ご先祖様のお墓参りの帰り
史跡の一部を兄夫婦が案内してくれました。
お墓のすぐ横が妻女山の散策入り口なので
まずは妻女山の山頂へ。
妻女山山頂
妻女山からの展望
展望台より松代町を望む
川中島合戦図
永禄四年( 1561 )の川中島合戦の際、上杉謙信はここ( 長野市松代町清野付近 )に本陣を置き、海津城の武田信玄と対峙した。決戦の前日、海津城から立ち上がる煙を見て、謙信は信玄の動きを察知。この山の西方から下山し、雨宮の渡しを経て川中島平に出たと伝えられる。山頂からの展望は抜群で、川中島平のほか、上信越県境に広がる山並みを望むことができる。
雨宮の渡し
千曲川を渡るための渡船場( 千曲市雨宮付近 )。永録四年( 1561 )の合戦において、武田方の動きを察知した上杉勢が、妻女山を下り、この地で千曲川を渡り八幡原に向かった。現在は、千曲川の流れが変わったため、往時の面影を感じる術はないが、夜陰に紛れ、人馬とも声なく、粛々と渡河する上杉方の姿を詠んだ頼山陽直筆の詩を刻んだ碑が、渡河点と思われる場に立てられている。
鞭声粛々(べんせいゆくしゅく)夜河を過(わた)る
暁に見る千兵の大牙(たいが)を擁するを
遺恨十年一剣を磨き
流星光底(こうてい)長蛇(ようだ)を逸す
上杉謙信 槍尻の泉
槍尻の泉の説明文
山本勘助の墓
一日では とてもまわりきれる物ではありません。
又の機会に楽しみをとっておきます。
史跡の一部を兄夫婦が案内してくれました。
お墓のすぐ横が妻女山の散策入り口なので
まずは妻女山の山頂へ。
妻女山山頂
妻女山からの展望
展望台より松代町を望む
川中島合戦図
永禄四年( 1561 )の川中島合戦の際、上杉謙信はここ( 長野市松代町清野付近 )に本陣を置き、海津城の武田信玄と対峙した。決戦の前日、海津城から立ち上がる煙を見て、謙信は信玄の動きを察知。この山の西方から下山し、雨宮の渡しを経て川中島平に出たと伝えられる。山頂からの展望は抜群で、川中島平のほか、上信越県境に広がる山並みを望むことができる。
雨宮の渡し
千曲川を渡るための渡船場( 千曲市雨宮付近 )。永録四年( 1561 )の合戦において、武田方の動きを察知した上杉勢が、妻女山を下り、この地で千曲川を渡り八幡原に向かった。現在は、千曲川の流れが変わったため、往時の面影を感じる術はないが、夜陰に紛れ、人馬とも声なく、粛々と渡河する上杉方の姿を詠んだ頼山陽直筆の詩を刻んだ碑が、渡河点と思われる場に立てられている。
鞭声粛々(べんせいゆくしゅく)夜河を過(わた)る
暁に見る千兵の大牙(たいが)を擁するを
遺恨十年一剣を磨き
流星光底(こうてい)長蛇(ようだ)を逸す
上杉謙信 槍尻の泉
槍尻の泉の説明文
山本勘助の墓
一日では とてもまわりきれる物ではありません。
又の機会に楽しみをとっておきます。