特に、トミーが「塀の中」に入るとき、ハーモニーの天才だったニックに、自分の「留守中」に、フランキーに歌の手ほどきをしておくように頼んでいきます。そして、ニックと彼のガールフレンドとフランキーの3人が夜の教会に勝手に侵入して、ニックの弾くオルガンに合わせて歌うのがA Sunday Kind of Love
オリジナルは1946年の曲で、後に多くのアーティストにカバーされている。日本人アーティストが(レコーディングなどの形で)取り上げたことがあるかどうかは不明です。(どなたか、ご存じの方がいらっしゃいましたら、情報を求む…)
しかし、歌っている途中に、通報を受けた警官がやって来て、不法侵入の現行犯でニックは手が後ろに回ります。(まぁ、彼は「仮釈放中」だったということもあるのですが)で、フランキーは「僕を逮捕しなくていいのか?」と言うのですが、警官は「お前は11時までに帰宅することになってるんだろ?」と「お咎めなし」にするのです。
そこでこれ…非常に素朴な疑問なんですが…
ホント、いい年して、そんなことも知らないのか?と言われそうなんですが…
↓ ↓
教会って、勝手に入っちゃダメなの?
いや、ドラマや映画などで、何時でも、心が求めれば教会の祭壇の前へ行くというシーンがありませんか?その印象が強いのでね~。よもや、教会に侵入したと逮捕されるなんて思ってもみませんでしたが…日本でも、例えば、夜間にお寺や神社に忍び込んだら不法侵入になるんでしょうか?「お参りに来たのです」と言ってもダメなのかな???
すいません、しょうもないことで脱線して…
で、ニックが再び「塀の中」に入るのと入れ違いに出てきたトミーは、フランキーを正式にメンバーに加えてクラブで歌い始めるんです。A Sunday Kind of Loveの続きを。少々ドラマティックに転調して、クラブ向けのアレンジを加えて…
And my arms need someone to enfold
To keep me warm when Mondays and Tuesdays grow cold
…
サントラには、クラブで歌う部分は収録されていないんですが(収録されてるのは教会の部分だけ)私がこのトミーとの二重唱の方が好きですね。このシーンは、どこか切なくて、涙が出そうになる。
二人が歌っているクラブの閉塞感も、巧みに舞台上で表現されているし、「この二人はここから抜け出ることができるのだろうか…」考えずにはいられない。そして、ストリーが分かっている者にとっては、その後のフランキーとトミーの凄まじい確執を思えば、ほんの一瞬ではありますが、二人の「血よりも濃い繋がり」が美しいメロディーとともに表されるこのシーンは切なく、どこかもの哀しい
いかん、また観たい(笑)
で、ここが上手いのは、エンディングの
I want a Sunday kind of ラ~~ァ~ァ~~~ヴ
「ラ~~」はじっくりためて聴かせるのに「ヴ」は1拍で(たぶん)「終了」してしまって、すぐに別の軽快な音楽が入って、トミーの傍白に移ります…憎らしいほど上手いです!仮に、このシーンを私に任せられたなら(「仮に」ですよ…笑)、この美しい曲には「たっぷり余韻を残すようにする」と思います、何の疑いもなく、それが正解だと考えるんじゃないでしょうか?
ところが…聴き手を裏切るように、ここをプツンと切るんですよ。こういうのの連続って、明らかに観る側を「中毒」にするワザですよね…なんて憎いことをやるんだ…
ストリーに話は戻ります。何故フランキーは逮捕されなかったんだろう…と考えるわけです。
確かに、ニックは仮釈放中であったし、フランキーはまだ16歳のはずですし、それらを考えても、ここで「お咎めなし」となる説明はつくのかも知れませんが…ちょっと拘りたいのは、ここで警官は「お前は11時までに帰宅してるはずなんだろ?」と言う点です。(単に、脚本を面白くしただけじゃないか…と言われたら、一瞬で話は終わるんですけど…ここは、そんなこと言わずに、お付き合いくださいませ…笑)この、門限が11時云々という台詞は、フランキーがトミーから悪事に誘われたときに口にするもので、これが「第三者」の口から再び出るのが興味深いですね。
まぁ、単純に考えれば、この時点で既にフランキー少年は地域で名の知られた特別な存在だったのでしょうし、この天使の声を持った少年は、貧しく荒んだ街の一筋の光明であり、人々の夢であり…そういう「地域の人々の見えない手に守られていた」のではないかとも思えるのです。もっとも、ニックもフランキーもこの警官
を「スタンレー」とファーストネームで呼んでいますから。余程「日頃からお世話になっている」のは間違いなさそうですが。でも、警官はフランキーだけは見逃した…。そして、ニックも、フランキーに対しては恨みがましいことは一切言わずに、ただ「さらに精進するように」言い残して連行されていきます。
こういう部分は、BILLY ELLIOTに共通するものを感じないではいられません。(これは映画の方しか見ていないのですが)一人の才能を持った少年が、同じく貧しい地区に住む全ての人々の夢を背負っていくという…
しかし、「自分を守ってくれた人々の見えない手」と引き換えに、その後のフランキーが「背負わねばならなかったもの」の大きさを思うと、この「見逃し」のシーンの持つ意味は重い。(正直、このあたりの一種の不条理感って、アメリカ人に理解できるんだろうか…なんて思う…あ~、言っちゃった…)
とにかく、ここはA Sunday Kind of Loveのシンプルだけど心にしみる旋律とともに、私の大好きなシーンの一つです。
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