VIVA! HOUSEKEEPING

べく杯

    

さて本日は デイケアワーク
今朝は 寒い中にも 春の気配を感じる あたたかい朝となった

送迎中も 利用者と 今朝のあったかさや かすんで見える 六甲の山並みなんかの話を
まぁ カスんでるのは PMナントカかもしれないが そういう現実的な話は 風流でないので PM2.5も 春霞みでいく是!!!

これは ボクの 超個人的な 介護主観なので ィ良い子のみんなは マネしないでもらいたいワケなんだが 
ボクは 基本的には 仕事上 利用者の事を "亡くなってゆく途上の人" っという見方を している

いつもいつも 死を意識してばかりは いないが いや エッセンシャルな部分では 常に 意識していると思うが
人は 全員 いつか 亡くなってゆくもので 彼らにとって 死は "そう遠い未来の話ではない" って事よ

こういう事を書くと 『残酷っ』とか 『人でナシっ』とか 『冷たい人っ』 っという人もイルかと思うが 
そういう方々は モウしわけないが このBLOGを読むのをやめたらイイだけの話 って事よ 
人が死ぬのは 自然な事で ボクは 公私ともに そういう世界と そんなに遠くない距離を保って 身を置いてるんでねぇ

まぁ そういう根底の意識があるから お年寄りに 尊敬の念を持って接し 寄り添ってアゲたり 
キラメク物を 見せてあげたいな っと思うのであり それは 仕事を越えて 一人の人としての部分でもあると思う

介護を 仕事にしてると ルーティンワークの中で 利用者を モノのように扱う 職員が 多いことに まず驚くし
そういう職員たちは 他者や自己の "死"と言う事に対して どういう観念を持っているのか 問うてみたくなるの是 

みなさんは 近しい人や ジブンが 死んでゆく時の事を 想像した事がありますか???
全てにおいて 知らないと言う事は 恥ずかしい事ではなく 想像し その時に備えて 学ぶ良い機会でもある って事よ

まぁ 誰が亡くなったワケでもないが ボクの介護感を形成する essentialな部分について 改めて 考えてみたって事よ

    

どっさり帰宅 社会規範や コモンセンスを モチあわせない人たちと 仕事すると 腰まで痛くなるっていう事の証明
疲れたので 本日は れんしうは なし こんなィ夜は まったり OSAKEを 開ける

カレイの煮付けと タラの塩麹焼には 迷うことなく 土佐のお酒を Ready 
写真の杯は "べく杯"という 土佐っぽ好みの杯で 駒状になってるので 飲み干さないと置けま1000
まぁ 四の五の言わずに 飲も飲も たっすいがァはいかんきねぇ(氣の弱いのはイケません)


本日の練習:通勤RIDE 9km



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