゃないんですが。

suzyさまのコメントを拝見して思ったのですが、例えば、ドミニクのフランキーは(彼自身、ニュージャージー出身のイタリア系なのですが)時々天を仰ぐような仕草をして、日本人の私には、ちょっと宗教的な感じさえ受けることがあります。何かを「与えられている」キャラクターをうまく演じています。フランキーはそういうキャラクターなのでしょうね。

それでも、フランキーにはまだ「答え」が出ていないのですよね。答えを探し求めるためにただただ歌い続けているのだと思います。

感想、楽しみにしています。

suzy
BIG COLDがNYCを襲う前日、無事帰国しました。
本音を言いますと、NYCに幽閉されたかったです(笑)
初ブロードウェイの感想は、今後しつこく書き込みさせていただくとして(笑)、私なりの14章を勝手に語らせていただきます。

映画を観ても舞台を観ても泣くことはなかった私ですが、こちらの記事を見て、嗚咽が抑えきれませんでした。
「どこにゴマンといるんだ?」といってボブを歓迎したニックに対して、「変わりは探せばいい」と言い切ったボブ・・・

このようにJBではボブは一貫して冷静冷淡な男として描かれていますが、私は少し違った印象を受けています。

映画では、ボブは初めてフランキーの歌声を聴いた時に「絶対曲を書こうと思ったね(日本語訳)」と観客に語りかけています。
それは、10代半ばの多感な時分にフランキーに出会ったその瞬間から、ボブはフランキーに魅了されたからではないでしょうか。
つまり、ボブは歌手フランキーの大ファンになってしまったのです。
ジップがそうであったように。

ジップは、これからフランキーに必ずふりかかるであろう苦難に対し、「困ったときは相談に乗る」と自ら手形を切りました。
「君は一流の歌手になってほしい」との願いを込めて。
問題解決という自分にしかできない最大のプレゼントをフランキーに贈ったのです。

ボブはフランキーに曲という、これまた自分にしかできない最高のプレゼントを贈り続けました。
少なくとも初めは「フランキーさん、どうか僕のプレゼントを受け取ってください。そしてヒットさせ有名になってください」というような一途な気持ちであっただろうと思うのです。

この想いが、後にフランキーが経済的な心配をしないで、歌に専念できるよう、ジャージー・コントラクトを結ぶに至ったのだと思います。
一連のボブの一見計算高い行為は、敬愛するフランキーへの思いやりではないでしょうか。

世の中に歌の上手い人はゴマンといます。
フランキーには歌の才能に加えて、いやそれ以上に、人を惹きつける、この人のために力になりたいと無条件に思わせる、持って生まれたスター性があるのだと思います。
そのスター性ゆえ、フランキーに対する周囲の盲目的ともいえる愛情が、フランキーから思考能力を奪ってしまい、結果3人の大切な女性、メアリー、エレイン、フランシーヌを失ってしまいました。
GETすることはスターゆえ容易にできても、KEEPすることはできない・・・これもスターの宿命でしょうか。

トミーやボブにとって、女性はカレーの福神漬のようなもので、あれば華やかでうれしいけど、なくてもかまわない程度のものだったのかもしれませんが、ニックは違いましたね。
そんなニックをElaine's様はどう捉えていらっしゃるのか、記事を楽しみにしています♪

それから、Elaine's様のおっしゃるとおり、今しか考えの及ばないジャージーボーイズと違い、先を見通すことができるボブは、ニックとトミーが脱退する日をじっと待っていました。
そしてフランキーに「あなたの時代が来ましたよ」と告げるのです。
もう、ニックやトミーに遠慮する必要はないと言いたげに。
しかし、フランキーは「みんな去って行った。どうして・・・」と不安を漏らします。

何もしなくても常にいいポジションにいるフランキーと比べて、汚れ仕事を一手に引き受けたトミーは、「俺は交渉事をやってきた」と最後に不満をぶちまけましたが、その真の意味をフランキーはわかっていないのだと思います。

そして終盤、自分は歌うだけのマシーンと、自身をあざ笑うかのように語っています。

何とも深いですね。
Elaine's
akikoさま、

やはり、舞台と映画では表現の仕方が違ってくるので、ある程度の変更は仕方がないと思っています。

本当に、舞台を忠実に再現するのであれば、いっそのこと「劇場中継」のようにしてしまうしかないので…私は「ジャージー・ボーイズ」はそれでもいいと思っていました。でも、これだけのヒット作になると、やはり映画化は当然の流れだったと思っています。
akiko
こんにちは。初めてのコメントにお返事いただいてありがとうございました!
いろいろいま読ませてもらっているところです。舞台と映画、ずいぶん違うところがあるのですね・・。私が映画を見ているときはボブが社長さんに直訴するあたりから、客席はグシュグシュと鼻をすする音が聞こえてきました・・。ニックの「先ばかり見ている」という台詞が映画よりも舞台の内容だとしっくりきますね。映画のパンフを見て、舞台は4つの季節に4人の言葉が重なっていると書いてあったのに、フランキーの冬は1つしか台詞がなくて、舞台と違うのかな?とちょっと気になっていたので納得しました。脚本は、舞台の人たちだとおもっていましたが、映画化にさいして変えたのでしょうかね?最後のWho loves you..と歌うときもフランキーとボブは向かい合ってましたし、仲良しって感じを出してるな~と思いました。
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