【12】へ
「かんぱーい!!」
かしゃん、かちん!
ジョッキがぶつかり合う軽やかな音が、照明の下響く。
ここは基地最寄りの居酒屋。収容人数はあまり多くなくて決して新しくもないが、予約なしで押さえが利くのでわりと重宝がられている、そんな店。
普段なら民間の客を憚って、奥座敷を取るタスクフォースの面々だったが、今夜に限っては無礼講とばかり小上がり席をキープする。
なんといっても、今宵は勝利の打ち上げだ。仕事の愚痴は少なかろう。
シャワー室で汗を流したはずの選手たちだったが、いまだ試合の高揚感からか顔はつやつやと紅潮している。
「いやー、今夜のビールは美味い!」
若手隊員が唸る。さっそくジョッキを空にして、「あ、おねえさん、生追加ね」と声をかける。
「そりゃお前、いつもはビールじゃなくて発泡酒だからだろ」
「んなこたないっすよ! ――ってもろ図星ですが」
「ははは。飲め飲め、今夜はビールで酔いたまえ!」
「有難うであります! 謹んで拝命します」
ががーっと一気にジョッキを空ける。
柴崎は初めて参加する特殊部隊班の飲み会に、多少面食らっていた。
なんてピッチが早いんだろう。しかもしゃべるわ食べるわ。
目の前のつきだし、料理の皿があっというまに空になっていく。
うかうかしていると、食いっぱぐれそうだわ。柴崎も飲めないほうではない。腰を入れてジョッキを持ち上げた。
しかし、柴崎の細腕には生のジョッキは結構ずしりとくる。手を添えてこくこくと飲っていると、
「いやあ、俺、光栄です。柴崎さんとこうしてご一緒できるなんて、今日は勝ってよかったなああああ!」
妙にテンションの高い同期が柴崎の席の隣に膝を割り込ませてきた。同期のくせにこういう場でも敬語を使う、律儀だけど変な男だ。
ぐい、と押された拍子にうっかりビールをこぼしそうになって、柴崎はむっと柳眉を逆立てる。
でも、すぐに笑顔を作って、
「はいはい。おめでとう。頑張ったわねえ」
と労った。
「おい、お前、交替要員でほとんど試合に何か出てなかったじゃねえかよっ」
すかさず正面の同僚から突込みが入る。
同期は「あ、そうだっけ?」とそらっとぼけた。
「そうだよ、なのになれなれしく柴崎さんに近寄るなよなっ」
「座席は公平にくじ引きだっただろうが、割り込むなよー」
そうだそうだ。同意の声がまばらに上がって。
「ちょっとお、この祝勝会は柴崎狙いの合コンじゃないんでしょ。あんたたちんとこの隊長がどうしてもっていうからセットしたんでしょおが。あたしたちが蚊帳の外なんてひどくなあい?」
小上がりの向こう端を陣取っていた広瀬が、少し拗ねモードで隊員に絡む。
柴崎の目には完全に天然を気取っているのがばればれだが、周りの特殊部隊は、慌ててご機嫌取りに入る。
「そんな、蚊帳の外になんてしてないよ。ほら、飲んで飲んで」
「これも美味しいよ。食べなよ」
「柴崎の隣じゃなくて、悪かったわね。もうかえろっかなあ」
「そんなこと言わないでさあ。楽しくやろうよ」
……ああもう、なんか面倒くさい。
ジョッキを半ば空けて、柴崎は泡のついた唇をそっと指先でなぞる。
向こうで、まだ拗ねる広瀬のご機嫌取りを何人かの隊員で必死で行っているのが見えた。
柴崎の横顔を気に掛けながら、郁が訊いた。
「柴崎、大丈夫?」
「ん? なにが?」
「なにが、って……」
聡い友人ににっこりと艶やかに微笑みかけ、柴崎は言った。
「あんたこそ大丈夫なの? 足。無理に飲み会につきあうことないのよ」
「や。軽い捻挫だからね。大丈夫」
郁はさほど酒に強くない。もう首筋まで真っ赤だ。
酔いつぶれても、この子を寮まで送る相手は、今夜はこの席にはいない。
代わりに、
「がはははは! みんな、飲め飲めい! 今日はわしの奢りだ! ぱーっと祝杯をあげろ」
超がつくほどご満悦の玄田が上座で高笑いをしている。
「いやっふ~! 監督、最高であります!」
「玄田組一同、隊長には地獄の底までついていく気概でおります」
「第二回の大会もやりましょう。このメンバーで! 連覇を目指して」
「おお、いいな。年に一度の目玉にすっか。うちの」
すっかり気をよくして、玄田は熱い焼酎をぐびりと飲る。
その反動でポロシャツの襟元を派手に濡らし、うわちっ! とあたふたする。
「落ち着いて。暴れないで下さいよ。ほら、濡れ布巾です」
いつもは堂上が焼くはずの玄田の世話を、いまは小牧が焼いてやっている。
玄田は食べ散らかしながら飲んだり食ったりするので、ちょっと目を離すとテーブルや畳に食べこぼしをしてしまって、店に迷惑を掛けかねないのだ。
神経を使う。
「んん? なんで堂上がいないんだ。今夜は。あいつはどこいった?」
座を見回す玄田に、小牧は苦笑した。
「隊長、酔いが早すぎます。今夜はバレーの祝勝会で、うちが堂上のチームに勝ったからです。敵方の監督はこの場にはいられないでしょ」
向こうは向こうで反省会の最中かもしれないし、と小牧は思う。
「ああそうか!そうだったな! いやあ、それにしてもいい試合だった。うん、お前らよく頑張ったなー」
「本当ですよね。最後の最後デュースデュースで粘られた時には、どうなることかと一瞬ひやっとしましたけど」
「敵ながら、やるなって感じでした」
「特に、堂上さんな」
「ああ。緒形さんや進藤さんも、すごかった。渋かったな」
体育館でのプレイをそれぞれ脳裏に蘇らせる。
しばし、場がしんとなった。
「でも勝ったのは俺たちだもんねー!」
いやっほーい! お調子者がそう言って立ち上がる。
「そうだそうだ! 強いものが勝つんじゃない。勝ったものが強いんだ!」
「なんだよ、それ、どっからのパクりだ?」
「どうだっていい。とにかくもっかいかんぱーい!!」
かちんかちん!
第一回玄田杯争奪バレーボール大会は、ストレートで白組、玄田チームの勝利となった。
ホイッスルの瞬間、赤組はがたがたっとコートにひれ伏した。
手塚も例外ではなかった。茫然自失の態でしばらく立ち上がれなかった。
そんなメンバーに堂上は優しく声をかけた。ぱん、とひとつ手を打って、
「さあ、立て。立ってラインに並べ。整列だ。
向こうのプレイを称えよう。そして、自分たちも胸を張ろう。な?」
筋金入りの負けず嫌いの堂上に、そんな台詞を言わせた自分が情けなくて、手塚はなかなか顔を上げられなかった。
……あの時の手塚の顔が、頭から離れない。
なかなか酔えない。久しぶりのタダ飯、タダ酒だというのに、並べられた料理を美味しく感じられない。
参ったわね。柴崎は内心ため息をついた。
「疲れた?」
郁が声をかけてくる。
「それはあんたたちのほうでしょ。あれだけ身体動かしたんだから」
「あたしたちはさ、好きでやってることだから。あんたは、違うじゃない」
「……」
「ねえ、なんなら、早めに抜けてもいいよ。あんたあんまこういうとこ得意じゃないでしょ。後はあたしが上手く言っとくからさ、遠慮しなくていいよ」
郁がそっと耳打ち。
普段なら、同室にこういう気の回され方をするのは不本意だと感じるほうの柴崎も、今夜ばかりはその言葉に甘えたくなってしまった。
「そうしようかな」
ぽつりと言う。
「ん、トイレに立つ振りでもしてさ」
郁がウインク。決して器用ではなく。一瞬両方の目が閉じる。それもいとおしい。
柴崎は足許に置いてあったバッグを手探りで引き寄せながら、
「あんたの話は寮で後からゆっくり聞けるもんね」
「あたしの話?」
「堂上教官にだっこおんぶされた話よ。抱かれ心地、包み隠さず話してもらうわよ」
「ぎゃああー! い、言うな! リアルに蘇るううう」
郁はたまらず顔を覆った。店じゅうに響き渡る悲鳴に、座がぎょっとなる。
「な、なんだよ笠原。びっくりするじゃないか」
「もう酔っ払ったか。そんなら脱ぐか?!」
「ぬ、脱ぎませんでば! 業務部誤解するからやめてー!!」
笠原をダシにして、柴崎はそっと席から離れた。
幸い、見咎める者はいなかった。小牧がチラリとこちらを見たような気がしたが、携帯をバッグから取り出して耳に当て、電話が掛かってきたからちょっと外します、という演技をして店を出ることができた。
からららら……。
すべり戸の滑車の音が乾いて聞こえた。
戸を背中に押し当て、柴崎は心持ちそれに寄りかかる。
はあ、と知らず吐息が漏れた。
見上げた角度に、月があった。満月に近い円を描き、優雅に一人、空に浮かんでいる。
ほぼ無意識のうちに、柴崎は手にしていた携帯からある番号を呼び出し、プッシュしていた。
月に誘われるように。
しばし、コール音に耳を澄ます。
夜を縫って、相手に今この音が届いているのだと思うとなんだか不思議だった。
四コール待って、繋がる気配が手の中でした。
いぶかしそうな、どこかしら不機嫌な声が、くぐもって聞こえる。
「……はい」
名前は名乗らない。いつものことだ。
柴崎は月を見上げたまま、自分も名乗らず、しんしんと降ってくる月光に身を浸した。
しばし、無言の時が流れた。
そして、
「あたし」
とだけ告げる。
「ああ……」
相手が頷く。が、それ以上は何も言わない。
ただこの目に見えない回線の先にいる人のことを、思った。
きっと今、同じまるい月を見ている。
ややあって柴崎は唇を開いた。
「ねえ、今から迎えに来て。居酒屋まで」
彼女はそう、手塚に告げた。
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フルセットにまでいかなかったんだね…