その日、ジョウはクラッシュジャケットを身につけていた。アルフィンが入院してからはなるべくその格好で病院に足を向けるのは避けて
いたのだ。
銃器の携帯も禁止されていたし、なによりアルフィンに仕事のことを思い出させたくないという配慮があった。
でも、その日は敢えてジョウはクラッシャーのユニフォームであるジャケットを身につけてアルフィンの病室を見舞った。
彼女はベッドに上半身を起こしたいつもの姿で彼を出迎えた。
ナースが入室したときでももっと表情を変えるだろうに、ジャケットを着たジョウを見てもアルフィンは何の反応も示さなかった。
ジョウは自分の身体が透けてしまったように心許ない気分になりながら、アルフィンのベッドに歩み寄った。
アルフィンは紅葉の鮮やかさを失って、少しずつくすんでいく木々が肩を揺する景色をうつろな目に映していた。
その頃には、自殺を図った手首の傷も大分目立たなくなっていた。包帯ももう巻かれてはいなかった。
しかしアルフィンの手首は以前よりさらに細く、折れそうになってしまっていた。気がつきたくなかったけれど、いやでもその細さは目に付いた。
アルフィンは日に日に生に対する興味や関心や情熱といったものを失っていくようだった。砂時計から一定の量の砂が落ちるように、それはさらさらと確実にアルフィンの中から失われていく。それをどうすることもできず、手をこまねいて見守るしかなかった。この数週間というもの。
でもそれも、今日で終わらせる。ジョウはそう思いつつアルフィンに向き直った。床からせり上がってきた椅子に腰を下ろす。
痩せたな。間近で見てそう思った。
出逢った頃の快活さや朗らかさといったものが、今はもうアルフィンのどこにも見当たらなかった。無性に寂しくなった。でもその寂しさは不当なもののような気がしてジョウは無理に胸の底にしずめた。
彼は、アルフィンと彼女を呼んだ。
「今日はもう一度君にプロポーズしに来た」
焦点を求めるみたいに、アルフィンの目が動き、彼に顔を向けた。
ジョウは唇を湿らせてから、口を開いた。
「結婚しよう。俺と一緒になって欲しい」
アルフィンは無言だった。
ショウは待った。一分、いや二分は待った。
永遠のように長い時間が過ぎた。
「…どうして?」
そう訊かれた。
「好きだから。他には君が必要だから」
なんのてらいもなく言えた。
それくらいジョウは必死だった。
その頃にはアルフィンは睫毛を震わせるだけで視線の位置を指し示す術を身につけ始めていた。一回だけまばたきをして、上掛けに隠れた自分の脚を示してみせた。
「.…あたしが、こんな身体でも?」
「身体は関係ない。それは容れものだ。君の魂があればそれでいい」
その言葉にアルフィンは揺らいだ。
でも心に重れ込める雲は重く、光が射し込む気配は見えなかった。
病室に入ってきて初めて、アルフィンはジョウをしっかりと見つめた。
彼の目許には、以前にはなかった陰りが浮かび、いつもどこか不安そうだった。自分を窺うような、気遣わしげな視線がためらいがちに向けられる。それがいたたまれなかった。
事故に遭う前、あたしの身体がこんなになる前は、彼は太陽だった。
そこにいるだけで圧倒的な輝きを放つ、あたしの太陽。
でも、あたしが車椅子に乗るようになってからは、彼の輝きは変化した。
それは他を圧するものではなくなった。どちらかというと、どこかばつんと孤独で冴え冴えと静かなものになった。
まるで夜に浮かぶ月のようだとアルフィンは思った。
「……どうしてあの時、お医者さまに告知されたばかりのあたしに、プロポーズしたの?」
アルフィンの問いかけで、ジョウは、数週間前のカンファレンスルーム前の廊下に引き戻された。彼は、記憶をさぐるようにわずか遠い目を見せた。
「したかったから。ずっと前から。事故に遭う前から、結婚を申し込もうと思っていた。
そのうち君がこんなことになって」
と、ジョウはそこで一旦言葉を切ってアルフィンを見た。
平静な状態で、―― 一見は、ということだが――黙って聞いてくれているのを確認してから続けた。
r...…本当は事故の後、手術が終わった直後にしようと思ってた。でも君はすぐにリハビリに集中し出して言い出せなかった。機会を逃してしまっていた」
アルフィンはただ碧い瞳をジョウに向けているだけだった。でもそれは何よりも絶舌に彼を促す。
ジョウは胸の奥のほうに暗く沈殿している、(おり)のように凝った部分に手を伸ばした。そこは心の中にしまっておいて、アルフィンには見せるつもりはなかったのに。
「....…なんだかあのとき、告知の後、君が車椅子を操作させて廊下を行ってしまうのを見ていたら、勝手に口が動いていた。
このままひとりで行かせたら、もう二度と逢えなくなるような気がした。
あそこを逃せば、俺は永遠に君を失うような気がした。だから、俺は、」
言いあぐねてジョウが口を禁む。
苦く口の端を歪めて、目を伏せた。
「それが君を追い詰めたんだとしたら、俺は間違ってた。あのタイミングであんなことを言うべきじゃなかった。俺は取り返しのつかないことをしでかすところだった」
アルフィンは長いこと無言だった。
ジョウの独白をだまって聞いていた。
反応や相槌が全くないので、自分の声がアルフィンに果たして届いているのかどうかジョウは不安になった。それぐらいアルフィンは身じろぎもしなかった。
ややあって、その上体が弛緩した。ひっそりと息を吐いた。
「あなたに結婚を申し込まれたとき、涙が出るくらい嬉しかった。でも同じだけ絶望した。...…なんでか分かる?」
ジョウの目が一瞬だけ泳ぐ。答えをどこか探すように。
でもそれは彼女の中以外、どこにも見つからなくて。ジョウはアルフィンに視線を戻した。
アルフィンは微笑を湛えた。
「こんな身体になってもあなたが私を求めてくれるということが、嬉しかったから。でもそれを嬉しがる自分に嫌気が差したの。とことん。
あたしはもうあなたの側にいちゃいけないと頭では分かってる。でも、感情が裏切ってあなたの言葉にすがろうとしていた。その浅ましさがほんとに、吐き気がするほどいやになったわ」
「....アルフィン」
「ジョウ、今はまだいい。下半身が動かなくなったっていっても、まだあたしも若いし、一通り身の回りのこともできる。
でも、こんなあたしとの生活が、この先10年も、20年も、それこそ50年も続いていくかもしれない。それを想像してよ。気が遠くなるわ。今はそうじゃなくても、いつかあたしの存在が、あなたにとって重荷になる。あたしはそれが我慢できない」
「違う。ならない」
全身全霊で否定した。
「重荷になんかなるはずがない」
「.…身体の自由が利かない辛さは、そうなった本人にしか分からない。これだけはいくら心を通い合わせても分かち合えないのよ、ジョウ」
駄々をこねる子供に諭すような、どこか諦めを含んだ口調でアルフィンは言った。
ジョウはかっとなった。
「じゃあどうすればいいっていうんだ。できるもんならとっくに俺が君の代わりになってる」
腰を浮かせ、ベッドに手をついてアルフィンに詰め寄る。
「俺が君の代わりに事故に遭えばよかった。毎日、そう思う。できるものなら時間をあの日に戻したい。半身不随で、車椅子に縛り付けられる半生を送るのが、どうして俺じゃなく君なんだ。どうして俺にしてくれなかった、どうして」
ぐぐっと彼の手元で音がした。見るとジョウが握り締めたシーツが、悲鳴を上げているのだった。握り締められた挙はぶるぶると震え、真っ白になっていた。
いたのだ。
銃器の携帯も禁止されていたし、なによりアルフィンに仕事のことを思い出させたくないという配慮があった。
でも、その日は敢えてジョウはクラッシャーのユニフォームであるジャケットを身につけてアルフィンの病室を見舞った。
彼女はベッドに上半身を起こしたいつもの姿で彼を出迎えた。
ナースが入室したときでももっと表情を変えるだろうに、ジャケットを着たジョウを見てもアルフィンは何の反応も示さなかった。
ジョウは自分の身体が透けてしまったように心許ない気分になりながら、アルフィンのベッドに歩み寄った。
アルフィンは紅葉の鮮やかさを失って、少しずつくすんでいく木々が肩を揺する景色をうつろな目に映していた。
その頃には、自殺を図った手首の傷も大分目立たなくなっていた。包帯ももう巻かれてはいなかった。
しかしアルフィンの手首は以前よりさらに細く、折れそうになってしまっていた。気がつきたくなかったけれど、いやでもその細さは目に付いた。
アルフィンは日に日に生に対する興味や関心や情熱といったものを失っていくようだった。砂時計から一定の量の砂が落ちるように、それはさらさらと確実にアルフィンの中から失われていく。それをどうすることもできず、手をこまねいて見守るしかなかった。この数週間というもの。
でもそれも、今日で終わらせる。ジョウはそう思いつつアルフィンに向き直った。床からせり上がってきた椅子に腰を下ろす。
痩せたな。間近で見てそう思った。
出逢った頃の快活さや朗らかさといったものが、今はもうアルフィンのどこにも見当たらなかった。無性に寂しくなった。でもその寂しさは不当なもののような気がしてジョウは無理に胸の底にしずめた。
彼は、アルフィンと彼女を呼んだ。
「今日はもう一度君にプロポーズしに来た」
焦点を求めるみたいに、アルフィンの目が動き、彼に顔を向けた。
ジョウは唇を湿らせてから、口を開いた。
「結婚しよう。俺と一緒になって欲しい」
アルフィンは無言だった。
ショウは待った。一分、いや二分は待った。
永遠のように長い時間が過ぎた。
「…どうして?」
そう訊かれた。
「好きだから。他には君が必要だから」
なんのてらいもなく言えた。
それくらいジョウは必死だった。
その頃にはアルフィンは睫毛を震わせるだけで視線の位置を指し示す術を身につけ始めていた。一回だけまばたきをして、上掛けに隠れた自分の脚を示してみせた。
「.…あたしが、こんな身体でも?」
「身体は関係ない。それは容れものだ。君の魂があればそれでいい」
その言葉にアルフィンは揺らいだ。
でも心に重れ込める雲は重く、光が射し込む気配は見えなかった。
病室に入ってきて初めて、アルフィンはジョウをしっかりと見つめた。
彼の目許には、以前にはなかった陰りが浮かび、いつもどこか不安そうだった。自分を窺うような、気遣わしげな視線がためらいがちに向けられる。それがいたたまれなかった。
事故に遭う前、あたしの身体がこんなになる前は、彼は太陽だった。
そこにいるだけで圧倒的な輝きを放つ、あたしの太陽。
でも、あたしが車椅子に乗るようになってからは、彼の輝きは変化した。
それは他を圧するものではなくなった。どちらかというと、どこかばつんと孤独で冴え冴えと静かなものになった。
まるで夜に浮かぶ月のようだとアルフィンは思った。
「……どうしてあの時、お医者さまに告知されたばかりのあたしに、プロポーズしたの?」
アルフィンの問いかけで、ジョウは、数週間前のカンファレンスルーム前の廊下に引き戻された。彼は、記憶をさぐるようにわずか遠い目を見せた。
「したかったから。ずっと前から。事故に遭う前から、結婚を申し込もうと思っていた。
そのうち君がこんなことになって」
と、ジョウはそこで一旦言葉を切ってアルフィンを見た。
平静な状態で、―― 一見は、ということだが――黙って聞いてくれているのを確認してから続けた。
r...…本当は事故の後、手術が終わった直後にしようと思ってた。でも君はすぐにリハビリに集中し出して言い出せなかった。機会を逃してしまっていた」
アルフィンはただ碧い瞳をジョウに向けているだけだった。でもそれは何よりも絶舌に彼を促す。
ジョウは胸の奥のほうに暗く沈殿している、(おり)のように凝った部分に手を伸ばした。そこは心の中にしまっておいて、アルフィンには見せるつもりはなかったのに。
「....…なんだかあのとき、告知の後、君が車椅子を操作させて廊下を行ってしまうのを見ていたら、勝手に口が動いていた。
このままひとりで行かせたら、もう二度と逢えなくなるような気がした。
あそこを逃せば、俺は永遠に君を失うような気がした。だから、俺は、」
言いあぐねてジョウが口を禁む。
苦く口の端を歪めて、目を伏せた。
「それが君を追い詰めたんだとしたら、俺は間違ってた。あのタイミングであんなことを言うべきじゃなかった。俺は取り返しのつかないことをしでかすところだった」
アルフィンは長いこと無言だった。
ジョウの独白をだまって聞いていた。
反応や相槌が全くないので、自分の声がアルフィンに果たして届いているのかどうかジョウは不安になった。それぐらいアルフィンは身じろぎもしなかった。
ややあって、その上体が弛緩した。ひっそりと息を吐いた。
「あなたに結婚を申し込まれたとき、涙が出るくらい嬉しかった。でも同じだけ絶望した。...…なんでか分かる?」
ジョウの目が一瞬だけ泳ぐ。答えをどこか探すように。
でもそれは彼女の中以外、どこにも見つからなくて。ジョウはアルフィンに視線を戻した。
アルフィンは微笑を湛えた。
「こんな身体になってもあなたが私を求めてくれるということが、嬉しかったから。でもそれを嬉しがる自分に嫌気が差したの。とことん。
あたしはもうあなたの側にいちゃいけないと頭では分かってる。でも、感情が裏切ってあなたの言葉にすがろうとしていた。その浅ましさがほんとに、吐き気がするほどいやになったわ」
「....アルフィン」
「ジョウ、今はまだいい。下半身が動かなくなったっていっても、まだあたしも若いし、一通り身の回りのこともできる。
でも、こんなあたしとの生活が、この先10年も、20年も、それこそ50年も続いていくかもしれない。それを想像してよ。気が遠くなるわ。今はそうじゃなくても、いつかあたしの存在が、あなたにとって重荷になる。あたしはそれが我慢できない」
「違う。ならない」
全身全霊で否定した。
「重荷になんかなるはずがない」
「.…身体の自由が利かない辛さは、そうなった本人にしか分からない。これだけはいくら心を通い合わせても分かち合えないのよ、ジョウ」
駄々をこねる子供に諭すような、どこか諦めを含んだ口調でアルフィンは言った。
ジョウはかっとなった。
「じゃあどうすればいいっていうんだ。できるもんならとっくに俺が君の代わりになってる」
腰を浮かせ、ベッドに手をついてアルフィンに詰め寄る。
「俺が君の代わりに事故に遭えばよかった。毎日、そう思う。できるものなら時間をあの日に戻したい。半身不随で、車椅子に縛り付けられる半生を送るのが、どうして俺じゃなく君なんだ。どうして俺にしてくれなかった、どうして」
ぐぐっと彼の手元で音がした。見るとジョウが握り締めたシーツが、悲鳴を上げているのだった。握り締められた挙はぶるぶると震え、真っ白になっていた。
思い通りにならない体に、イライラしたと思うよ。
ただ、移植手術で、回復の見込みがあっただけ。
ミネルバに居ても、料理や事務仕事(報告書作成を除く)は出来るんじゃない?
それに、先んじて、ミネルバをバリアフリーの改造をしてそう。