今年は本当に自然災害が多く、今日も大型台風24号が日本へと来ています。あ、もう上陸したのかな?
だからというわけではなかったのですが、今月6日に起こった胆振東部地震について、日記として書いておきます。
うちは札幌市中央区在住なので、幸い大きな被害は無かったのですが、それでもいわゆる「ブラックアウト」にあいました。
停電時はそんなにストレスがあったとは思わなかったけど、停電の影響がすっかり落ち着いた辺りから妙にしつこい風邪にかかり、今もまだ完全に復調できていません。自覚は無かったけど、我知らず気を張っていたのかなあ。
今回の停電で困ったことですが、うちの場合は正直そんなにありませんでした。強いて言えばスマホに使用するモバイルバッテリーをもう一つ買っておけば良かったと思ったくらいかな。
ただ、もしバッテリーが切れたとしても、最悪は自家用車からバッテリーを供給する手段もあったので、そこまで深刻なものではなかったです。
あと、普段から水を貯めておく習慣があったとか、いつも食料日用品を数日分買い置きしていて、この日も買い揃えたタイミングだったとか。色々なラッキーもあったと思います。
地震が起きたのは9月6日の朝方、午前3時8分。グラっと縦揺れが来て目がさめると同時くらいに、枕元に置いてたスマホの「地震です」アラートが鳴った。スマホを手に取って画面を確認すると同時に今度は横揺れに変わった感じ。
「アラートが地震の後じゃ意味ないじゃん」とか軽口を叩きながら起き上がったら、もう相方さんが窓と玄関へ通じるドアを開けてた。出口の確保、素早い。
地震の揺れそのものは大きめとは感じたけど、棚の物が落ちるほどではなく(後に震度4程度だったと判明)揺れた時間もごく短い。ただ揺れの感じから、震源地は遠方だろうという想像はできた。
テレビをつけると震源地は胆振地方の内陸部らしい。まず震源地が私の実家のある十勝地方でないことにホッとする。「十勝沖地震が起きる危険度が80%以上」という話題が記憶に新しかったからね。
続いてニュース画面に最大震度6強という表示(後に訂正されて最大震度7となった)を聞いて「震度6か。震源地が内陸なら津波は無いだろうし、そんなに大きな被害は出ないかも?」「そうなら良いねえ」なんて相方さんと話していた。
私も相方さんも、各自が内陸地で震度5〜6程度の地震は経験してたので、震源地が内陸地であることにまず安心した。
一応父へ電話してみる…が、電話に出ない。でも実家の方は震度4程度とテレビに出ていたので「地震慣れしてる地域だから、このくらいなら気づかず寝てるかも」などと考えて7コール呼んだところで止める。
「父さん電話出ないや。震度4くらいなら慣れてるから寝なおしてるかも」とか話してたところへ例のブラックアウト。「あ!停電」と我知らず声に出た。ベランダへ出ると、非常用電源が働いたと思しき大きな建物や街灯以外、真っ暗。
スマホを通してツイッターで情報を求めると、道民と思しき人たちが一斉に「停電だ!」と口々に呟いていたので、かなり大規模な停電であることは想像できた。ただ道内全面とは即座に分からず。なによりまだ夜明け前、暗い中では何もできないから二度寝。
朝起きてもまだ停電復旧せず。ツイッターを見ると北海道ほぼ全域が停電とのニュースが出ていて、思っていたよりも大規模なそして長期的な停電になりそうなことを知る。
停電が長期になると気付いて私がまず行ったのは水の確保。うちはマンションの上階なので、停電が長引くと心配なのは電気ポンプで屋上へ組み上げているであろう水の不足。
田舎出身のため、停電で水が止まる経験は子供の頃に何度かしている。水の対応が第1だなーと、さくさく動く。
うちは毎日風呂の残り湯で洗濯してるため、この日も風呂の水が残ってる。水洗トイレの水はそれでOK。問題は飲料水と食事に使う水だけど、それはありったけのペットボトルに水を貯めて対応。
そしてうちは普段から蛇口に取り付けるタイプの浄水器を使用しているのだが、使用時の都合で浄水器を付けっぱなしにできないため、2日に一度は2リットルのペットボトル4〜5本に貯めた水を冷蔵庫へ入れておき、飲料水や料理に用いていた。災害時の水というより普段の使い勝手のための方法だったけど、今回はその水と、貯め置き用に保存していた水用のペットボトルが活躍した形。
水を貯めつつベランダから道路周りを見ると、停電発生時には点いていた信号機が全て消えていることに気づく。平日木曜日の朝、かなりの数の自動車が交差点をゆっくりと譲り合いながら行き交う車が見える。これはかなり渋滞するだろうなあと想像。
とりあえず朝ごはんを食べねばで、朝イチに炊けるように予約してたご飯を土鍋に入れ直して炊く。ただこの日はよりによって「もち麦ご飯をたくさん炊いて冷凍しておこう」という目論見で5合用意してた。なんでこのタイミングなんだーと思ったけど仕方なし。
5合が炊き上がった量にうひょーっとなるも、普通に味噌汁と目玉焼き、納豆で朝ごはん。この後停電中は、冷蔵庫に入ってた肉や野菜を傷みそうな順にどんどん料理。
当時、ツイッターで「停電中の道民が皆ジンギスカンを食べている」と話題になっていたそうだが、うちもお盆に頂いて冷凍していた鹿ロース肉をガンガン焼いて食べてた。それまで大事にちょこちょこ解凍して食べてたんだけどね。腐るくらいならすぐ食べちゃえ!はやはり共通意識。いつもの食卓より贅沢だなーと、食べながら相方さんと笑ってた。
ちょっと時間戻して、午前8時頃に父から電話。
「朝になってラジオつけたら、十勝沖だろうと思ってた地震が、そっち側(道央道南)震源って言っててビックリした!(私からの)電話が来た時は、地震で目が覚めてトイレに行っていた。電話が来ていたことに気づいたけど、揺れたのは道東だと思っていたから(震度4くらいで電話して来るなんて大げさだなあと思ったので)そのまま寝ちゃった」と苦笑しながら話してた。ともあれお互いの無事を確認してひと安心。
(あ、でもそういえば今気づいたけど、弟とは地震の後やりとりしてないや。まああっちは逆に何かあれば連絡して来るだろうと思ってるので全く心配してない)
さて、朝食の片付けをしていたら、案の定水の出が悪くなって、10時頃には全く出なくなった。その後は茶碗にサランラップを被せて使ったり、紙皿と紙コップを使うなど、洗い物を出さないように工夫。調理で使った鍋はウエットティッシュで汚れを落とし、水を少し使ってからペーパータオルで乾拭き。これで洗い物を放置せずに済んだ。
情報収集したいのでついついスマホを見る。しかしスマホはもちろん大事な情報源だけど、連絡ツールとして残したいから電池保持のためにあまり使いたくない。ふと学生の頃にもらったラジオがあったなーと、棚の奥を探して程なく発見。単三電池だけで動く単純な携帯ラジオ。これが今回本当に役に立った。
なによりリアルタイムのニュースや地域情報を聞けるのがありがたかった。災害時はラジオ大事。よく聞くけど本当だと思う。ツイッターで流れていた各種のデマもきちんと打ち消していた。
午後になってからスマホの電波が安定せず、圏外になりそのまま繋がらなくなった。「電波塔の電源が切れたらもう電話が一切繋がらなくなる」という話がツイッターに出ていたので、ああそれかーと諦めた。
夜になる前にまた電波が復活して、これもデマだと分かるんだけど、その時は皆繋がらないんだから仕方ないやーと、積ん読にしてた本読み返したりしてた。やることがないし。
この日はとにかく電気がつかないのだから事務所で仕事もできないし、動いても仕方ないという判断で、2人して家で待機。相方さんは「仕方ないからね〜」と言いつつ、ずっと昼寝。実はその前日までかなり忙しい日が続き、いい加減体が心配だったので、この点だけ結果オーライかも。
余震が数多く起きるなか、そんな感じで過ごし、次の日の早朝に停電が復旧。やれやれとテレビをつけて見た厚真町の災害風景に絶句。ラジオでは聞いていたけれど、大きな画面で見る動画に映った、削れて落ちた山肌の映像に息を飲んだ。
時間にして1日ちょっとの停電だったけれど、やたらと長く感じた。冷蔵庫の肉野菜は腐りやすいものから食べたし、冷凍庫も開け閉めしないで過ごしたのでほぼ無事だった。鹿ロース肉、頑張って食べなくても大丈夫だったな…。
この停電のせいで途切れた物流が完全に復帰するには2週間以上かかった。毎日牛乳と納豆が全然手に入らなかったので、恋しくて仕方なかった。
また後で付け足すかもしれないけど、今回の停電の日記としてはこんなところ。
あれから3週間あまり経ちましたが、今日もまだ震度4の余震が起きています。
うちは震度1くらいの小さな余震で済んでいるけど、大きな被害のあったところは本当に大変だろうなあと。今回の台風での被害も、極力少ないことを願います。
写真は停電時に使ったアロマキャンドル。何年も前にお祭りで貰ったものでしたが、5時間くらい活躍してくれました。
※注釈 余震が続いていたので、2人のうちどちらかが必ず火の横にいて、すぐに火を消せる状態にしていました。二次災害には気をつけないとです。