辛い会社務めと組織の中にいる自分を揶揄して社畜。
社畜。
畜産業をやっている人たちから見れば、その言葉は複雑でしょう。
あたかも畜産が社会悪のように聞こえますから。
勿論、ここで言うところの社畜は意味が異なります。
昔は「歯車」的な表現をしていたものです。
自分が会社に飼われているのか?
そう感じるんでしょうね。
でも、その飼い主から対価を貰っている時点で「畜」じゃないですよね。
精神的コントロールじゃなく、業績を上げるための適性な管理は最低限必要です。
そんな縛りを、牛舎に閉じ込められているようには感じて欲しくないですね。
また、会社という「牢獄」に閉じ込められているなんて考え方もどうかしています。
「畜」と思われようが、「畜」と感じようが、その体にはリードは1本もないのです。
行き先を失って、行ってはいけない道に進んでは駄目です。
上司は部下を選べても、部下は上司を選べないのも理解できます。
でも、上司も神様じゃないんです。
歪んだ上司もいるかもしれません。
でも、そこに立っている自分の可能性を信じて、1年後のイメージをして過ごして下さい。
1年過ぎたら3年先のイメージで過ごして下さい。
相手を許せる自分、周囲を広く見れる自分が居るかもしれません。
1年、3年経過しても「畜」だと感じるならば、新しい道を選択しても誰も駄目だとは言いません。
無駄な時間じゃなく、何が問題なのか、個人じゃなく別の問題が見えたはずです。
そこを去るとしても、もしかすると、あなたの人生の「蓄」財になったかもしれません。
「畜」と考えるか、「蓄」としたのか、それはあなた次第です。
時に仕事(会社)は、その人の人格まで豹変させることがあります。
その豹変してしまった「人」こそ、「組織」こそ、「畜」であり、その会社の「社畜」になっているんです。
そこがあなたの居るべき場所なのか?
法令に違反していない限り、先ずは慌てず、会社を観察することも大事だと涼風は思います。
そのドアをノックしたのは、私たちなのだから。
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