今回の旅の振り返り
約3年ぶりの念願の渡仏だったが、行く前も数回のキャンセルでやっとの思いで旅程を整えた。
この旅の3分の2までは、順調すぎるくらい順調で、お天気にも恵まれ、気温も秋のフランスとは思えないくらい暖かい毎日だった。
南仏でのアクシデントと言えば、ストライキでニームで数時間待ちぼうけくらいである。
それも立ち直るのに時間はかからなかった。
南仏の友、クリスチーヌと再びパリに戻った後も 数日間は楽しい時間を過ごせていた。
それ以降、気温が急に下がるにつれ、心身の疲労がピークに。体調を崩し、まさかのPCR検査で陽性になり、自主隔離。帰国便のキャンセル。
この1週間くらいは、今までのフランス滞在、いや人生においてもそう経験することがないほど、精神的なダメージが大きかったと言える。
それでも調べたり、連絡したりと、しなければいけないことがたくさんあり、終わってみれば、短い時間で余裕のない中、よく切り抜けられたなあと思う。
追い詰められた状態になると、不思議なもので、いつも以上の力が出てくるのだろう。
そして、今回、忘れてはならない、友人たちの存在だ。
どれほど、感謝しても足りないくらいなのは、小児科医夫妻だ。
彼らなしでは、最短での帰国にはならなかったし、希望を見出すこともなく、もしかしたら大好きなフランスへの思いが変わってしまったかもしれないくらいだ。
その帰国便を深夜日本とのやり取りを何度もしてくれたリヨンの日仏夫妻。
リヨンとパリ、離れていても、日本語でのやり取りは、大きな安心感もあった。
彼らの支えが、見えないエネルギーになった。
帰国して今回の旅を思う時、友人には「晴れの日の友人」と「雨の時の友人」がいるということを、感じずにはいられない。
もちろん、
雨の日にも訪ねてきてくれる友人としては、上記の小児科夫妻。リヨンの日仏夫妻。
・彼ら以外では、陽性になったと言う私たちに「家においで」と変わらぬ言葉をかけてくれたエリック夫妻、
・私達がコロナを移したにもかかわらず、同じく温かい言葉をかけてくれたサンジェルマンアンレーのパトリック夫妻
・そして、お母さんが危篤に近い状況でも迎えてくれ、マルセイユからアヴィニョンまで車で送ってくれ、お母さんが亡くなった直後でも陽性になった私たちのため情報を探してくれたマルセイユのヴィルジニ。
・陽性になった後も荷物を置きに行かせてくれた絵描きのママのイザベル
・私達の望みを全て叶えてくれたクリスチーヌも、陽性になった私たちに情報を提供してくれた
・マルチーヌは、帰国後「もっとあなたたちのためにできることがあったのではないかと後悔している」と言ってくれた。
陽性になったことは言わなかったが、今回それに近い温かさを感じたのは、クリスチーヌの友人のヴェロニック。
変わらない温かさでアルルの家を貸してくれたクリスチャンも「あ・うん」の呼吸くらい通じ合える一人である。
逆に今回のことで、少し距離を置くことになってしまうかもしれない「晴れの日の友人」もいる。これは同じ状況だった(断るなど拒否するにしても)としてもメールの文に温かさがあるかないか、そういうものを感じてしまったということだ。
・ストライキ真っただ中のニーム駅に置き去りにしたニームのマダム
・マリーエメ・・3泊の予定だったが、手術を控えていたため、キャンセル
・フランソワーズとマリーアンジュ・・彼ら曰く「追い出した形」になってしまったことより、メールのやり取りでの温度差
・図書館夫妻・・結局彼らは最後までPCRもせずに治してしまったのだろう。まあフランスだけではなく、日本を含む世界でも、重症でなければ、そう言う人が多いのかもしれないと思った。
そして、反対の立場だったら、その状態で迎えることができるだろうかとも自問する。
文章には心の温度が現れる。それは自分にも問いかけてみなければならない。特に何らかの理由で拒否しなければならない場合は。
そんなことを考えさせられた今回の旅であった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます