キッチン付きのホテルでの、1日目は移動と今後の可能性について調べたり友人と連絡を取ることと夕食の買い出しで終わった。
翌2日目は、大使館に月曜日に確認のため、電話をしたところ、フランスの日本大使館は月曜日の朝に時間通りにかけても、「就業時間外」というアナウンスが流れ、大使館もフランス流なのだと驚いた。
大使館には帰国便のチケットのコピーをメールで送らなければならない。しかし、水曜、金曜、日曜しかANA便はない。今日が月曜日。
メールを送って領事レターを受け取るのにどのくらいの日数がかかるのか、見当がつかない。送ったらすぐに見てくれるのだろうか。
電話をかけても営業時間通りに電話に出ないことからして、数日かかることも考慮に入れておく必要があった。水曜・金曜はまず無理だろう。日曜日の便とて、確実ではない。
するとやはり翌週の水曜(つまり当初より10日遅れ)が最短であろう。
この時点では領事レターを書いてもらう方法を取るのが一番だと思ったが、そのために何日の帰国便を予約するかが、問題だった。
リヨンの友人に電話で予約を入れてもらうので、確実な日時での予約が必須だった。
またANAはこの時、週に3便(水・金・日)しか飛んでいなかったので、PCRテストをそれに合わせてすることを考えなければならない。
しかもその申請には帰国便のチケットが必要なので、リヨンのブリジットさんのご主人は「確実な状態で予約を入れたほうがいい。」と言ってきた。
それはそうである。万一予約したものの領事レターの届くのが遅れると、予約便のキャンセル・予約をもう一度してもらうことになる。
しかも彼には、時差の関係でフランス時間の真夜中の0時を過ぎて日本に電話してもらうことになるので迷惑は最小限にしないといけない。
これらから、私たちは帰国は当初予定より10日後、最悪14日後かもしれないと、腹を決めた。
この日はコロナの陽性のため、帰国便に乗れなかったことを、エリック、サンジェンマンアンレーのパトリックたちに知らせた。
エリックはすぐに「うちに来てもいいよ。困った事があれば何でも言って」と言ってくれた。エリックの変わらぬ温かさをが心にしみるようだった。
またサンジェルマンアンレーのパトリックについては何といっても一泊させてもらった時、彼らの寝室を使わせてもらっていたので、「(コロナを)うつしていないか心配だ。」と送った。
彼と彼の息子は前々日(土曜日)から風邪のような症状で、PCR検査を受けて、この日陽性だったとわかったと言ってきた。私がうつしたのは明らかだった。しかしまったく責めることなく、「シルヴィ(奥さん)はなんともないんだよ。9月にかかったから(奥さんだけかかったらしい)免疫があったんだろう」と。
そして「何かできることがあれば言ってほしい。大丈夫か」とまで言ってくれた。
エリックとパトリックには「今は保険でカバーできるキッチン付きのホテルにいるので大丈夫」と返事をした。
もちろん図書館夫妻にも知らせた。が、おそらく自分たちがうつしたとわかってはいただろうが、「早く回復してくれることを祈っている」にとどまった。
この日は連れ合いがゆっくり休みたいとのことで、ほぼ全快していた私が朝のパンを買いに行ったり、夕方も散歩を兼ねてマルチーヌの家のほうの薬局まで行った。
アンリが東洋系の磁気治療?のような資格を取っていて、その先生が教えてくれた方法で、彼がコロナにかかった時、それを試すと1カ月続いた咳がおさまったと言うハーブのエッセンシャンオイル2種類を探すためだった。1種類はすぐに見つかったが、結局もう1種類は見つからなかった。
もう私は全く問題なかったと言える。
しかし寒いので、散歩のみにしておいた。フランスに到着以来、あれほど好天に恵まれていたのに、不思議なことに私達の体調とともに気温が下がり天気もよくなかったのだ。
この辺りは徒歩圏で観光名所などに行けるので、普通ならあちこち行きたいところであったが、すでに訪れているところが多かったこともあり、そこまでの気持ちにはならなかった。