アドリアンに駅まで送ってもらい、またSNCF近郊線でパリに戻った。
パリからはメトロを乗り継いで、ミッシェルさんの家に戻った。
今夜も予定が待っていた。
ミッシェルさんの友人たちがやってくるという。
それでは、と私も休む間もなく、着物を着て迎えることにした。
これはミッシェルさん夫妻へのお礼の気持ちも込めている。
おくさんのJクロードが、アペリティフなどを用意していた。
その時はわからなかったが、これはネムと言うベトナムの揚げ春巻きのようで、好きなものの一つとなった。
ミッシェルさん夫妻の友人たちが、次々にやってきた。
まずはマルチーヌ。彼女は私の到着より早く来て待っていたのだった。
しばらく歓談をした。
それからしばらくたってから、やってきたのは、一度会った事がある仏越カップル。
ご主人はベトナム人の麻酔医だったが、今退職しているそうだ。そのせいか、以前会った時よりずいぶん年を取って見えたのが気にかかった。
そして離婚した元カップルもやってきた。
初めて会うカップル?だったが、奥さんは非常に感じのいい女性で日本にも大いに関心があり、いろいろな質問をし、答えるたびに笑顔でうなずいてくれていた。
しかし、元夫は全くそういうタイプではなく、時に私にも皮肉を言ったりもして、離婚された経緯はわからないが、想像できるタイプの男性であった。
私がパリのアパートを借りていたのはどこかと聞かれ、レパブリックの近くだと答えた時、「それは、まあ上品なところだこと」と言われたのだ。私のアパートなら腹も立たないが、友人のアパートを借りていたので、嫌な気分になった。
この男性に対して私だけでなく、ほかにも同じように感じている人々がいて、このあと、私がジョークでもあり少し皮肉も込めて言った一言で留飲を下げたらしく、「ブラボー!!〇〇(私の名前)」と声が上がったのは嬉しかった。
そんな元夫婦と別々に今も付き合っているミッシェル夫妻もお見事だが、フランスでは離婚後顔を合わせてもこんなに普通に会えたりできるのは、やはりお国柄だとしても、少し余裕を感じる。
日本文化を披露したときも、拍手が起こり、フランス人の日本文化への憧れのような物を強く感じた。
1人で来ていたある女性は、日本に旅行したことがあり、他のアジアの国にも行ったが、日本は特別だと感じ、人々をはじめすべてに感動したという話をしてくれた。
それぞれの名前を忘れてしまったり、話の詳細を思い出せないのが残念で、やはりすぐにメモをしておくべきだったと感じるこの夜の夕食会だった。
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