何度観てもすっきりしないシーン。
舞台では、フランシーンは自分から電話を切ってしまうのに…映画では、いかにも悪そうな男友達が電話を切るのはなぜ?
舞台では、幼少期のころのフランシーンはフランキーの語りの中に出てくるだけです。もっともその前、舞台でも、Sherryができる場面で、マリーが「娘たちがいいるので、汚い言葉をやめてよ!」とトミーたちに文句を言うシーンがあります。ここで、娘たちがいることが観客に知らされます。(このあたりの台詞も、舞台と映画はほぼ同じです。映画では、トミーがマリーを”Hypocrite!”と罵ったりしますが…ここはヴィンセント・ピアッザのアドリブだったかな?という気もする)そして、映画では、ここで実際に幼いフランシーンが出てきていました。いかにも、父親に懐いているような感じで。
フランキーがツアーから戻ってマリーと口論する場面(ここも舞台と映画は台詞は同じです)映画では、その後、フランシーンとフランキーの父子愛が見せられるシーンにつながりますが、舞台ではこれはありません。また、実際にフランキーが家を出るシーンも舞台にはありません。
舞台では、フランキーがロレインと恋に落ちるシーンにフランシーンの話が出ます。フランキーが「他に僕のことで知りたいことがある?」と水を向けると、ロレインは「お子さんは?」と尋ねます。「3人の娘がいるんだけど、母親のもとにいる」「末娘の8歳のフランシーンは歌手になりたがっているんだ。天使のような声でこう歌う。″I can’t give you anything but love, Dad!”なんてテーブルの乗ってね」と別に暮らす娘を愛おしむように話しますが、映画では、ここでフランシーンの話題が出てきません。私はちょっと不満に感じます。フランシーンが小さいころから歌手としての天分があったことを、ここで伝えるほうがいいのでは?…という気がしてなりません。
その後、フランシーンが家出をして電話をしてくるシーンは舞台も映画も同じです。台詞も同じです。ただ、ここで決定的に違うのは、電話を切るのがフランシーンの男友達になっていることです。舞台では、フランシーン、フランキー&マリーの表情も正面からとてもよく見えますし、特にフランシーンの心の揺れが全身から手に取るようにわかります。しかし、映画では電話ボックスからフランシーンの表情がかすかに伺えるだけで、舞台ほどの説得力がありません。
…で、そうこうしているうちに、男友達が電話を切りに来るわけですね。この場面…何度観ても抵抗があります。舞台では、フランシーンが自分で心配してくれている父親の電話をガチャンと切ってしまう。そのあと、自身も苦しそうな表情を見せます。おそらく、フランシーンもそれ相当の苦しみを背負ったはずだと思うのです。
でも映画では、ここでなぜ第三者が介入してくるのか?私としては、あの正体不明の男友達の介入で、フランシーンという少女の存在そのものが、かえって見えにくくなってしまっているように思います。もちろん、女の子が街をうろついていれば、悪い誘惑はたくさんあるには違いないのだけれど…突然「フランシーンだけが悪かったんじゃない」的な演出(?)うう~ん、ちょっとこれは…
映画では、その後、フランキーとフランシーンが話をするシーンになります。ここで、突然にフランキーが「お前は歌手になりたいんだろ?」なんて言っても…ここ、映画のみ観ている人は唐突に感じないでしょうか?わが娘を、安易に二世タレントに仕立て上げようとしているように見えないでしょうかね(笑)
映画では、ボブにフランシーンの歌声がどんなに素晴らしかったかフランキーが語るシーンがありますが…
生前のフランシーンさんの素晴らしい歌声をどうぞ。
私としては、映画では、彼女の歌声を聞かせるシーンがほんの少しでもあってもいいのではないかとも思います。死後にフランキーの言葉として語られるよりも説得力がないでしょうか?
舞台でも、フランキーは悲しみの淵で”some motherf***er with a needle is waiting”と絞り出すように言います。確かに、本人がどんなに断ち切ろうとしていても、周囲に悪い仲間がいたために…だったのかも知れません。しかし、そのあたりは別にはっきりさせなくてもいいのではないかという気がします。その後の再生につながるドラマのほうを重視すればそれでいいわけで…
ちなみに、映画では「ドラッグ」を表す言葉としては、舞台のようにa needleを使わずに、a bottle of pillsという言葉を使っています。
「ジャージー・ボーイズ」は非常にホモ・ソーシャルなストリーで、女性キャラクターは「付け合わせ野菜」のような扱いでしかありません。マリーもロレインも出会ったときはそれぞれに魅力的なのですが、別れるときになると、それぞれに「余計なひと言」を言ってますよね(笑)(これも舞台も映画も台詞は同じです)マリーはフランキーの出自を貶し、ロレインは「上から目線」~彼女たちの気持ちもわかるのだけど…ああいう物言いを聞くと、彼女らへの同情の気持ちは半減してしまう…というのが何とも~これは脚本家の企みどおりなんでしょう~(男性陣はあれだけ愛情深く描かれているのに)
一方、フランキーの血を分けた娘であるフランシーンについては、映画では父娘の交流が見せられているだけでなく、全体としては、舞台よりも同情的に描かれている印象を受けます。
他人である妻&恋人と血を分けた娘を差別化して描いたか?(考えすぎ?)
いずれにしても、私個人としては、「歌手としてのフランシーン」を見せてほしかった気がします…
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