6時過ぎに地元駅を出て、長野に向かった。
長野に着くと雪が少し舞ってきて、飯山線辺りに行ってきたのか除雪車が長野に入線してきた。
長野からも115系で直江津を目指す。
優先席にはE233系で使われている真新しい吊革が取り付けられていた。
北長野、三才、豊野と見慣れた風景をあとにする。暖房が少々効きすぎではないかというほど車内は暑く、温度計を見ると28℃を示していた。
牟礼を過ぎた辺りから、外のあり得んばかりの積雪量にも目がいってしまう。黒姫で対向列車が待っていたが、列車の窓まで覆う雪で、半分程しか見えなかった。
関山辺りから高校生が乗り込んでくるようになり、車内も賑わってきた。
さて、直江津で乗換えか...
と、富山までまつりを運んでくれたのがこの通称“食パン”こと419系
前に18きっぷで行った時は糸魚川で乗換えだったのだが、いつの間にか富山まで直通する便に変わっていた。
18シーズンの北陸本線はキッパーで埋め尽くされるのだが、今回はさほど多くなく乗客の半分は老夫婦であった。
まつりは進行方向左のボックス席に座った。要は山側である。海側に座っていたキッパーは海が見える度に携帯で写真を撮っていた。まつりはというと...軽い睡眠をとっていた。
県が変わり、泊という駅で客が増える。ここからはひと駅過ぎる毎に乗客数がうなぎ登りである。結局終点の富山まで客は増える一方であった。
富山駅は新しいホームが着々と出来つつあった。
富山で今度は金沢行きに乗り換える。特急が遅れていたためか、車内は満席である。何とか座るスペースを確保したが、やはりキツい...
高岡で降りて駅前に発着する万葉線を撮り、再びホームへと向かい氷見線ホームへ。
前回氷見線を訪れた際、雨晴の景色に魅了されていつか行こうと思ったので今回の氷見線訪問は雨晴海岸へ行く事がメインである。
高岡駅の案内ではあまり良くないとあったが、とりあえず行ってみる事に...
やはりこの日は立山連峰がうっすら見えるか見えないかの微妙な景色であった。
携帯で撮影したもの
バックホウなんかも携帯で撮ってみました。
そんでもってここからはデジカメ
雨晴ではおよそ30分ほど過ごした。岩や波、そしてうっすら見える立山連峰を背に何枚か撮ったが、やはり上手くいかない。まぁコンパクトデジカメの限界ってヤツなのか、はたまたまつりの技能不足か...
そんな風に時間が経ち、12:14の列車で高岡に戻った。
高岡からは金沢方面の列車に乗り込む。特急の遅れがまだ続いていたらしく、列車は5分遅れで高岡に到着した。
列車が遅れていたため、金沢まで行こうとしたのを手前の東金沢に変更した。
東金沢で七尾線に乗り換える。
森本駅で特急の通過待ちのため意外と長く止まった。特急2本に抜かれ、また反対方向にも待っている間に2本通過していった。
津幡を出て少しすると、電源切り替えのために車内灯が消えたが、外が明るいためかあまり気にならなかった。
七尾線はものすごいモーター音で、ものすごいスピードで走っているせいか、それとも線路のせいか...列車は横に縦に揺れる。
七尾まで暇だったので本を読んだりするうちに列車は七尾に到着した。
ここからはのと鉄道で穴水をめざす。
車両は新潟トランシスの軽快気動車で、新しめの車両だ。
乗る人の大半は、小さな子連れの家族か老男女である。
沿線風景を見ながら穴水へ行こうとしたが、途中で何度もまぶたが重くなる。
気が着いた頃にはすでに穴水の手前であった。
穴水駅は某鉄道サークルの義援金で買ったと書いてあるテレビが待合室にあった。
ホームに目をやると、1番線は地震の影響を受けたのか、舗装し直した跡が...さらに0番線のきり欠きホームには、古い気動車が臨時の表示を出したまま止まっていた。中をみる限りお座敷列車だろうが、見た感じもう動けそうな感じはしなかった。
そして少し駅前を歩いてみた。かつて輪島、珠洲方面に延びていた線路は錆びれており、時代の流れというものを感じた。
穴水で待っている間、待合室にはおばさん2人が話していた。そのうちの1人は、持参した干しイモを待合室にあったストーブの上にのせながら...
話していた内容は、テレビに映っている秋川さんや、子供民謡、宮崎県のことなどだ。なかでも方言が通じなかった話は少し印象に残った。『かわいい』って表現の方言が通じなくて、能登と加賀では通じんのねぇ...と少し悲しげな会話だった。
とか言っているうちに、列車が到着した。ここで驚いたのは、運転手さんが女性の方だったということだ。まさか能登の鉄道に女性の運転手が存在するなんて、普通では考えにくい...しかも車内アナウンスはちょっとバスガイド風(?)のしゃべり方だった。
列車は七尾に向けて動き出し、和倉温泉までは4、5人しか乗っていなかった。しかし、和倉温泉で行き違いとなった穴水行きは車両びっしりに人が乗っていた。
七尾に着いた頃には辺りがほぼ真っ黒になっていた。夜闇を見てもつまらないし、本を読む気にもなれなかったので寝ることにした。
途中何度か行き違いがあったためか、津幡までがとても長く感じられた。
そしてそのまま西金沢へ...
列車を降りたと同時に北鉄が踏切を横切っていった。待っているよりはと思ったまつりは、寮まで歩く。とりあえず日が変わるまで休憩することに...
つづく
長野に着くと雪が少し舞ってきて、飯山線辺りに行ってきたのか除雪車が長野に入線してきた。
長野からも115系で直江津を目指す。
優先席にはE233系で使われている真新しい吊革が取り付けられていた。
北長野、三才、豊野と見慣れた風景をあとにする。暖房が少々効きすぎではないかというほど車内は暑く、温度計を見ると28℃を示していた。
牟礼を過ぎた辺りから、外のあり得んばかりの積雪量にも目がいってしまう。黒姫で対向列車が待っていたが、列車の窓まで覆う雪で、半分程しか見えなかった。
関山辺りから高校生が乗り込んでくるようになり、車内も賑わってきた。
さて、直江津で乗換えか...
と、富山までまつりを運んでくれたのがこの通称“食パン”こと419系
前に18きっぷで行った時は糸魚川で乗換えだったのだが、いつの間にか富山まで直通する便に変わっていた。
18シーズンの北陸本線はキッパーで埋め尽くされるのだが、今回はさほど多くなく乗客の半分は老夫婦であった。
まつりは進行方向左のボックス席に座った。要は山側である。海側に座っていたキッパーは海が見える度に携帯で写真を撮っていた。まつりはというと...軽い睡眠をとっていた。
県が変わり、泊という駅で客が増える。ここからはひと駅過ぎる毎に乗客数がうなぎ登りである。結局終点の富山まで客は増える一方であった。
富山駅は新しいホームが着々と出来つつあった。
富山で今度は金沢行きに乗り換える。特急が遅れていたためか、車内は満席である。何とか座るスペースを確保したが、やはりキツい...
高岡で降りて駅前に発着する万葉線を撮り、再びホームへと向かい氷見線ホームへ。
前回氷見線を訪れた際、雨晴の景色に魅了されていつか行こうと思ったので今回の氷見線訪問は雨晴海岸へ行く事がメインである。
高岡駅の案内ではあまり良くないとあったが、とりあえず行ってみる事に...
やはりこの日は立山連峰がうっすら見えるか見えないかの微妙な景色であった。
携帯で撮影したもの
バックホウなんかも携帯で撮ってみました。
そんでもってここからはデジカメ
雨晴ではおよそ30分ほど過ごした。岩や波、そしてうっすら見える立山連峰を背に何枚か撮ったが、やはり上手くいかない。まぁコンパクトデジカメの限界ってヤツなのか、はたまたまつりの技能不足か...
そんな風に時間が経ち、12:14の列車で高岡に戻った。
高岡からは金沢方面の列車に乗り込む。特急の遅れがまだ続いていたらしく、列車は5分遅れで高岡に到着した。
列車が遅れていたため、金沢まで行こうとしたのを手前の東金沢に変更した。
東金沢で七尾線に乗り換える。
森本駅で特急の通過待ちのため意外と長く止まった。特急2本に抜かれ、また反対方向にも待っている間に2本通過していった。
津幡を出て少しすると、電源切り替えのために車内灯が消えたが、外が明るいためかあまり気にならなかった。
七尾線はものすごいモーター音で、ものすごいスピードで走っているせいか、それとも線路のせいか...列車は横に縦に揺れる。
七尾まで暇だったので本を読んだりするうちに列車は七尾に到着した。
ここからはのと鉄道で穴水をめざす。
車両は新潟トランシスの軽快気動車で、新しめの車両だ。
乗る人の大半は、小さな子連れの家族か老男女である。
沿線風景を見ながら穴水へ行こうとしたが、途中で何度もまぶたが重くなる。
気が着いた頃にはすでに穴水の手前であった。
穴水駅は某鉄道サークルの義援金で買ったと書いてあるテレビが待合室にあった。
ホームに目をやると、1番線は地震の影響を受けたのか、舗装し直した跡が...さらに0番線のきり欠きホームには、古い気動車が臨時の表示を出したまま止まっていた。中をみる限りお座敷列車だろうが、見た感じもう動けそうな感じはしなかった。
そして少し駅前を歩いてみた。かつて輪島、珠洲方面に延びていた線路は錆びれており、時代の流れというものを感じた。
穴水で待っている間、待合室にはおばさん2人が話していた。そのうちの1人は、持参した干しイモを待合室にあったストーブの上にのせながら...
話していた内容は、テレビに映っている秋川さんや、子供民謡、宮崎県のことなどだ。なかでも方言が通じなかった話は少し印象に残った。『かわいい』って表現の方言が通じなくて、能登と加賀では通じんのねぇ...と少し悲しげな会話だった。
とか言っているうちに、列車が到着した。ここで驚いたのは、運転手さんが女性の方だったということだ。まさか能登の鉄道に女性の運転手が存在するなんて、普通では考えにくい...しかも車内アナウンスはちょっとバスガイド風(?)のしゃべり方だった。
列車は七尾に向けて動き出し、和倉温泉までは4、5人しか乗っていなかった。しかし、和倉温泉で行き違いとなった穴水行きは車両びっしりに人が乗っていた。
七尾に着いた頃には辺りがほぼ真っ黒になっていた。夜闇を見てもつまらないし、本を読む気にもなれなかったので寝ることにした。
途中何度か行き違いがあったためか、津幡までがとても長く感じられた。
そしてそのまま西金沢へ...
列車を降りたと同時に北鉄が踏切を横切っていった。待っているよりはと思ったまつりは、寮まで歩く。とりあえず日が変わるまで休憩することに...
つづく