「はいじっとしてえ。動いちゃだめよー」
「……う」
柴崎の前、かちんこちんに固まっているのは手塚。
彼らの自宅でネイルアートに勤しんでいるところだった。
手塚の大きな手に、丁寧にポリッシュを柴崎が施している。男性にしてはすんなりした指。とても狙撃手だったとは思えない。短く切りそろえてあるが、爪の一つ一つが自分のものより大きいので施術のしがいがある。
俄然、熱も入るというものだ。
「これ、塗って何か載せてもちゃんと落ちるんだよな? 休暇明けまでには」
不安そうな面持ち。それが面白くて柴崎は、
「んー、あたしが特殊なリムーバーでやってあげればね、でも落とすのもきちんとした手順があるのよ」
「なに?」
不安そうに目を上げるのでつい吹き出してしまう。
「はいはい、動かないで、だいじょうぶよー。怖くない怖くない」
動物病院に連れられてきたペットか何かをなだめるときのような口調で柴崎が言った。
「うう」
手塚はプルプル震える手の甲を預けて、爪にきらびやかなスタッズが置かれるのを見守るしかなかった。
「……どう思う?アレ」
ダイニングのテーブルについて一部始終を見ていた堂上が郁に言った。
「生まれたての小鹿みたいだなまるで。今にも立ち上がりそうだ」
「うふふ。夫婦仲がいいってことでしょ」
ご機嫌な声で返ってくる。郁は今妊娠中で、柴崎の施すネイル関係の匂いがダメらしく、こちらの部屋で距離をおいているのだ。
今日は、堂上と二人で同期夫妻のところに遊びに来たのだ。
お持たせで買い込んだケーキを、自身が頬張りながら「柴崎、ネイルアートに凝り出したんだよ最近。でも仕事が仕事じゃない?あんま、派手に塗れないからさ。たまに非番の手塚をつかまえて、いろいろ覚えた技を試すんだって」と説明してあげた。
堂上は感心したようにほお、と顎をさする。
「そいつはえらいな。さすがは手塚」
「? なんで?」
「だって、ネイルアートって、なあ」
口を濁す。男なのになんて言う時代ではないことぐらいじゅうじゅう承知しているものの。男性の化粧には抵抗がある。そんな彼に郁は言った。
「そうだ、篤さんもやってもらえば。柴崎にネイル。すごい上手なんだよー。センスがいいの」
あたしも、ネイルアートの匂いがダメじゃなくなったらやってもらうんだーとにこにこしてケーキを口に運ぶ。
「いや、俺は結構だ」
「なんで」
「なんでも」
「堂上一正、聴こえてますけど、こっちまでまるっと」
そこで話に割り込んできたのが柴崎。LEDライトを手塚の手に丁度いい角度で浴びせる調節をしながら肩越しに言った。
「せっかくうちにいらしたんですから、試してみてもいいんじゃないですか?未知の世界の扉、開いちゃうかもしれないですよお」
甘い声音で誘い込む。
堂上は、む、と口に運んでいたコーヒーを吹き出すところだった。
「遠慮しとくよ。俺はどっからどう見てもネイルって柄じゃない」
「そんなことないですよ。男性だって爪がきれいだったら気分いいじゃないですかー。自分の指先は目に留まりやすいところですし。上がりますよ?」
「いやあ。まあそうかもしれんが。さっきから手塚の様子を見させてもらってるけど、塗って、なんとかライト当てて、乾かしてまた塗ってとかいう工程、とてもじゃないがジッとしてる自信がない」
「ふふ。だってよ笠原」
「やってもらえばいいのにねー。きれいになるのにねえ」
「ほんとよね」
妻たちは目を見交わす。うふふと含み笑いを蓄えて。
そんな彼女たちを見ながら、夫たちは黙って言葉を呑み込むのだった。
「手塚、すっごい、きれーい! ドラアグクイーンみたいよ」
仕上がった手塚の爪を見て、郁が歓声を上げた。ぱちぱちと手放しでほめる。
「そりゃどうも」
スンっとすでに表情を失くして、手塚が応える。こういうからかいの対象となった時は無の心でやり過ごすのが一番だ。経験値が教えてくれている。
「たしかに、きれいだな」
満更お世辞でもない口調で堂上も言った。
「未知の扉、開きそうですよ」
「お前も言うようになったなあ」
しみじみ噛みしめるように呟いて、堂上が手塚の腕をぽんと払う。と、
「あいつが愉しそうにしてくれるなら、このぐらいなんともないです」
彼が声を落として、妻たちには聞こえないほどの声量で言った。
堂上が眉を動かす。
「……お前もなあ」
「なんです?」
「いや。……柴崎も幸せ者だな」
そこで、手塚は和気あいあいとしている妻たちへ眼をやって、「笠原もね」と微笑んだ。
ふっと堂上も相好を崩す。
産休でずっとうちにいる郁を気遣って、堂上が誘い出した。柴崎たちと打ち合わせて。
二組の図書隊の夫婦の、日曜の昼下がりのひとこま。
END
お久しぶりの「図書館戦争」二次です。