初めてじゃ、ないんだ……。
初めてじゃ、なかった。
「早苗? どうかした? ぼーっとして」
「え? そ、そお。そんなことないよ」
焦ってお弁当に向かう。けれども全然箸が進まない。お弁当の味がしないなんて、それこそ初めてだった。
昼休み。友達と机を合わせて、ご飯を食べる。いつもなら他愛ないおしゃべりや雑談に興じる楽しいひとときなのに、今日は全然友達の声が耳に入ってこない。
ううん、入ってきても、心に響かない。笑えない。
相槌を打つので精一杯だ。
早苗の箸がまったく進まないのを見て、心配した友達が、「やっぱし今日変だよー。大丈夫? 具合でも悪いんじゃない」と早苗の額に手を当てたりした。
そのたびに懸命に笑顔を作って、平気平気、なんでもないよーと声のトーンを上げて返した。
なんでもないこと、ないのに。
こんなときでも友達に打ち明けられない、そんな自分が嫌だった。
でも言えないよ。絶対。
ゆうべのこと。
祐希くんと、えっちした、夜のことなんて。
あああ。まずったかも。
失敗、した、かも。
祐希はバイト先でへこんでいた。業務はそつなく取り行っているが、明らかに身が入っていない。惰性でこなしているといった感じだった。
同じ職場で働く祖父にそれをすぐに見破られ、すれ違いざま「しゃきっとせんか。なにをだらだらしとる」と小声で注意されるも、いつものように減らず口を叩く気も起きない。それほど、祐希は参っていた。
「失敗、したなあ……」
注意はしてたつもりなんだけどな。
UFOキャッチャーのガラスケースに額を押し当てる。
頭を占めるのは昨夜のことばかりだ。
早苗を初めて抱いた。早苗の部屋で。
あの、ある意味うちのじいさんよりおっかない親父さんが、秋葉原に買い物に出かけたから、夜まで帰らないと言った早苗の言葉を信じて、彼女をベッドに押し倒したのだ。
心臓が胸を食い破って出て来そうなほど緊張した。マジで。それは早苗もおなじだったらしく、終始強張った顔をしていたっけ。
痛みと焦りが先に来て、手順もなにもなく、ただ無我夢中な時間を過ごす。不恰好だけど、それでよかった。それがよかった。
なのに。
「ああああ。くっそお、ミスった!」
祐希がいきなり喚いて額をガラスに打ち付けたので、側を通ったお客がびっくして彼を遠巻きにしていった。
それでも今の祐希に客のケアなど思い浮かぶはずもなく。
後悔ばかりが胸を占めた。
――あんなこと、言うんじゃなかった。
白をきればよかったんだ。馬鹿正直に言って、早苗を傷つけた。
俺は阿呆だ。
巻き戻せるんなら、昨日まで時間を巻き戻したい。
でもそんなの不可能だ。
とほほ、と祐希はガラスにほっぺたも押し当てるしかなかった。UFOキャッチャーの中のけがれない目をしたぬいぐるみたちが、まるで責めるように祐希を見ていて辛かった。
「今バイト終わったとこ。
早苗、何してる?」
帰り道、清水の舞台から飛び降りるつもりで、祐希は早苗にメールした。
こんなに緊張して女の子にメールを打つのは、それこそ生まれて初めてだ。送信ボタンを押すときは、指先が震えたほど。
早苗からの返信が届くまで、永遠の時間が流れた。
そわそわして、家に帰っても何も手につかなかった。風呂に入りなさいよと母親に言われても、携帯に着信があるかと思うとその気にもなれず、いっそ中に持ち込むかとさえ思った。
そうしている間にようやくなじみの着信音が祐希の手の中で鳴った。
焦って受信メールを開くと、待ち焦がれた早苗からで、
「宿題やって、お弁当の下ごしらえして、もう眠るところ。おやすみなさい」
短い、事務連絡のような内容が祐希の目に飛び込んできた。
待ちに待った早苗からのメールだというのに、それを見た瞬間、祐希はその場にくず折れる。
あああああと、頭を掻き毟った。
「なにやってんのよ、あんた。本当にお風呂入っちゃって。冷めちゃうと焚きなおししなきゃでしょ」
現実的な母親のツッコミがわずらわしい。けれども言葉を返す気力もない。
怒ってる。怒ってるんだよな、やっぱりこれは。
いつもなら、必ず「バイトお疲れ様」の一言は書いてきてくれるもんな。
一言日記みたいな、こんな短いメールなんて、今までもらったことないよ。
フローリングの床にしゃがみこんで、何度も携帯のメールを読み直す祐希を見ながら、母親は「変な子ねえ」と首をかしげた。
いつ、そういう雰囲気になってもいいように、準備はしていた。
それが男のたしなみだと思っていたし。今日ようやく実際に使う日の目を見られたことに、ヨシっと心の中でガッツポーズを取っていたことは否定しない。
だから、早苗の部屋のドアに鍵をかけ、ベッドに腰を下ろしてキスを交わしながら、いいよね、と目で訴えかけたとき、早苗が一瞬怯んだ目を見せて、
「あ、でも、あたし……」
アレとか、用意してない。
真っ赤になって消え入りそうな声で漏らした早苗が、壊滅的に可愛くて、ますます祐希のボルテージは上がった。
安心させようと、ジーンズのポケットをまさぐり、ウォレットを取り出して、いつも肌身離さず持ち歩いているものを抜き取った。
正方形の薄いセロファンを早苗の目の前に突きつけるようにする。
「大丈夫、ほら、あるから」
思えば早苗がそのとき、ちょっと鼻白んだのを見逃さなければよかったのだ。いやあれは鼻白んだというのではなく、……えっと驚いた顔だった。もっと詳しく言うなら、「引いた」。
早苗は現物を(しかも箱から出した小分けのものを)見るのは初めてだったが、さすがにそれが何かは瞬時に分ったようだった。
「祐希くん、いつもそれ、持ってるの」
小声で訊いたのも、決して褒める口調ではなく、「今持ってるなんて、なんだか準備が万端過ぎるんじゃない?」と、どこか責める様だった。今にして思えば。
(この続きは、オフセット本「シアター! カムバック」2010・4月発売予定で。
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久しぶりにお邪魔したら「シアター!カムバック」の立ち読みがさらに2本アップされていて、ますますテンション上がりました(笑)
それに3本目は、祐希×早苗とは!4月が楽しみです♪
でも、体調崩されたようで・・・。ご家族皆様、大事になさって下さいね!
では、夜の部屋に行ってきます(゜゜ゝビシッ!
おかげさまで体調的には8割がた元通りになりました。後はダウンしたメンタル面の復活をぼつぼつとはかりたいです。
>たくねこさん
やってしまいましたよー(><) 娘が発症してそれが看病の私と相方にきちんと感染したという分かりやすい経路で。熱は二日で下がりますが胃の回復がね。。。 ゆっくりと治します。 お二方ありがとうございました。