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秋季高校野球盛岡地区予選の組み合わせ

2024年08月19日 | 目指せ'25夏甲子園!
盛岡一高の初戦は夏の準決勝と同じカード!
対盛岡大附属(24日10:00雫石球場)

夏の雪辱を果たしましょう!
ガンバレ盛岡一高!
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今朝の盛岡(岩手山→新川踏切→志和三山)

2024年08月19日 | 盛岡の風景
岩手山と明治橋 @明治橋下流遊歩道から

5ヵ月ぶりの新川踏切


工事中だった東道明へ続く道が完成してました。


before


飯岡新田からの志和三山


中ノ橋→ホットライン肴町→清水町→明治橋→遊歩道→南大橋下→遊歩道→新川橋→ヒノヤコート→三本柳→コナカ→バッティングセンター→新川踏切→飯岡新田→トライアル→盛岡南地区公園→盛南大橋→不来方橋【18,116歩15.4㌔】
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ギリシア人の物語4(新しき力)ー塩野七生

2024年08月19日 | 読書


評価4

前336年、マケドニア王フィリッポスの後を継いで20歳で王位に就いたアレクサンドロス(アレキサンダー大王)は2年後、「東征」と呼ばれる大遠征を開始。

グラニコスの会戦(前334年)、イッソスの会戦(前333年)、5倍の敵と戦ったガウガメラの会戦(331年)でことごとくペルシア帝国軍を撃破し、ついにインド王ポロスとのヒダスペスの会戦(前326年)で勝利をあげ以後インド王はアレクサンドロスの同盟者になることを約束したのだった。

なお、インダス河を渡ってインド横断行を考えていたアレクサンドロスだったが、兵士たちの従軍拒否にあい計画を断念し全軍を3つに分けてマケドニアへの帰路につくも前323年6月10日、バビロンにてマラリアに罹ってしまい32歳11か月の生涯を閉じる。

ローマ時代の名将スキピオ、ハンニバル、カエサルが古今東西の名将として真っ先に名前を挙げたのがアレキサンドロス。「その攻防戦の一部始終が余すところなく活写されているのだろう」と思って読み始めたのだが、う~む、どうやら「歴史エッセイ」(著者あとがき)だったらしい。ローマ時代から更に遡る時代ゆえ残っている文献も少なかったのだろうがちょっと残念・・・

ということで、
「ローマ人の物語」の三度目の再読に入ろうか?と思っているところです!
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