【13】へ
なんで俺が、とごねた割に、手塚は急いで来た。
息を切らして走ってくるのが、コンビニの中の雑誌ラックの向こうに見えて、柴崎は目を細める。
どこか中で待ってろと言われた。女が、夜中に表で突っ立ってるんじゃないと。
言われたとおり近くのコンビニを指定して手塚を待った。
女が、という言葉の余韻が、なぜか胸に甘く残るのに気づかない振りをするのが、結構大変だった。
とっくに寮に帰っていたという手塚は、ジャージの上にグランドコートを引っ掛けたラフな姿で現れた。
柴崎は手にしていた女性誌をラックに戻しながら、
「遅い」
と言った。
「これだけの美女を15分も待たせるなんて、どういうつもり?」
走ってきたせいで乱れた息を整え、手塚があのなあ、と渋面を作る。
「この時間にいきなり呼び出されて、外出届だのなんだの、色々面倒なのはお前が一番よく知ってるだろう。無茶言うな」
「言い訳は聞かないわ。なんか奢って」
「迎えに来させた上、俺に奢らせるってか」
鬼、と目を剥く手塚。
その頬に絆創膏が貼られてあるのに気づく。顎の近くに。
「どうしたの、そこ」
柴崎は自分の頬のその辺りを指先でちょんとつついて見せた。
手塚は、ああ、と絆創膏をひと撫でしてから、
「さっきの試合中に、擦っちまったらしい。かすり傷だ」
と言う。
「……ふうん」
きまりが悪そうに、手塚が柴崎の視線から逃れ、話題を変えた。
「いいのか、こんなとこにいて。向こう、まだ宴会やってんだろ」
手塚の言う向こうとは、この場合玄田組のことだ。
「いいのよ。なんか、合わなくて。飲み会の雰囲気」
柴崎が言葉を濁すと、手塚はどう解釈したのか、「特殊部隊の飲みは、独特だからな」と返して寄越した。
それ以上は追及せず、
「何欲しいんだよ。言えよ。買うから」
と尋ねる。その加減が上手い。
にっこりと柴崎は笑って。可愛くおねだり。
「じゃあね。ビールとね、おつまみとね」
手塚は思い切り顔をしかめた。
「お前、……さっきまで居酒屋で呑んでたんだろうが。打ち上げで。
この上、まだ飲むつもりなのか」
「いいじゃない。別に! 買ってくれるの、くれないの」
「はいはい。仰せのままに」
押し問答する前に、手塚は入り口の近くに積んである買い物籠に手を伸ばした。
「銘柄はサッポロだよな。お前」
「うん」
「少し待ってろ、適当に見繕うから」
そう言い置いて、手塚は奥の酒類売り場へと向かった。
コンビニを出たところで、柴崎が「ねえ、ビール頂戴」と言った。
「え?」
「一本頂戴よ。喉が渇いた」
「ここで?」
コンビニの表で飲み食いなんて、高校生でもあるまいし、と気後れしていると、
「あんたもつきあって。ほら、月が綺麗よ」
全然風情のない口調で言ってくる。
手塚はそれでも逆らう気力も湧かず、「はいはい」と今買ったばかりの350の缶を柴崎に手渡した。
景気いい音を鳴らして、柴崎がプルタブを折る。と、ぷしゅっと空気が抜けて、冬空に溶けていくのが分かった。
柴崎は優雅な手つきで目の高さまで缶を掲げた。
そして、
「手塚一士の健闘に乾杯。――お疲れ様」
――あ。
さすがに鈍い手塚も、そのときようやく気がついた。
迎えに来いと、電話して寄越した理由を。
何言ってんだよ、疲れてんだよ、こっちは。
負けたのが悔しく、合わせる顔がなく、不貞腐れて噛み付いた自分に、「何ごちゃごちゃ言ってんのよ、迎えに来てったら来てってば」と強引に呼び出した。
その、本当のわけを。
柴崎はそ知らぬ顔で、缶をぐびっと呷る。
その白い喉を、月光が清らかに洗っていた。
こくり、と麦酒を上品に喉の奥に流し込んで、柴崎ははあ、と肩の力を抜いた。
「寒い中のビールってのも、ありかもね。凍えそうだけど」
月に透けてしまいそうな透明な笑みを浮かべて手塚を見上げる。
「……」
手塚は黙って袋の中から自分も缶を取り出す。
口を切って、中身を呷った。
「……惜しかったわね」
柴崎は手塚と同じ方を向きながら、言葉を探す。
こういうとき、決して自分は器用なタチじゃないと自覚している。どう慰めていいか、どんな言葉を欲しているのか、読みきれない。
だから、顔を見ないように、手塚と同じ道路側へ目をやった。
ほんとなら、黙って飲んでやりすごしたい。
でも無理矢理この男を呼び出した以上は、何か伝えたいことがあったのだろう。
浅瀬に手を浸して小石と砂金をより分けるように、柴崎は自分の奥底に沈む想いを手探りで選び取っていく。
「……いい試合だったわよね、なかなか。見ごたえあった」
ビールの苦味が、口にざらりと残る。
手塚は酒を飲んでいるとは思えない気難しい横顔で、
「そんなこと、ない。いくらいいって言ったって、負けてりゃ、世話ないさ」
そう言って、話に句点を打つように缶を傾けた。
「そんなことはないでしょ。あんなにいいプレーしてたんだから」
「気休めはよしてくれ。お前だって見ただろ。あんな、みっともないところ。俺がもっとしっかりしてれば、チームの足を引っ張らずに済んだ。向こうじゃなくて、ウチのチームがいまごろ祝勝会を上げてたんだ」
やさぐれた口調は手塚らしからぬ。それほど、試合後数時間経っても彼の中で昇華しきれない思いがくすぶっている証なのだろう。
柴崎は言葉を重ねた。
「みっともなくなんかないわよ。そりゃあたしかに、いつものあんたと比べればスマートではなかったかもしれないけど、でも」
「ほうらな」
手塚は片頬を変な具合に吊り上げた。
「やっぱしお前だって、今日俺が足引っ張りだって思ってるんだろ」
「馬鹿ね、ひとの話は最後まで聞きなさいよ。誰がそんなこと言った?」
「お前だろ」
「冗談。あたしはね、あんたが汗まみれでコートの中飛んだり跳ねたり、転がったり場外に打ち込んだりするのを見てて、ああ、手塚も頑張ってるな、すごいな、って思ったわよ。素直に。誰も足引っ張りだなんて思ったりしてない」
必死で言い募る柴崎を、フンと鼻で笑って。
「どうだか。俺の、あんな無様なとこ見て、そう思うとは到底信じられない」
柴崎はこめかみを指先で押さえた。わずかに俯く。
「~~あんたってどうしようもないスネ夫ね! お子ちゃまと話してるみたい。なんかじわじわと疲れてきた」
「悪かったな。スネ夫で。お前が俺がこんなダウナーなときに呼び出したんだろう、責任はそっちだ」
「いじけ虫」
「あー、そうさ。いじけてるよ。いじけて悪いか。負けたんだぜ、俺たちは」
「何も勝ち負けだけの話じゃないでしょ。もっと大事なの、あたしは見させてもらったわよ。あんたに。それを自慢に思ったらどうなの」
「なんだよ、それ」
ふと、手塚の声音が変わる。真剣な色合いを帯びる。
首を巡らして、避けていた柴崎の目線を正面から受け止めた。
柴崎が、たじろぐ。目がわずかに泳いだ。
「何を見たっていうんだ。さっき。
勝ち負けだけじゃない、お前が見たのって、なんだ」
言えよ。――目が、そう言っている。
急に息苦しさを覚える。柴崎は、知らずビールの缶を握り締めた。
「それは……」
それは。
言ったきり、その後が、続かない。
沈黙を埋めるように、手塚がちびりとビールを口に流し込んだ。
「……ほら、言えないじゃないか。思ってもいないことを口にするなよ。
もう帰ろうぜ。寒くなってきた」
空にした缶を握りつぶす。
アルミがひしゃげる、冷たい感触が手に広がった。
もうやめよう。柴崎を詰問してなんになる。こんなの、ただの八つ当たりだ。
分かっている。柴崎の気持ちが分かるからこそ、いたたまれなかった。
恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだったのだ。
笠原が堂上教官に連れられて退場して、追いかけそうになった柴崎に、自分はなんと言った?
お前はそこでちゃんと見てろ。――俺はそう言ったんだ。
座って、俺のプレーを見届けろ。俺の勝利の瞬間に立ち会え。
あえて口にはしなかったけれど、あの時、柴崎にそう宣言したも同然だった。
なのに、俺は――
歯がゆくて、自分に腹が立って仕方がない。
もっと情けないことには、それをストレートに柴崎にぶつけてしまっている。
なんと狭量な男だろう。ほとほと自分に愛想が尽きる。
これ以上、一緒にいたら、取り返しのつかないくらいの言い合いになってしまう。そんな予感がして、手塚は外に備え付けてあるダストボックスに缶を投げ入れようとした。
退散しよう、早いとこ。
と、そのとき。
「格好よかった」
……。
空耳かと思った。
柴崎の声だったが、自分の聞き間違いだと、そう思った。
柴崎は、アスファルトの地面に語りかけるように、俯いたままでもう一度ぽつんと繰り返した。
「かっこよかった。あんた。
バタくさいプレーだったかもしれない。不本意な結果だったかもしれないけど。
試合の時のあんたは、――どうにもかっこよくて、目が離せなかった。困ったわ」
「……」
手塚の心拍数が、急に上昇した。
アルコールが全身火の様に駆け巡る。
とびきりの殺し文句に、ぐらりと世界が回る。
でも、と甘くなりかけた間のムードを断ち切るように、柴崎は続けた。
「あたしが見たのは、あたしだけの宝物であって、あんたに押し付けるつもりはないわ。
でも、見られてよかった。ってあたしが思うことさえ、あんたは拒むの? その権利はないはずよ」
「……柴崎」
気がつくと、手塚のグランドコートの内側のボアが頬に当たった。
抱きしめられたと気がつくのが遅れたのは、きっと自分もいくらか酔っているせいだろう。
長身の手塚に遮られて、月が隠れた。
柴崎はぎゅっと力任せに抱きしめられながら、手塚の頬の絆創膏がわずかにはがれかかっているのを間近で見詰めた。
【最終話】へ
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あうあうあう、報われた~~~。
手塚~~、良かったね~~~(;д;)(iдi)(;д;)(iдi)
と思うのですが、これが手柴の醍醐味なんですよねえ。
やさぐれてお子ちゃまな手塚が可愛いです。
ラストまでお読みくださっても、「報われた」と仰っていただけますでしょうか、、、不安であります。笑
ヘタレな手塚も心から愛しているワタクシの、愛情の裏返し作品でありました。どうも有難うございました。
>yokoさん
ようこそおいでませ。
手柴の醍醐味、満喫していただけましたら
幸いです。こういうくっつきそうでいて、くっつかないシチュ。幾度も繰り広げて着てたんだと思うのですよ。このカップルは。
そういう想像を文に起こすのもまた楽し。でした。スネ夫の手塚も愛でてくださって、どうもありがとうございました。