ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

女優の高橋洋子のイベントに顔を出せた

2021-06-15 00:00:00 | 映画

現在東京阿佐ヶ谷の「ラピュタ阿佐ヶ谷」で、青春彷徨 ─映像詩人 斎藤耕一のあしあと─という企画をやっていまして、1972年公開の斎藤耕一監督『旅の重さ』が、6月6日から12日まで公開されていました。上映最終日の12日土曜日に、主演の高橋洋子が舞台挨拶に登場するというので、それではと行ってみました。といってもこの催しでそれ以前のすべての上映作品を観ています。

この映画では、主演が公募されて、高橋洋子が決定されたのですが、次点が小野寺久美子(のちの秋吉久美子)でした。高橋洋子自身が語るところによると、

>同じオーディションを受けた秋吉久美子さんで決まりかけていたの。松竹の人も「この役だけなら高橋だけど、伸びしろを考えたら秋吉ですよ」って言ったけど、監督だけが私で譲らなかったわね。

とのこと。斎藤監督からすれば、将来の伸びしろなんてことは関係ないものね。

それで映画館に、高橋洋子が姿を見せました。

さっそく席に座って、サインをしてくれます。私も彼女にサインをいただきましたが、写真は諸般の事情があり表に出すのは控えさせていただきます。

こうやって気さくにツーショット写真にも対応してくださいました。私も撮りましたが、これも諸般の事情により私の姿に画像処理をかけてもちょっと写真をお見せできないので、これも省略いたします。申し訳ございません。

壁にサインも書いていました。

こちらです。映画館に行かれた際は、乞うご確認。

幸い私の目の前であいさつがありました。内容をかいつまんでご紹介しますと、「自分も年をとったが、この映画での彼女は永遠にそのままだ」「斎藤監督と日本中舞台挨拶に回ったのが、まだ20年前くらいのような気がする」「旅行雑誌の取材で、この映画のロケ地と同じところを回ったら、担当編集者が『いい映画でした』と言ったので、外泊へ行ったら、地元の老婆が声をかけてくれて、ちょっと前に『旅の重さ』の上映会があった、スタッフとキャストが泊まった旅館は廃業したと話してくれた」というような内容でした。当日は、映画の助監督氏(チーフでなくサードとかの方でしょう)も来ていて、高橋さんも最後まで映画をご覧になりました。彼女は何回この映画を見たかわからないでしょうが、やはり見るたびに自らの原点を思い出すのかもです。映画の終了後、拍手が劇場に鳴り響きました。

サインとツーショットの写真は、わが家宝にさせていただきます。高橋洋子さんありがとうございました。またこの催しは今後も続きますので、興味のある方はぜひどうぞ。詳細は、上にHPをリンクしておきましたので乞うご確認。


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2 コメント

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Unknown (bogus-simotukare)
2021-06-15 06:09:07
>伸びしろを考えたら秋吉

 まあ、ウィキペディア「高橋洋子」にも
(引用始め)
 1972年、斎藤耕一監督の『旅の重さ』の主役オーディションに合格し、ヒロインを務める。
 1973年、NHK連続テレビ小説『北の家族』のヒロインに選ばれる。
 1974年、熊井啓監督『サンダカン八番娼館 望郷』にて、主人公・おさきを演じた(ボーガス注:高橋が演じた役は、晩年を田中絹代が演じ、田中はこの演技でベルリン国際映画祭銀熊賞 (女優賞)を受賞)。
 1981年、小説『雨が好き』で第7回中央公論新人賞を受賞。2016年秋に山口県で先行公開される映画『八重子のハミング』(2017年春から全国展開)で、映画『パイレーツによろしく』(1988年)以来28年ぶりに映画出演。
(引用終わり)
と書いてありますのでご存じでしょうが彼女もその後長く、「女優休業」ですからね。

(引用はじめ)
http://izakayacho7.gozaru.jp/takahasiyoko.htm
 インターネットで検索すると歌手の高橋洋子(1966年8月28日生まれ)ばかりで、女優の高橋洋子(1953年5月11日生まれ)は全くヒットしない。
 彼女は一部の知る人ぞ知るようなカルト女優でも、単なる一発屋でもないはずである。しかし80年代後半以降は完全に銀幕から姿を消してしまった。目立った活動をしていない現在、忘れ去られているのは仕方がないことだが、忘れ去るには惜しい女優なのである。
 この映画のオーディションで主役の座を争ったのが秋吉久美子(1954年7月29日生まれ)である。2位に甘んじた秋吉久美子もこの映画で薄幸の文学少女役を得て銀幕デビューを果たしている。
 「サンダカン八番娼館 望郷」(1974)。この映画では主人公の娼婦の過去を高橋洋子が、現在を田中絹代(1909年11月29日生まれ)が演じるというダブルキャスト。新人の彼女にはもの凄いプレッシャーの中での演技に挑むこととなる。それをはねのけた彼女の体当たりの演技により文句なしの傑作となり、高橋洋子の名前を大々的に世間に知らしめた歴史上の名作である。
 それにしても25歳になるかならぬかであたら女優生命を使い果たしてしまった感のある高橋洋子。彼女が銀幕やブラウン管から遠ざかってしまったのは何故なのだろうか。
(引用終わり)
なんて記事もありますし「伸びしろを考えたら秋吉」つうのは「ある意味正しかった」のかもしれません。
 とはいえ
>1973年NHK連続テレビ小説『北の家族』のヒロイン
>1974年、熊井啓監督『サンダカン八番娼館 望郷』
と当時の高橋が話題作に出演していることを考えれば「伸びしろなんか関係ない」つう斎藤監督の判断もある意味では「正しい」。
 なお、本格的な女優復帰作品『八重子のハミング』についてはhttps://blog.goo.ne.jp/taku6100/e/5520481230f8dab279e4a4a8fc82a476を紹介しておきます。
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>bogus-simotukareさん (Bill McCreary)
2021-06-15 20:23:39
>「伸びしろを考えたら秋吉」つうのは「ある意味正しかった」のかもしれません。

私もそれ感じました。この映画でしたら絶対高橋ですが、雰囲気とかそういうことを言い出せば、たしかに秋吉のほうが将来性はあったのかもですね。結果論になりますが、仰せの通り高橋洋子は女優活動は引退に近いですから。

たぶん彼女自身いろいろ才能があるので、女優一本というタイプでもなかったのでしょうね。前にご紹介した篠田正浩版の「沈黙」主演俳優のデヴィッド・ランプソン氏のように、いろいろなことができちゃうし、そのときそのときのしたいことをする人なのだと思います。

https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/08aeac2cae0ddf72bd2468bebe41f5c6
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