【6】へ
指先が、柴崎の震えを捉える。手塚は手を肩に置いたまま訊いた。
「震えてる。寒いか」
「……ううん」
違う。これは、寒いからじゃなくて。
あんたが、――あんたがなんだか別人みたい、だから。
知らない男の人みたいで、なんだか……。
窓には、手塚と自分の姿が重なり合って映っている。大柄な手塚が背後に回ると、自分が非力な女の子みたいに華奢に見えていやだった。
手塚はそこで、マントの前を開いた。そして柴崎の身体も、その中にすっぽりと包み込んでしまう。
あ……。
マントの中の手塚の肉体は、想像していた以上に熱をたたえていた。逞しく、しっかりとした存在感を柴崎にダイレクトに与えた。
マントごと、柴崎は手塚に抱きしめられた。
長い腕が身体に回される。衣服をまとっていない状態の異性にこんな風に抱きしめられたのは、一体何年ぶりだろう。そんなことが頭をちらと過ぎる。
柴崎は手塚の心臓の鼓動を背中で聞く。どくん、どくんという高ぶりが、ブラウスを伝って肌を震わす。
手塚も、震えてる。
こんなに。
思わず、呟いていた。吐息にかすれる声で。
「あったかい……」
「うん……」
いっそう手塚は柴崎の髪に頬を寄せた。
「なあ、知ってるか、柴崎」
手塚は柴崎の黒髪のかぐわしい香りで胸がいっぱいになりながら、それでも言葉を送り出した。
「お前の仮装、かなり似合ってるけどな。男はこんなマントや偽ものの牙をつけたりしなくたって、かんたんに吸血鬼になれるんだぞ」
そして、鼻先で髪の毛を掻い潜り彼女のうなじにたどり着いた。
惚れた女を目の前にしたら、すぐにでも。
その台詞は飲み込んだ。
そして手塚は柴崎を抱きしめなおし、その首筋に唇を寄せる。
「お返しだ」
そう言って、白い肌にヴァンパイアさながら吸い付いた。
堂上は狼狽していた。今夜の笠原は大胆すぎる。
というか、あまりあけすけなさすぎるぞお前、っ。
ぬ、脱がせてとか言うか普通。いくら、いくら熱に浮かされてるからって。男の部屋に上がりこんで、ベッドを占領して、あまつ、んなことまで……。
ベッド脇に立ち、途方に暮れた目で当の郁を見下ろす。
郁はというと自分が何を口走ったか自覚もない様子でぐうぐうと寝息を立てている。
わずかに右腕を枕に上げて、顔を横に傾けて。
健康的なその肢体を見せ付けるがごとく、すやすやと仰向けで眠っている。
さっきよりも大分呼吸が楽になったと見える。解熱剤が効いているらしい。
でも、うっすらと髪の生え際に汗を浮かべ、確かに寝苦しそうだ。
「……」
ええい。堂上は腹を決めた。
俺も何をひよってる。ガキじゃあるまいし。
俺だって、こういう場数をまるで踏んでないわけでもないんだぞ。
「笠原、脱がすぞ」
白衣の裾を捌き、腕まくりをしようと思い、中途で思い直す。なんだか、やる気満々みたいじゃないかこれじゃ。
お、俺はあくまでも笠原に頼まれてそうするだけだからな。決してよこしまな思いに流される訳じゃないからな。
誰にともなく言い訳してしまう自分が滑稽だ。人目がないと分かっていて、部屋の中左右を見回してしまう。
こほんとわざとらしく咳払いしてから、再度郁に向き合う。寝顔を見つめながら、すまんな、と心で詫び彼女の襟元に手を伸ばした。
なぜ謝るのか自分でも分からないが、後ろめたさは拭いきれない。堂上はナースの制服の一番上のボタンを外した。
なるべく生身に触れないよう、慎重に。ボタンだけを摘むよう注意しながら。
「……ん」
郁が寝息を漏らし、堂上の心が騒ぐ。起きたか。起こしたかと手を止め、様子を窺うも目覚める気配はなく、規則的な寝息を立てるばかり。
ふ、と堂上は自嘲する。
俺はいったい。
笠原に起きてほしいのか、――起きだして我に返り、自分を止めてほしいのだろうか。それとも目覚めないでこのまま眠っていてほしいのか。どっちなんだ。
自問しても、分からなかった。分からないまま手を動かした。
ままよ。
第二ボタンまで外すと、下着が見えた。白の、ランジェリー。キャミソールだろうか。胸元のレースが覗いて思わず胸が鳴る。
郁は相変わらず眠ったままだ。襟を開けたら息苦しさが減ったのか、むにゃむにゃと何かを咀嚼するような仕草をした。
……天下泰平だな、お前は。
恨み言のひとつでも言ってやりたくなる。ったく、人の気も知らないで。
堂上は、「どうだ、少しは楽か」とぞんざいに訊いた。
すると、意外にもレスポンスが返ってくる。
「はい……。気持ちいいです」
さっきより楽になった。そう言いたいのだろう多分。
しかし堂上の耳には別の意味を持ってその言葉は聞こえて。彼は赤くなった。
「……」
それ以上ボタンを外すのは控えた。手を引く。
三つ目のボタンを開けたら、自分を抑える自信がなかった。
喉がからからだ。まるで自分まで風邪を引いてしまったかのようだ。白衣のポケットで堂上は手に掻いた汗を拭く。
そしてゆっくりとベッドの掛け布団を剥がした。
横たわる郁の伸びやかな四肢があらわになる。
少し制服のスカートの裾を乱して、脚を擦り合わせて眠っている。幾分横向きになって。
ひじょうにセクシーな寝姿といえた。
堂上は必死に理性を働かせ、「おい」と声をかける。
「ほんとに脱がせていいんだな?」
郁に、というよりもまるで自分に確認しているみたいな。そんな口調で訊いた。
反応はない。
堂上は目覚めてほしいとはもう思わなかった。心のうちでは、どうか起きないでくれ。このまま眠って俺のなすがままになってくれと念じながら郁のスカートに手を伸ばした。
躊躇しつつも、裾をそっと絡げる。すらりとした郁の脚を包む白のストッキングはオーバーニーの長さだった。
太腿まで裾はめくりあがり、白のフリルつきのキャットガーターが堂上の目に飛び込んできた。
「……っ」
柴崎は思わず身悶えた。手塚の腕の中で。
手塚は柴崎の首から唇を離さない。背後から抱きしめひたすらに吸う。
暖房はつけていても、窓辺には外の寒気がひたひたと忍び寄る。そのはずなのに、マントでそれをしっかりと遮った手塚の懐の中は暑いくらいだった。
手塚は柴崎とは違い、歯を立てたりはしなかった。傷を残したくない。美しいお前の肌に。
血が欲しいのではない。ただ、刻みたいだけだ。俺の想いを。俺の痕を。
だから集中して一箇所だけ、舐るようにキスを施す。
柴崎は手塚のせいで体温をぐんぐんと引き上げられる。身体の奥底の泉がぐらぐらと沸き立つように世界が揺れた。
「て、手塚、っ……」
やだ。そう言う声が自分でも艶かしい女のものになっていると分かり、ますます足掻きたくなる。しかし力強く拘束され身動きができない。
目の前がぼうっとしてくる。かすむのは、手塚の吐息が白く窓を曇らせているからだろうか。それとも別のものが自分の中から立ち昇っているせいだろうか。
分からない。もう、立ってられない。
柴崎はいっそ全部を手塚に預けてしまいたいと思う。でもそうしてしまったら終わりだとも。
何が終わるっていうの。そう自問するも、答えに辿り着けない。
手塚がそうさせる暇を与えない。
「て、手塚ってば、だめ」
それでも必死に理性を掻き集めて柴崎は抵抗した。力無い声だったがそれは手塚に届く。
少しだけ口を離して、後ろから顔を覗き込み、
「何がだめなんだ」
と囁く。
「お前だって俺にこうしたろ」
「あ、あたしは違う」
肩越しに振り仰いで柴崎が食って掛かる。至近距離に手塚の顔があった。
「こんな風になんかしてない。全然、違うじゃない、」
あたしはあんたが血を流すくらいまともに噛み付いた。こんな、こんなキスみたいな、キスマークを刻み付けるような吸い方なんかしなかった。
あまりに官能的すぎる。
「どう違うってんだ」
再度唇を落とし込みつつ手塚が尋ねる。柴崎は身じろぎした。
「そ、それは」
違いが分かっていても口にできることじゃない。
言えない。この男に知られたらもうその時点で、――
柴崎はかぶりを振る。
「言ったら、負けな気がする。言わない」
「意地っ張りめ」
手塚は呆れたように言い、さっきと同じところに吸い付いた。
びく、と柴崎の肩が跳ね、おののいた。
「たまには素直に負けてみろよ。楽になるぞ」
男に白旗かざすのもそう悪くないもんだぞ。そう言って執拗に口づけを送り込んだ。
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