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担ぐ人、担がれる人

2014年10月20日 | 職業倫理

いくらどうもがきあがいても我々に入ってくる情報は、誰かがある一方向から見た物の感じ方、またはその組織の考え方による傾向が強いと私は思う。

 

たった今、辞表を提出し、記者会見が行われている小渕大臣の様子を見ていると、なんとも言い難い心境です。

 

女性が壇上に上がってその釈明をしているのを見てかわいそうだと思う人、いやいやこれは立派な刑事事件だと憤慨する人。

様々だと感じます。

 

そして、こんな問題等を取り上げるのではなく、国民のためにしっかり議論することに専念して欲しいと考える人も当然居ます。

 

私がなんとも言い難いと申し上げているのは、この手の問題については担ぐ人と担がれる人が居て、常に責任は担がれる人の進退責任に及ぶということです。

 

関係政治団体とは何か?

 

 

それは担ぐことによって自分たちに恩恵を期待する目的として、そのお金と時間を必要以上に費やし、その周辺の有権者までしっかりと押さえ込むという集まりであると私は今でも思っています。

 

小渕元総理が急逝したことによって行き場を失った人たちが、世の中の道理すら分からない幼い彼女をなんのために利用したのかは明白で、これについては語らずとも国民が知っている訳です。

(良い言い方をすれば“政治の夢と国民の夢”なのでしょうが。)

 

その団体が知名度で頂点まで彼女を担ぎ上げるには、それなりの危険と対価が伴った訳ですが露骨過ぎました。

 

この手の問題に特段詳しくない私ですが、滑舌の悪い偉くなった人、どこかの県で一番偉い人たちがどういうスタンスなのかは一部知っている人になるかもしれませんので、小渕という女性だけがクローズアップされるのに違和感があるということです。

 

私も守秘義務がありますから余計なことは話せませんが、関係政治団体もさることながら、ただ“女性議員”ということだけで、誰が誰を担ごうとしたのでしょうか。

 

そのまま議員としてならば問題が浮上することはなかったのでしょうが、経済産業省の大臣になった途端、情報操作によってずさんさを露呈した結果になってしまいました。

 

怒らないで欲しいのですが、世間が“女性”というキーワードを政治に使用したときは、既にその時点で女性を女性とでしか見ていません。

 

日本という国を磐石とする理由に、女性も男性もないと思います。

 

国民から支持されれば、そこに立てるのですから。

 

有権者は男性だけではありません。

 

しかし知っているんですね党の方々は。

 

誰が一番怖いのかを。

 

女性の心と秋の空はなんとやらです。

 

だから、団体として団結するためにどうするかが大変で、一番理解され易いのが自分たちと同じ“女性”という存在だけなのです。

 

それによって担ぐ人と担がれる人の政治的考え方が一致しているのか。

 

言えるのはどちらも利用しているということで、それは良くもなく、悪くもない事実ですが、我々国民にとってはなんの解決にもならない茶番劇かもしれません。

 

物をあげたのが大臣で、もらったのは確実に国民という図式ですから。

 

勿論、我々がもらった訳ではありませんが、有権者という言葉の枠に我々は入ってしまう事実があります。

 

茶番劇をただ眺めている我々にも、若干その責任があるように思えます。

 



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