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今回は、資料映像(画像)でもなく、何らかのメッセージを込めてカリカチュアライズされているものでもなく、何らかの「シンボル」として使用されていると考えられるもので、特に印象に残っているものを…
まず、いきなり後半の話になりますが、トミー・デヴィートとニック・マッシが抜け、ジョー・ロングとチャーリー・カレロが入ってきたのを機に、ボブ・ゴーディオはフランキーに「自分はもう人前に出ない。プロデューサーに専念したい。これからはフランキー・ヴァリ&フォー・シーズンズとして、君が前に出るんだ」と言います。
ここはカフェのシーンで、これは前にも書いたと思うんですが、この場面では、二人の間には金属製のポットがあって、これに照明が当たり、これが一筋の光のように見えて、どうしても観客の目がそこへ行くようになっています。プロジェクションには、カートゥーン画として描かれたコーヒーポットが映し出され、微かに湯気が上がっているように描かれています。いや「湯気」というのは、ちょっと…ですね…これはコーヒーの香りがイメージしているのでしょう。
ボブの申し出を耳にして、フランキーは穏やかではありません…「なんで、みんないなくなるんだ」と。しかし、心の底では「こういう選択をしてもいい時期かも知れない~」と感じていたのではないでしょうか?ここは笑えるやり取りを交えながら、フランキーはボブの申し出を受け入れざるを得ない展開になります。
「どうして君は、そういうことができるんだ?」
「何が?」
「僕を、君の言う通りにさせることさ」
「これは、僕の才能だよ」
なかなかだね、君は…(笑)
ボブは(シカゴでは、残念ながら、喫煙シーンは割愛されていますが)葉巻の愛好者でもありますし、その才能とともに、何かの「香り」を感じさせるキャラクターのようですね。
私はこれまで4人のボブ・ゴーディオ役を観ています。
(「4人」という数字は「堂々と」書けますね…笑)
(ホントに…JBをあくまでも「作品論」として語りたいんなら、いろいろなキャストで観ましょうね~はい)
ダニエル・ライカード、セバスチャン・アーセラス、ドゥルー・ゲーリング、ショーン・ワイリー。
結論から申し上げますと、やはりOBCのダニエルが一番良かったです。ちょっと頑固で偏屈な天才を上手く演じていました。(「演じて~」というより、ちょっと「地」でやってる?)
セバスチャンはちょっと苦手だった…スイマセン(汗)
この1月までシカゴにいたドゥルーは、なかなかハンサムで、華があって、とにかく「チャーミング」だった。勿論、歌もうまかったし、セバスチャンの後のBW?…も想像したのですが、結局今はJBを離れてしまっています。(考えてみれば…この役は特別にチャーミングである必要はないんですよね。やはり、ダニエルの雰囲気がベスト・バランスじゃないだろうか)
で、彼の後に入ったショーンですが、彼が来た10日後に私は観ていることになるんですが…とにかく歌が上手かった!!ものすごい豊かな声量、ここだけはダニエルに勝っていたかも。Cry for Meのときは、出だしは「…」だったのですが、中盤から3連のリズムが強調されて、スイング感が増してくるようになると、ヴォーカルがみるみるパワー・アップ!!!…もう場内の空気を変えてしまいました。
わお…はっきり言って…フランキーより、あんたが歌った方がいい…と思ったのは私だけではないはずだ(!?)いやいや、どこにでも人材がいるものですね。(呆気)ちょっと表情に乏しいのが難ですが、彼には今後も注目です。
で、話は前後しますが、4人はボーリング場の看板に「啓示」を受け(?)フォー・シーズンズと改名し、気持ちも新たにボブ・クリューのもとで曲をリリースしようとします。
当時、マンハッタンの五番街の高級アパートに住んで、羽振りも良かったはずのクリューでしたが、4人が訪ねていくと、彼は「実は資金繰りがつかなくなった!」と言うのです。再び落胆する4人…
このシーンの背景のプロジェクションが、雪を抱いた山々の絵なのですよ。それもアルプスのような険しい山々…
これは毎回気になって仕方がない!
まず、単純に考えれば、マンハッタンから山々は見えない(よね!?)だいたい、この作品の舞台になっているニュー・ジャージーからにしたって、山々は見えないはずだ。だって、ニューアーク国際空港を利用したことは何度もあるけど…道中、山なんて見た覚えはないし。
クリューが金に困っていると聞いて激昂したトミーは、高利貸しの男に借金をして資金を準備します。ここは、彼なりに「男」として一肌脱ぐわけです。そして、クリューのアパートを再び訪ねると、なんとクリューは父親からの財産を譲り受けることができて、何とか資金のめどはついたという。他の3人のメンバーもシャンペンを飲んで陽気に騒いでいます。(ここでの3人は、必要以上に、ノー天気に演じている。「はぁ、何やってんの、あんたたち!?トミー一人が苦労してるのにさ!」…と思わざるを得ない)
「金のめどがついただと!?ふざけるんじゃねぇ!」
「だれも、君に金を工面してくれなんて頼まなかったよ」
「そんなことを言われる筋合いはねぇ!なんで俺が頼まれなきゃいけないんだ!これはおれのグループだ!」
雪を抱いた山々は、遠くから見ると壮観で美しいけれど、実際に入り込むと、その自然は厳しく、常に遭難の危険がつきまとう。(と、実際に連峰が見える所に住んでいる私は実感する)この山々の絵からは、その後の彼らを待ち受ける「難」を暗示させている…と考えれば、何とか説明がつきそうです。
ただ、後日、マンハッタンの豪華マンションに山々や湖などの絵が掲げられているのを映画やドラマで見かけます。単に、ボブ・クリューの暮らし向きが良かったことを表しているだけかな…と考えることもできます。
どっちにしても、ストリーが進むに従って、トミーの救いようのなさが強調されてくるんですが、でも、一つひとつの場面をよく見ていると、特に前半では、さり気なくトミーの立場を擁護している表現があちこちにあるんですよね。
もっとも私は、冒頭で高らかに宣言するトミーの
“...because this whole thing started with me. Tommy Devito, Velleville, New Jersey. NATIVE SON!!”
を聞いただけで、「もう何でも許そう…」という気にさせられてしまいますけどね(笑)
あれっ?
今、例のスクリプト本を見たら、オリジナルでは”native son”という言葉が書いてないです。でも、少なくともシカゴでは、トミー役のブライアン・マケルロイはこう高らかに叫びます。(彼のトミーにはちょっと不満はあるんですが)(クリスチャン・ホフ級のスケールの大きいトミーをもう一度観たい!!!)で、話は戻りますが…ここは、この”native son!”があるのとないのとでは、かなり印象が違ってきませんか?(小説のタイトルにもありますしね)この語が後から付け加えられたのであれば、「大正解」だったと思います。
さて、Who Loves You?のエンディングでは、ステージに3つのスクリーンが降りて来て、黒字に白の「視覚エフェクト」のような映像を見せてフィニッシュになるわけですが…
ここは、私的には、目を閉じたとき、まぶたの裏に見えるものと同様の映像なのです。
だから、このエンディングを見ている観客は、目は開けてはいるけれども、実は目を閉じて回想にふけっているのです。
いや、凄いですね~我ながら(笑)
よく、ここまで想像(妄想)が拡大していくもんだ。
だてにリピートしていません。
この写真は早朝に撮ったシカゴのBank of America劇場。
向かいのビルに朝日が反射しています。この日は月曜でしたが、ショーのある日は、この時間からラッシュチケットを求める人が並び始めます。
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