無事見つけることができたサブバッグを手に、大型電気店で探したかったのは、ネズミ型のパソコン拭き。でも結局それはなかったので、アパートに戻ることにした。
かなり遅くなったので、帰宅すると、すでにクリストフは待っていた。
久しぶりの再会の挨拶をして、アペリティフ。シャンパンが開けられた。
今回の旅で友人宅で戴く初めてのアルコールだった。
いつもは行くたびに、シャンパン、ワインと、毎日飲み続けることが多い(コロナ罹患に気が付かなった時でさえ、少しはいただいていた)
夫妻はシャンパンは飲むがワインを飲まないこともあって、この時が初めてになった。
マントンやイタリア旅行の話をJクロードの息子のクリストフに聞かれ、写真を見せたり話をしたりしていた。
そして、テーブルへ。
息子のためにJクロードはごちそうを用意していた。デザートも二種類のケーキが出された。しかしステーキのあと、このケーキはとても美味しかったが、かなり重かった。クリストフが残したくらいだ。しかし、私たちもミッシェルさんも完食。
確か、エリックカイザーのケーキだったと思う。(日本ではメゾンカイザーというパン屋だが、フランスのそれは原材料や大きさの違いも、またケーキやパンの種類もかなり多く、ずっしりと重い)
抹茶をここで、簡単に紹介して、点ててもらった。
お腹が膨れたところで、クリストフの提案で、ニースの展望台へプチトラン(ミニ列車)で行くことになった。
今回の旅では初めてのニースの海岸沿いへ行った。やっぱりニースの海岸もいつ見ても美しい。
プチトランで上まで上り、展望台で私たちは、景色を楽しみ、下りるときは歩いて下りるというコースだった。なかなか眺望も素晴らしかった。ここは古い城跡らしい。右手には赤茶色の屋根の家並みの旧市街が一望でき、左には青い地中海が広がっていた。
旧市街へ下り、その後はクリストフの家を目指す。彼は三重のセキュリティのマンションに住んでいた。
別のアパートから引っ越してきたと言っていたが、1人暮らしを満喫しているようだった。この彼がニースに住んでいたこともあって、夫妻は終の棲家をパリからニースへ移したのだった。特にJクロードのために。
父親を最近亡くしたこともあり、昔の父親や、祖母(Jクロードの母)との思い出を写真を見ながら話してくれた。
父親が亡くなる前、Jクロードは離婚して数十年以上になるが、世話をしに来ていたという。亡くなった後のことも彼女が手伝ったという。そんな形もまたあるのがフランス、それを寛大に見守るミッシェルさんもまた素晴らしい。
そんなことを思いながら、彼の家を後にして、ブラブラ散策しながら、少しモノプリで買い物をし、アパートに戻った。
今夜がニース最後の夜。もうお腹はいっぱいだったが、手料理をいただき、デザートのアイスクリーム(イタリアのものらしい)を食べて、尽きない話で盛り上がり、名残を惜しみながら、マルセイユへ向かう準備をして、床に就いた。
ここで、日本から持参したインスタントにゅうめんを味見してもらう↓悪くない反応。