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自転車熱の再来②

2021年07月20日 | 自転車

前回→自転車熱の再来①

 

ということで、カミさんの納車日に実家に自転車を取りに行く。

片道70kmほどを乗って来ようとしたが、10代のときのノリで漕いでしまい膝故障。途中から輪行バッグを買って電車で帰るという恥ずかしいマネをしたことから、ワシの二度目の自転車趣味は幕を開けたのであった。

 

実際に乗ってきた自転車は、より正確に言うと、私のものではない。父親(故人)のものであった。

自分の自転車はパンクならびにフロント側のシフター故障で、長距離ライディングは難しかったためである。

父親はここ数年間、街乗りタイヤに交換して乗っていたので、状態としては問題なしであった。

 

ワシの自転車:GT「KARAKORAM ELITE」1991モデル

元父親自転車:GT「TEAM AVALANCHE」1991モデル

 

揃いもそろって同メーカー同世代のMTB。

これは、199x年の暮れの出来事で、近所のスーパーに出張露店で市内の自転車屋が店を出していたのである。

在庫一掃のためだったのだろうが、50%オフで上記KARAKORAMが14万で、AVALANCHEが18万で売りに出ていた。家計のことも考え、もとい、母親の顔色伺いつつも、親父が最初KARAKORAMを買ったのはよいのだが、40超えた古典的な父親はその色使いに難色を示していた。

その2か月後くらいにまた同じスーパーで同じ店の出店があり、AVALANCHEはまだ売れずに残っていた。ワシの高校進学祝いと称しKARAKORAMをワシに譲り、親父はAVALANCHEを買うのであった。

 

という具合にMTBをゲットしたわけである。同じ時代の同じメーカーの自転車が2台存在するのはそういうことである。

 

話を現在に戻す。

当初、この骨董品MTBは、新車を買うまでのつなぎとして乗る予定であった。しかも早々に買い替えようとしていた。

サイクリング再開するまで、この骨董品MTBを乗り回すことに非常に恥じらいを感じていた。当時のMTBのトレンドたる毒々しい配色に、搭載コンポは博物館展示品状態の30年前のコンポ。しかもグレードはDEORE XT。骨董品of骨董品ズ。「ひさしぶりにバイク引っ張り出して乗ってるのねークス」なんていう見られ方をすると思うと、もんのすごい恥ずかしいと思っていた。

しかし実際に乗ってみると、他人はコンポーネントなんかそれほど見向きもしない上に、他人のバイクをコキ下すような感情もないんだろうなぁと思い始める。事実、自分がそうであった。多摩川の土手を走ってても、もちろん最新の機材を使ってる人もいれば、ママチャリや古いMTB乗ってる人もチラホラ見かけるし、その自転車のコンポがどうであっても正直どーでもよい、というか通り過ぎざまにそこまで細かく見れやしない。

 

さらに、トレンドを調べれば調べるほどに、クロモリは少数派となり、ほとんどアルミバイクでその上はカーボン。

アルミフレームは消耗品であるというのもあって、買うならカーボンがいいと思ったが、まぁ高すぎる。

そしてそもそもの話、今回骨董品MTBを実家からわざわざ引っ張り出してきたのも、カミさん(クロスバイクしかも初心者)とのサイクリング目的であって、こっちがロードバイク買っちゃったら巡航速度が合わなくなる(というか踏みたくなること必至)。

 

アルミロードは買いたくない、カーボンバイクはオーバースペック。かといってクロモリフレームの新車を今更(しかも高い)買うのもちょっと考え物。クロスバイクを買う?8万9万程度のモノだったら今のオールドMTB乗っている方がマシである。

グラベルバイクもよぎったので色々調べてみたが、ロードともMTBともつかないものにウン十万かけるほど熱意はない。そもそもオフロード楽しみたきゃ、すでに持ってるMTBに乗ればいいわけで。

調べれば調べるほど、ロードはロードで「ロード」「TT」「グラベル」と、MTBは「クロカン」「DH」「トレイル」と細分化が進み、特にMTBなんて、フレームサイズやタイヤからして私の知るMTBではなくなっている。

 

 

ん??自分で今答えを言ったような気がする。

 

"8万9万程度のモノだったら今のオールドMTB乗っている方がマシである"

 

これだ!

 

よし、既存のオールドMTBフレームに、最新コンポを載せてやろう!

オールドMTBとはいっても、フレームはTANGEのクロモリ。それなりにモノの良いクロモリだし!

毒々しい色のオールドMTBを敢えて今乗る。だけどただレストアしただけでは懐古主義に間違われてしまい癪。

アホな事やってんなー感も出て面白いかも!

 

ということで、オールドMTB近代化計画がスタートしたのであった。



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