徒然駄日記

日々の徒然と昔話などなど
色々書きとめておこうと思います。

『元気な猫 げんきのこと』

2006-05-11 | 昔話
大昔に書いた実家の猫の話です。
これを書いた当時は、まさか文章で仕事をするとは思っていなかった(笑
今読むと、かなりつたない表現も多いですが
まあ、これもご愛嬌という事で…


私の実家は曾祖父の代から農業をやっていた。
農家といえば、現代ならば「大型機械を使用」がメインだが
私が物心ついた頃は、当たり前のように馬や山羊がいた。
何故かウサギ、鳩、ニワトリ、犬、猫等々、農家に関係無い動物もいた。
今考えると、ほとんどムツゴロウさんのようだが、
私の幼少時の近隣の家では、けっこう普通の光景だった。

現在は家畜を飼う必要もなくなり、実家にいるのは猫が2匹。

私が学生の頃までは「ネズミを取るため」に飼われていた猫。
が、今となっては完璧愛玩用の動物となり、食事はキャットフード。
「ネズミって何?おもちゃ?」という優雅な生活を送っている。

ちなみに、昔「動物のお医者さん」というマンガで、
主人公が飼い猫に、文字通りのみそ汁ぶっかけ「ねこまんま」を与えて、
「タンパク質は自分で取りなさいね」という場面があって笑ったことがあったが、
私が社会人になる頃までは、飼い猫とはそういう境遇が普通だった。
「キャットフードなんてものを貰えるのは、高級な純血腫の猫」
その頃はそれが当たり前という物だったのね。

時代によって(?)猫の待遇も変わるもんだな~と思うが、
うちにとって「家畜」だった猫を完璧な愛玩動物に変えたのは、
もう10年以上前に飼った一匹の雄猫。
名前は「げんき」といった。

それまで家で飼っていた猫たちは、基本的に山猫よろしく。
1日中なわばり争いに出掛け、小鳥やネズミを捕り、
それでも腹が減って仕方がない‥と言う状況になって帰ってくる。

人間に訴えるのは「メシくれ」と「外に出せ」「家に入れろ」
基本的に私達を「困ったら助けてもらえる対象」という認識で見ているし、
私もそこが自由な猫の魅力と思っていた…が、
「げんき」は、どこかひと味違っていた。

げんきが来た当時、私はすでに実家から出ていた。

日頃めったなことでは電話などしてこない父が
ある日突然、妙に嬉しそうな声で連絡して来た。
何かと思えば「子猫をもらったから、近いうちに見に来いや~」という。

実はその数ヶ月前、飼っていた「ちび」という猫が交通事故で死んでいた。
当時飼っていた動物は、その猫のみだったので
動物好きの祖父母が「また猫を飼いたい」と言っていたのだ。

しかし、家の周辺は大型車が走るようになってきたため
猫が交通事故に遭う確率が非常に高くなってきていた。
だから、今度は完全室内飼いにしたいと。

だが、その話を一番渋っていたのは父だった
「室内で動物を飼うのは、トイレなどの世話が大変だし
もう動物を飼うのはやめたいんだよな…」と。

その父親から、猫の事で妙に嬉しげな電話。
「はて‥?」と正直思った。

まあ、実際に飼ってしまえば父親も所詮動物好き。
やはり可愛くなってしまったんだろう‥と思い、
早速次の休日に実家に顔を出すことにした。

待っていたのは全身茶虎の、妙にひょろ長い子猫。
初対面の私に臆することなく「誰?」と鼻で挨拶してくる。
おや? ずいぶん物怖じしない奴だなあ…が、第一印象。

「げんきっていう名前なんだぁ」と、父。

「げんき」の名の由来は、生まれた子猫の中でも
無茶苦茶「元気」だったからと聞いた。
ものすごく単純な命名だが、なるほどその名の通りの猫だった。

目が覚めている限り、すべての物で遊ぼうとし、
しばらく相手をして、もういいだろうと思っても
自分が満足しなければ、いつまでも引っ掻いて誘ってくる。
疲れて呼吸困難になり、舌を出してハァハァいいながらも(猫が!!)
目は猫じゃらしを追っているという具合。

子猫は遊ぶものと相場が決まっているが、
「こんなに遊ぶ事に貪欲な猫は見たことがない」と思った。
そのかわり、寝るときは電池が切れたようにパタンと寝て
何をしても全く目を覚まさない。

実際、家族の誰もがこの猫にメロメロ状態。
奔放な子猫は実家のアイドルになっているようだった。

私もこのやんちゃな猫が気に入って、帰省に4時間かかる実家に
1~2ヶ月に1度は顔を出すようになった。

しかし、何度も見ているうちに
「実はコイツは犬なんじゃないか?」と思えてきた。

まず、誰よりも父親に懐いた。
それまで猫が懐くのは、自分に対して優しくしてくれる‥
たとえば祖母が多かったのだが、
げんきは「毎日遊んでくれる」父が大好きになっていた。

農繁期、忙しく働く父が玄関を出たり入ったりする音に敏感で、
玄関で音がするたびにドアの前で座り込んで待つ。

そんな時は私が遊びに誘おうと見向きもしない。
「俺はとーさんと遊びたいんだから、ほっといてよ」
…とでも言いそうな顔でこちらを一瞥し、また玄関の方をずっと睨んでいる。

そして父が入ってくるやいなや、その後を追いかけてくっついて回る。
そんな時の父の顔はデレデレ~という表現がぴったり。

口では「うるさいなー。そんなについてきても、遊べないの!」
…とは言いながら、顔はすっかり緩んでいる。

実際、父のこの表情には驚いた。
子供の頃から笑顔を見せる事が少なく、
厳しい顔がトレードマークのようなイメージのある父なのだ。
それが飼い猫にたいしてこれか!!?と。

私はそれまで知らなかった父の一面を、初めて見た気がした。

子猫の頃はひょろ長い体だったげんきは、
みるみるずんずんでかく育ち(6キロ以上)力も強くなった。

生後7ヶ月頃に、げんきは去勢された。
雌を探しに行く必要が無ければ、
外に興味も無くなるだろうという思惑だったが、
何にでも興味を示す性格には意味が無かったようだ。

夏、特に日中は網戸で涼風を取り入れる。
(北海道の山中の夏は、気温は上がるが湿度が低い。ただし虫が多いのが難)

げんきは網戸を通して、目の前の庭にやってくる鳥や虫たちに反応を示し、
ついには網戸に飛びついて「あそこに行きたい!!」と鳴き喚いてアピール。

6キロ以上の大猫が飛びつけば、網戸がずたずたになるのに、そう時間はかからない。
網戸の修復が追いつかなくなる頃、時々げんきは外に抜け出すようになった。

もとより「遊んでくれるとーさん」が出ていく「外」に興味津々。
おまけに遊べる「おもちゃ」がたくさん見える。当然と言えば当然だ。

始めは外に出るたびに、追いかけて連れ戻していたらしい。
逃げた訳では無いので、捕まえるのは簡単だ。
ただ、家族の隙をみて外に出る回数は増えていた。

何度目かの帰省時、またげんきがいない。

「また、外に出ちゃったんじゃないの?」と 言う私に、
「なに、俺が呼べば来るんだ」と父。
半信半疑な私に向かって父はニヤッと笑うと
窓から「ピュー」と口笛を2、3度吹いた。

少しすると、ものすごい勢いでげんきが走ってきた。
「ほらな」自慢げな父。
「おぉー」感心する私。

なにより、げんきは父に懐いていた。
いかに遊びの最中であっても、
父との時間の方がげんきには楽しいのだろう。

帰省して遅めに目覚めた夏の朝。
私の部屋の窓から、畑に歩いて向かう父の姿が見えた。
ここまでは普通の光景。

だがその足下に、前になり後になり、
跳ねながら楽しげについていく茶色い物が見える。

「あらら、げんきだ」

その頃には、父の行くところには何処にでもついて歩く
ほとんど「犬」のようになっていた。

だが、いかに父がげんきを可愛がっていても、仕事は仕事。
ずっと遊べるわけではない。

「そんな時は何してんの?」と、父に聞いてみた。
「しばらく俺が仕事しているのを見てんだけど、
そのうちあきらめて、家の方に帰って行くんだぁ」と父。

先日初めて聞いて、たまげた話がある。
げんきは、父と一緒に「トラクター」に乗っていたというのだ。

犬が乗るのならまだ分かる。
実際、ショベルカーに飼い犬を乗せて
現場で働いている人を見たことがあるからだ。

犬は、飼い主のおじさんが運転席に乗り込むやいなや、
慣れた様子でひょいと飛び乗り、足下にぺったりと座ったまま
取り壊し作業の揺れにも動じた風は無かった。

びっくりして「ずいぶん慣れているんですねー」と声を掛けると、
「小さい頃から乗せているから、車が好きなんだぁ」と
笑って答えてくれた記憶がある。

しかし、げんきは小さい頃から車に乗せていたわけではないし、
なによりエンジン音が嫌いなはずだ。

たとえ車の下に居たとしても、エンジンを掛けたとたんに
すっ飛んで逃げていた。
家族も、その様子を見て「コイツは事故には遭わないだろう」と
安心して外に出していたのだ。

「俺が一緒だと、怖くないもんだなと思ってたらしい」と
後に父が言っていた。

夜寝る時間になると父は「げんき、寝るぞ」と声を掛け、
自分の部屋の戸を10センチばかり開けていく。

眠いときはそのままついていき、遊び足りないときは私の部屋の前で鳴く。
それでもひとしきり遊んだ後は「俺の寝るところはここじゃない」ということか、
父の部屋に戻っていった。

もっとも、1度だけ私の部屋にげんきを入れ、
ドアを閉めて寝たことがある。
げんきもその日は散々遊んだせいか、大人しく寝た。

‥が、翌朝の父がなにげに不機嫌そうだったので(苦笑)
げんきが来ても、ドアを閉めることはやめた。

元々動物好きの父だが、自分にここまで懐いてくると
可愛くて仕方が無かったんだろう。

げんきのことになると、嬉しげな顔で
「こいつは頭がいいぞー」
「俺に懐いてるんだー」と、デレデレ顔になって話していた。

考えてみると、父はそれまで飼っていた動物を、
名前で呼ぶことは少なかった。

もちろん、呼びかけるときには名前を呼ぶ。
‥が、私たちに話すときは「猫が」「犬が」というように、
固有名詞を使わないのがほとんどだった。

げんきは、父にとってはもう「猫」ではなく
「げんき」になっていたんだと思う。


げんきの最期は唐突だった。

飼い始めて3年になろうとする頃、
実家に帰省の電話をしてそれを知った。

死んだのはもう1ヶ月近く前だったらしい。が、
父はそれをすぐにこちらに知らせる気にはならなかったらしい。

「俺もしばらく寂しくてなぁ。最近やっと慣れてきたんだ」という父に
「そうなんだ…」としか言えなかった。

たまにしか帰らない私より、
あれだけ懐かれていた父の方がきつかっただろう。

死因は、皮肉にも交通事故だったそうだ。
轢かれたばかりらしいのを父が見つけたという。
抱き上げると、まだ暖かかったそうだ。
「あれだけ頭のいい奴でも、急に車が来ると、
体がすくんじゃうんだろうな‥
 ああいう猫は長生きできないのかもな」と、後に父が言った。

げんきは長生きこそしなかったが、
猫がこんなに愛しい物になることを再認識させてくれた。

今実家で飼っている2匹の猫「げんこ」と「ちーこ」も、
それぞれの個性があって可愛い。
父も、分け隔てなく可愛がっている。

だけどできれば、またげんきのような猫に会えたらなぁと思う。