群飲佚遊ヲ制スベキ事

飲んで遊んで放蕩を尽くせば末は長者か無頼の徒か・・!

言い過ぎではなく無知なのだ

2007-11-07 21:27:27 | 自由欄
「学校側、自分で考える習慣乏しい」教育問題で町村長官(朝日新聞) - goo ニュース

学校が、市町村教育委員会や県の教育委員会に経済的に拘束され、内容的にも縛られている現状をご存じないようだ。恐らく彼は自分に反発した日教組の役員の言動から推察したり、文部省の役員が講演会と称してあるべき姿を示してきたことからの認識であろう。

恐るべき知力である。痴力とでも云えよう。認知力や推察力が多分接待攻勢で鈍ってしまったのであろう。少し調べると判ると思うが、ここ10年間での教育に関する出版物の数の多さである。

総合を含め様々な分野の開発が次々となされ、人口に膾炙して全国津々浦々に学力の向上や内容の好転がなされている。お疑いなら全国を回られてみるとよく判る。
熟年の教員が一生懸命研究に研究を重ねている様子を間近に見られ、苦労を聞くことができる。

構想や理念を語ることは、意外と簡単であるが、実現化には大変な困難が待ち受けているのだ。ちなみにNHKの作った国営規模の作品、プロゼクトXをご覧になると開発や実用化がどんなに血を見るほどの努力が必要かがよく判るはずだ。

こんな風に子供に言って聞かせるほどに基本から話さないと町村氏は、教育を政争の具としてしか考えられず、自分で天に向かって唾を吐いているのである。