And This Is Not Elf Land

JERSEY BOYS : A Sunday Kind of Love

JERSEY BOYS(ジャージー・ボーイズ)の最初の40分余り(Sherryでブレイクするまで)が退屈だと言う人もいるようだけど…Early yearsの描写は、切なく、甘酸っぱいシーンの連続で、私はとても好きだ。

特に、トミーが「塀の中」に入るとき、ハーモニーの天才だったニックに、自分の「留守中」に、フランキーに歌の手ほどきをしておくように頼んでいきます。そして、ニックと彼のガールフレンドとフランキーの3人が夜の教会に勝手に侵入して、ニックの弾くオルガンに合わせて歌うのがA Sunday Kind of Love

オリジナルは1946年の曲で、後に多くのアーティストにカバーされている。日本人アーティストが(レコーディングなどの形で)取り上げたことがあるかどうかは不明です。(どなたか、ご存じの方がいらっしゃいましたら、情報を求む…)

しかし、歌っている途中に、通報を受けた警官がやって来て、不法侵入の現行犯でニックは手が後ろに回ります。(まぁ、彼は「仮釈放中」だったということもあるのですが)で、フランキーは「僕を逮捕しなくていいのか?」と言うのですが、警官は「お前は11時までに帰宅することになってるんだろ?」と「お咎めなし」にするのです。

そこでこれ…非常に素朴な疑問なんですが…

ホント、いい年して、そんなことも知らないのか?と言われそうなんですが…


↓  ↓

教会って、勝手に入っちゃダメなの?



いや、ドラマや映画などで、何時でも、心が求めれば教会の祭壇の前へ行くというシーンがありませんか?その印象が強いのでね~。よもや、教会に侵入したと逮捕されるなんて思ってもみませんでしたが…日本でも、例えば、夜間にお寺や神社に忍び込んだら不法侵入になるんでしょうか?「お参りに来たのです」と言ってもダメなのかな???

すいません、しょうもないことで脱線して…


で、ニックが再び「塀の中」に入るのと入れ違いに出てきたトミーは、フランキーを正式にメンバーに加えてクラブで歌い始めるんです。A Sunday Kind of Loveの続きを。少々ドラマティックに転調して、クラブ向けのアレンジを加えて…

And my arms need someone to enfold
To keep me warm when Mondays and Tuesdays grow cold



サントラには、クラブで歌う部分は収録されていないんですが(収録されてるのは教会の部分だけ)私がこのトミーとの二重唱の方が好きですね。このシーンは、どこか切なくて、涙が出そうになる。

二人が歌っているクラブの閉塞感も、巧みに舞台上で表現されているし、「この二人はここから抜け出ることができるのだろうか…」考えずにはいられない。そして、ストリーが分かっている者にとっては、その後のフランキーとトミーの凄まじい確執を思えば、ほんの一瞬ではありますが、二人の「血よりも濃い繋がり」が美しいメロディーとともに表されるこのシーンは切なく、どこかもの哀しい

いかん、また観たい(笑)

で、ここが上手いのは、エンディングの

I want a Sunday kind of ラ~~ァ~ァ~~~ヴ

「ラ~~」はじっくりためて聴かせるのに「ヴ」は1拍で(たぶん)「終了」してしまって、すぐに別の軽快な音楽が入って、トミーの傍白に移ります…憎らしいほど上手いです!仮に、このシーンを私に任せられたなら(「仮に」ですよ…笑)、この美しい曲には「たっぷり余韻を残すようにする」と思います、何の疑いもなく、それが正解だと考えるんじゃないでしょうか?

ところが…聴き手を裏切るように、ここをプツンと切るんですよ。こういうのの連続って、明らかに観る側を「中毒」にするワザですよね…なんて憎いことをやるんだ…


ストリーに話は戻ります。何故フランキーは逮捕されなかったんだろう…と考えるわけです。

確かに、ニックは仮釈放中であったし、フランキーはまだ16歳のはずですし、それらを考えても、ここで「お咎めなし」となる説明はつくのかも知れませんが…ちょっと拘りたいのは、ここで警官は「お前は11時までに帰宅してるはずなんだろ?」と言う点です。(単に、脚本を面白くしただけじゃないか…と言われたら、一瞬で話は終わるんですけど…ここは、そんなこと言わずに、お付き合いくださいませ…笑)この、門限が11時云々という台詞は、フランキーがトミーから悪事に誘われたときに口にするもので、これが「第三者」の口から再び出るのが興味深いですね。

まぁ、単純に考えれば、この時点で既にフランキー少年は地域で名の知られた特別な存在だったのでしょうし、この天使の声を持った少年は、貧しく荒んだ街の一筋の光明であり、人々の夢であり…そういう「地域の人々の見えない手に守られていた」のではないかとも思えるのです。もっとも、ニックもフランキーもこの警官
を「スタンレー」とファーストネームで呼んでいますから。余程「日頃からお世話になっている」のは間違いなさそうですが。でも、警官はフランキーだけは見逃した…。そして、ニックも、フランキーに対しては恨みがましいことは一切言わずに、ただ「さらに精進するように」言い残して連行されていきます。

こういう部分は、BILLY ELLIOTに共通するものを感じないではいられません。(これは映画の方しか見ていないのですが)一人の才能を持った少年が、同じく貧しい地区に住む全ての人々の夢を背負っていくという…

しかし、「自分を守ってくれた人々の見えない手」と引き換えに、その後のフランキーが「背負わねばならなかったもの」の大きさを思うと、この「見逃し」のシーンの持つ意味は重い。(正直、このあたりの一種の不条理感って、アメリカ人に理解できるんだろうか…なんて思う…あ~、言っちゃった…)

とにかく、ここはA Sunday Kind of Loveのシンプルだけど心にしみる旋律とともに、私の大好きなシーンの一つです。

コメント一覧

master of my domain
おっと
先のコメントは私です(汗
gooは名前を入れないでも投稿できるので都合が悪いですね(…なんて、人のせいにする
Unknown
ペルシャ猫さま、こちらこそ勝手に乱入しましたのに、ご丁寧にお返事いただきまして、ありがとうございました。

ロンドン・キャストは某動画サイトでしか見たことはないのですが、さすがにグレン・カーターさんの歌唱が際立っていますね。(はっきり言って、フランキーは居なくてもいいだろ!?…なんて思ってしまう)

Jersey Contractというのは劇中の言葉で、こういう言い方が一般化しているのかどうかまでは分からないんですが…

フォー・シーズンズが最初の頂点に達したとき、ボブ・ゴーディオが、フランキー・ヴァリと二人だけでグループとは別の、独自の音楽活動をしたいと持ちかけるのです。ボブはインテリらしく、非常に論理的な考えをする人で、この二人の「契約」も、第三者を仲介に入れるとか、きとんと明文化するなどして、社会的にも、法的に有効性のあるものにしたかったようなのですが(ボブのそれまでの台詞から、彼のこういう考え方は窺い知れる)、フランキーは「ジャージー・スタイルの契約はこうだよ」と手を差し出すのです。つまり「シェイクハンド」だけ…で、これが僕たちの契約の仕方…つまりJersey Contractだ!と言うのです。(これは「実話」のようです)

思えば、ずいぶん前時代的な発想ですよね。私はどうしても、日本で言うところの、「盃を交わす」とか…その辺りの発想と共通点があるように思えてなりません

JBはディープなイタリアン・コミュニティーが舞台となっている話で、このように、非合理的とも思える展開や、信じられない不条理で成立しているような話です。多くのアメリカ人には、マイノリティーのユニークな世界観として面白く感じるのかもしれません…われわれ日本人には、かえって共感できる部分が多いんじゃないかと思ったりするんですよ。

こちらこそ、よろしくお願いします。
ペルシャ猫
お邪魔しまーす★
http://jcsfan.exblog.jp/
先日は、私のブログにコメントをいただきましてどうもありがとうございました
なかなかお返事ができなくてすみません。やっと少しゆっくりブログを読ませていただきましたが、いや~~愛であふれていますねっ。JBは、私はグレンが出ているから少し調べた程度でしたが、Elaine'sさんのおかげで来日公演招聘応援団(?)に入れていただきたいと思いました!
私はNew Jersey州の大学に留学していましたので、是非ホンモノのJBを見たいな~。ところで、Jersey Contractってどういう意味なんでしょう?調べたけど出て来ないもので・・・。これからもよろしくお願いします
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「JERSEY BOYS (舞台ミュージカル)」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2021年
2020年
人気記事