【4】へ
「……ああしてるのを見ると、完全に出来上がってる二人なんだけどねえ」
遠目から海辺の様子を窺っていた小牧が、ふと漏らした。
毬江と手をつないだまま、膝まで海水に漬かっている。
毬江も手塚と柴崎のほうを見ていた。首を傾げる。
「違うの? 恋人同士なんでしょ」
「そうだよ。念願かなってね」
どっちの念願なんだろうと思ったけど、失礼なような気がして毬江は口にしない。
小牧は、実際のところ、あの二人にはまだ肉体関係はないと踏んでいる。
勘で分かる。男と女のにおいがしない、とでも言えばいいのか。
見たところ、手塚が柴崎を大事にしすぎて手を出せないでいるようだが。
堂上が郁となかなかそういう関係になれなかったというのとは、彼らの場合微妙にバックボーンが違う。
結ばれた経緯が経緯だけに、手塚も今ひとつ踏み切れないでいるのだろう。
周囲で見ているほうがやきもきさせられる。でも、それら丸ごと含めて、ウォッチングの好物件であるのに変わりはない。
「毬江ちゃんは俺に抱かれるの、抵抗なかった?」
毬江が頬をなぶる温い風に髪を押さえた。一瞬だけ、小牧と手が離れる。
「なんで? そんなこと訊くの」
「ん、なんとなく」
あたしは、と毬江はいったん口を開きかけ、思い直したように閉じてまた開いた。
「……早く 幹久さんがあたしを自分のものにしてくれないかってずっと前から思ってたから、そうしてくれて、嬉しかった。……って言ったら、幻滅する?」
「しない」
小牧は即答した。笑みが自然と零れる。
「そう思ってくれてたんだ。嬉しいな」
「ずっと前からよ。知ってたくせに」
「うん。ごめんね。待たせて」
「いいの。だって」
と言いかけた毬江。小牧は人差し指を立てて、それを彼女の口にそっと押し当てた。
毬江は唇を閉じる。
「その先は俺に言わせて? ――好きだよ」
毬江の目が大きく、こぼれんばかりに大きく見開かれる。
その柔らかな唇に、指を当てたまま、小牧は続けた。
「今は、毬江ちゃんの何倍も何万倍も、俺のほうが、君の事が好きだよ」
「幹久さん」
小牧は陸を目で促す。そして、
「いったん、上がろうか。日焼け止め塗りなおさないとね。そろそろ」
「え、そう?」
「塗るの手伝ってあげる」
「でも手塚さんたちがいるわ」
ためらう毬江の手を引いて小牧は歩き出す。膝の上でしぶきが散った。
「構わないよ。見せ付けてやろう。あっちにも少しいい刺激になるだろ」
平然とそう言い放つ小牧を見て、このひとってけっこう悪い男かも、と毬江はきらきらと海面で反射する陽光に目を細めながら思う。
「はいはいはい! あたし、いっちばん!」
「馬鹿言え。お前が先にやったら、全壊で何も残らんだろうが。後のことも考えろ、後のことも」
「あ、ひどっ。篤さんその言いようって妻に対するブジョク」
「じゃあ誰から行きます? あたしは遠慮したいな」
「でもやっぱ女性陣からでしょう。レディファーストってことじゃなくても。俺たちから行ったら割るとこなくなっちゃうよ」
「だからあたしだって女性陣の一員だから!」
「笠原、お前は例外中の例外だって自覚あるか?」
「うううう。手塚まで」
「まあまあここはやりたい人にやらせてあげたら。どうせ割らなきゃ何も始まらないものなんだし」
「割る過程が大事な種目ではあるけどね」
海辺で何の騒ぎかというと、スイカ割りの話である。
海といえば、スイカ割りでしょう! と力説する郁が、前もって買い込んで車にのっけて持ってきたのだ。
ブルーシートとバッドまで持ち込む力の入れようだ。これは本格的にやる気だな、と堂上などは気を引き締めたものだ。
一番手に誰が行くかでもめたが、郁の気迫に負けて結局みな譲った。
「どっせーい!」
案の定、ぱっかん、と見事に一刀両断。
おお、とため息とも歓声ともつかぬものがギャラリーから上がる。
「やったあ」
と鼻息荒く、ガッツポーズの郁。目隠しのタオルをはずし、みんなを振り返った。
「笠原さん、すごい」
ぱちぱちと毬江が拍手した。柴崎は小首をかしげて苦笑している。
堂上は「それ見ろ。言わんこっちゃない」と渋い顔を見せる。
「何で褒めてくれないの」
むくれる郁に、「だってなあ」「予想通りですね」と目を見交わしあう男たち。
堂上がかぶりを振った。噛み砕いてやるしかないのか。
「スイカ割りってのはなあ、こう、空振りしたり、当たってもひびが入りもしなかったり、ああ、何やってんだ、しっかり! っていう【じれったさ】っていうのか。そういうのを楽しむ競技なんだ。なんだ一発で割ってしまって」
滔々と説教を垂れる堂上を前に、見る見る郁の顔が曇る。
「割ったのに怒られるって、そんなのあり~?」
泣きべそをかきそうだ。
間に小牧が割って入る。
「まあまあ。笠原夫妻喧嘩しないで。とにかく食べよ。ほら包丁で切らなくていいぐらいすかんと割れてる。さすが笠原さんだね。【竹を割ったような性格】だから」
「小牧教官だからそれって褒め言葉ですかっ?」
ぎゃあぎゃあやりあう輪から少し離れて、柴崎が手塚を呼んだ。
「ねえ、手塚」
「ん?」
「あんた、すごい汗よ。何か、飲んだら。脱水症状になっちゃうわよ」
雲に阻まれ、直射日光は浴びていないはずなのに。気温はやけに高い。
台風が近づいているせいだろう。
手塚は「うん」と言って、クーラーボックスからイオン水のボトルを取り出して飲んだ。
「あたしにも一口ちょうだい」
さらりと柴崎が言ってくる。
ここで間接キスだとか、持ち出すほうが格好悪い。そう思って動揺を表に出さないように、ほら、と呑みかけを渡してやる。
「サンキュ」
柴崎は喉が渇いていたのか、こくこくと半分も中身を空ける。
その喉が発光しているように白くて、触れたいなと真昼なのにほの杳い欲望が頭をもたげてくる。
さっき、見せ付けられた小牧と毬江のいちゃいちゃぶりが、残り火のように手塚の脳裏に熱を残しているのかもしれなかった。
ありがと、と返しかけて、ふと封のところに口紅がついてしまっているのに柴崎は気がつく。指先で拭おうとするが、目地に入ってしまってなかなか落ちない。
「ごめん」
「構わないよ。そういやお前、喫茶店とかでも頼んだ飲み物のカップの縁についた口紅、まめに拭うもんな」
女性ならではのしぐさに、ドキッとしたことを思い出しながら手塚は言った。
「んー。なんかもう、癖になってるのね」
「癖? なんでだ」
「ん、前にね、あたしが注文したグラスとかカップをね、持ち帰られたことがあって。ウエイターのバイトのやつになんだけど」
手塚は驚いてまじまじと柴崎を見つめた。今まで聞いたことがなかった話だった。
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