【14】へ
「手塚、苦しいわ」
「……」
「手塚ってば」
抱きしめられるのは決して不快ではなかったが、照れが先に立ってそう言うしかできなかった。
なのに、手塚は却って手に力を込め、体重を心持ち前に預けてくる。
その弾みで、絆創膏がはらりと剥がれた。
柴崎は手で押さえてやろうとし、抱きしめられているせいで、腕が自由にならないことに気がついた。
とっさに、唇ではがれかけた絆創膏を押さえた。
頬に頬が当たる。かすかにビールの匂いが鼻先をかすめた。
手塚が気がついたかどうかは分からない。ただ、いっそう彼の重みが増した。
唇を離し、柴崎は、足に力を入れて踏ん張った。
「ちょ、ちょっと。手塚、重いって……」
シャレじゃなく、本当に重い。のしかかってくる上背を押し返そうとした時、柴崎の首筋に触れ合うか触れ合わないかというぎりぎりのところで、手塚の唇が動いた。
「――気持ち悪い」
ぼそっ。
え?
柴崎は顔を上げる。
月を背負って、俯いた手塚の表情は、甘さとはかけ離れたひどいものだった。
暗くて見極めることはできないが、えらく具合が悪そうだ。
げっそりしている。
柴崎は両手で彼の上体を支えるようにし、慌てて尋ねた。
「ちょ、ちょっと、どうしたっての。大丈夫?」
「――大丈夫じゃない。吐く」
「ええっ」
思わず悲鳴を上げる柴崎。髪が逆立つ。
「やめてよ、何の冗談?」
「冗談じゃない。さっきここまで走ってきて酒食らったら、一気に回った」
もうだめだ。
搾り出すように言ってから、手塚は真っ青になってコンビニの中に駆け込んだ。
「て、手塚あ」
呆然として背中を見送る柴崎。一呼吸遅れて、その後を追った。
トイレに篭もって、およそ美しいとは言いがたい唸り声とともに、手塚が何を吐き散らかしたのかは、本人の名誉のためにここでは敢えて描写を避ける……。
ミネラルウォーターで口をすすぎ、縁石に腰を下ろしてようやく人心地ついた。
「酒呑んで吐いたのって、大学以来かも」
口を手の甲で拭いながら、抜け殻になったように呟く。
こころなしか、わずかに頬がこけている。
柴崎は珍しく手塚を見下ろす格好で、
「あんたは大体元から強いほうじゃないんだから、加減しなさいよ」
腰に手を当て説教口調だ。
「よく言うよ。寮で一人で飲んでる最中にお前が無理矢理呼び出したんだろ。それに走ったせいで、回りがよくなっちまったんだよ」
ばつが悪そうに後頭部を掻く。しかも、ビールを買わされ、柴崎にもういっぱい付き合わされた。
さっきの一缶が、とどめだった。
柴崎は鼻の付け根に皺を寄せた。不機嫌さをあからさまに見せる。
「人のせいにするわけ」
「そう言うわけじゃないけどさ……」
「なんだっていいわ。あたしのコートにゲロ吐いてたら、もうただじゃおかなかったからね。これもんよ」
右手を握って目の前にかざす。
華奢な握りこぶしだなあと、手塚はようやく微笑めいたものを浮かべることができた。
ミネラルウォーターのボトルを傾ける。なんだかんだ言っても、この女の優しさは垣間見える。このボトルだって、トイレからようやく出てきたところで、柴崎が買って用意してくれていたのだ。
「ったく、……急に、……だからさあ。びっくりさせておいてさあ」
明後日の方向を見て、足元の縁石にヒールの先を打ち付けている。
ゲロ吐くって、どうなのよ? ん、もう。としきりとぶつぶつ言っている。
「なんだ?」
「なんでもない! もう帰る」
バックのショルダーを肩にかけなおす。
慌てて手塚が腰を上げた。
「ちょっと待ってくれ。――たたっ、」
上げかけたところでよろけた。
半身開いて柴崎が「どうしたの?」と訊く。
「いや。身体が……。脚が筋肉痛っていうか。全身ガタガタなんだ」
腰を押さえる仕草は、とても二十代のものとは思えない。
柴崎は呆れた。
「だらしないわねえ。あんたって、ぜんっぜんだめね! バレーがどうとか球技がどうとかってんじゃなく。男として決定的に致命的にだめ!」
ずさっ。
柴崎の言葉は正確に手塚の胸を射る。
思わず、彼はよろめいた。筋肉痛のせいではなく。
「な、なんだよ、ひでえな」
「ひどいのはあんたでしょ。もうあったま来た! 飲み直す」
彼に背を向けて歩き出す。かつかつという小気味いい音を歩道に刻んで。
「おい、たった今帰るって言ったのはお前だぞ」
「あんたと一緒なんて、願い下げだわ! もォこの際とことん飲んでやる」
「待てって。何怒ってるんだよお前、変だぞ」
「知らない! ついて来ないでよ」
「お前が呼び出したんだろうが」
「なんでもいいから、放っておいてよ、ばか」
犬も食わない痴話げんかを繰り広げながら、月夜を行くふたり。
どちらにとっての残念会なのか。定かではないが、この後、河岸を変えて飲みなおした柴崎にソフトドリンクで手塚が付き合って、帰寮したのは日付が変わってからだった。
次の日はお互い、二日酔いで、最低サイアクの気分で朝を迎えた。
しかしそれはなにもふたりに限ったことではなく。
勝利して祝杯を挙げた玄田チームの面々も、敗れて慰労会をしんみりと各自で行った堂上班のメンバーも、ひどい宿酔いは免れなかった。
冬眠を邪魔されたクマのような剣呑なうめき声とともに、玄田は言ったという。
「~~~ううう。バレーボール大会は、これっきり、一回限りとするぞ!」
そしてばたんと再びベッドに潰れた。
さて、来年は?
fin.
(あとがき)
何を思ったか、いきなり特殊部隊に球技大会をやらせたいと思いまして。
きっと楽しいだろうな、楽しそうだよなと思って、ほとんど後先考えずに書き始めたこの連載ですが、なんとか終わりにたどり着くことができました。
これもひとえに皆様のおかげ……。
のたのたと更新を滞らせているうちに、すっかり春になってしまったお粗末な代物ですが、少しでも愉しんでいただけたら幸いです。
更新頻度、自分としてはこれぐらいが丁度よくて楽チンでした。
行き当たりばったりでラストまできたので、途中不整合が見受けられます。後ほど訂正しておきますので、どうかご容赦ください。
安達は中学時代バレー部でセッターだったもので、球技ものといえばバレーしか書けなかったので、未経験者の方で、試合展開が分かりづらいところがありましたら申し訳ございません。
今はすっかり「見る」専門のバレーですが、久々に図書館のキャラとともにバレーに打ち込めて楽しかったです(笑)
書けるものなら、野球とかの方がよりドラマチックだったかもしれませんね。
どなたか、開拓してくださらないかなあと他力本願なことを呟いてみたり。
ともあれ、お付き合いありがとうございました。
くすっと笑ったり、手柴への愛を少しでも感じてくださったのなら、この上ない悦びです。
では、またの機会がありましたら、お目にかかれることを楽しみにしています。
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私だけじゃないですよね?
長く楽しませていただきました!
ありがとうございました。
お酒の飲めない笠原の通常モードに
全員がげっそり来るんでしょうね。
頑張れ手塚、いいときもあるさ!!
もお、ドロンパだとか上司アタックだとかチョロQだとか、笑いのツボが押されまくりでしたw
白熱する展開の中、それぞれがとても「らしく」、それでいて新しい魅力を発揮してくれてて(熱くなる小牧は超レアものw)、わくわくしっぱなしでしたv
恋人以前という縛りがあるため、手塚は残念な結果に終わりましたが、まあ先のお楽しみですよね>あそこから先
次回作も楽しみにしておりますvv
ここで決められない男だから、別冊Ⅱまで引っ張るはめになるのですよね、、、手塚。
でもそれがいとおしかったり。私は下戸なので、酔って吐くのも二日酔いの経験もないので、このラストのヒトタチが少し羨ましかったりしますよ。
お付き合い有難うございました。
>MIOさん
年がばれてしまうネタばっかり繰り出しましたが、当初はこうなるはずではなく。懐かしネタをふんだんにばら撒いたのは、やはり試合の勢いというか、特殊部隊の熱気のせいだと思います。惜しむらく郁ちゃんの活躍を書けなかったのですが、教官だっこがあったから許してもらえるかなーなんて…
次回作の構想は白紙ですが、よろしかったらまたお立ち寄りくださいませ。
本当に楽しく拝読できました。
最後あまりかっこよくはなかった手塚ですが、こういう情けない姿を見せることが出来るのは、柴崎の前限定ということはきっとふたりだけが知っている秘密なのでしょう。
そのあたりもとてもほほえましい光景でした。
有難うございました。
この連載のラストに限っては、きまらない手塚=へたれ手塚のほうがしっくり来るかな、と思って書きました。せらさんのところの品のいい彼に比べるとお恥ずかしい限りですが、こういう部分があるから私も彼に惹かれるのですワ。(いつも間にか柴崎視点)
こちらこそありがとうございましたv
そしてそして
拍手もコメントも本当に感謝です。
お名前を残してくださった方も、匿名のかたも、みなさまのメッセージ、しかと受け止めさせ次回作への糧といたしますね。