☆3に☆
「お話会のご案内?」
堂上が聞き返した。ハンドルを操りながら小牧が頷く。
「そう。取り敢えず三十枚ほど刷って来た。手提げん中にある茶封筒の中身がそ
れ。青封筒は違うからね。この時間だから厳しいんだけど、個別訪問の口実に出
来るかなと思って、さっき速攻で作って来た。まあ嘘企画なんで、後で辻褄合わ
せにホントに開催しなきゃいけないけどね。責任は俺が取るよ」
「中座していたのはこの為か。…すまん、恩に着る。こんなこと、ちっとも頭が
回らなかった」
「有難うございます、小牧三監」
後部座席から手塚も礼を述べた。
「当事者じゃないからね。多少は余裕があっただけだよ。たださ、普通こんなビ
ラ配り、まして戸別訪問なんてしたことないから実際かなり無理があるんだよね
。恐らくドアは開けて貰えない。インターホン越しの対応で相手の反応を探らな
きゃいけないと思う。まあ、図書館という言葉に過敏に反応したら要注意、てな
程度に考えてて」
「水島不在で子供らに意識があったら、図書館という言葉に反応してくれるだろ
う」
意識があればの話だが。
(晃。今お前はどんな思いでいる…。頼むから無事でいてくれ。必ず俺が助けて
やる)
そっと手塚が瞼を閉じた時、その携帯が反応した。玄田からだ。
「おう俺だ。水島から様子窺いの電話が入った。七時四十八分、今から五分前だ。すぐに切られたんで正確な所在は掴めなかったが、基地局は辛うじて判った。
駅ひとつ離れた緑ヶ丘だ。奴さん、どうやら図書館近辺を回るつもりはないらし
い。それと」
「柴崎のカマかけに反応した。どうやら堂上の娘も晃と一緒だと思って間違いな
いようだ」
再び堂上から郁の携帯に連絡が入ったのは、最初の連絡より五分程後のことだ
った。
「第三スカイハイツはナビに入って無かった。その辺は込み入っていて、よく判
らん。誘導出来るか?」
郁は困った。元来野性児で、場所の論理的な把握などを苦手としている。何と
なくこっちという勘だけで、大概の難局を乗り越えて来ている。理路整然とした
案内など、大の苦手だ。
「ええと、白い大きなマンション見えます? 右手前方? あ、じゃあええと、
そのマンション前の通りに入って下さい。そっからは私が近くに出て案内します。はい、小牧教官のグレーのレクサスですね…」
後ろ髪を引かれながらも、もうちょっとで篤が来てくれるという安堵感に背中
を押され、郁は持ち場を離れた――。
ぐぅぅぅ。
彩の腹が鳴ったとほぼ同時に、晃の腹もきゅるるるるぅと、SOSを鳴らした。
余りにタイミングが合っていた為、こんな状況にも拘わらず二人は目を見合わ
せ塞がれた口で忍び笑いをした。
そして、彩は歌い出した。正確には辛うじてハミングのようなものでしか無か
ったが。
♪んーんんん、んんんん、んんんんん(どーして、お腹が減るのかな)、んんん
んんんーん、んんんんんー(喧嘩をするーと、減るのかなー)♪
晃も歌い出す。
自分を励まそうとしてくれる彩の気持ちに温かく包まれて。
二人の子供は闇の中で、勇ましくハミングした。
♪んーんんん、んんんん、んーんんんんんー(いーいくら、食べても、へーるも
んだあ)♪
いきなりばちっと明りが灯され、彩と晃はビクッとして歌を止めた。
いつの間にか水島が帰って来ていて、部屋の明かりを点けたのだ。
「…騒ぐなって、言ったでしょ。頭の悪い子達ね」
ふんと冷ややかに鼻で笑った。
(うわあ…)
彩と晃の脳裏に、期せずして全く同じ感想が浮かんだ。
(このおばさん、ブスだ)
彼らが感じた印象を、正確な語彙で表すとすればそれは『醜い』であった。
小学校低学年には手に余る概念だ。だから、率直に自分達が知っている一番近
い言葉が浮かんだ。
造作から言えば、その顔は決して醜くは無かった。
しかし、歪んだ心根がその表情に隠しようもなく浮かんでしまっており、イノ
セントな子供達は容赦なく素直に感じたままを評価に繋げた。
(このおばさん、すっごくブスだ。うちのママの方が全然綺麗)
ふいに、二人の子供の胸に明るい勇気の火が点った。
何故だか説明つかないが、こんなブスなおばさんに自分達の親が負ける筈はな
いと、何の根拠もないが非常に原始的な何かが二人の魂を鼓舞したのだ。
水島は、晃達の側にある小さなローテーブルの上にガサリとコンビニの袋を置
くと、崩れるように腰を下ろした。
怖けず真っ直ぐに自分を見つめる二組みの瞳から目を逸らしながら、ぽつりと
呟いた。
「大丈夫よ、ちゃんと帰してあげるから。だからもう少し…」
その時、ピンポーンとドアベルが鳴った。
ビクリと水島は硬直した。
息を詰めて様子を窺っていると、ドアベルが二度三度鳴らされた。続いてどん
どんと扉が叩かれる。
ヤバい。どうしよう。子供達は意識がある。ガラス戸を閉めて応対しても騒が
れる恐れがある。ああ、畜生、薬を嗅がせておけば良かった!
もう後の祭りだ。仕方ない。居留守を使ってやり過ごすしかない。
「あんた達、騒いだら殺すからねッ」
歯の隙間から押し出すような囁き声で水島は二人を脅した。
やがてドアを叩く音は止み、人の気配も遠のいた。
郁が首尾良く堂上達と合流して件のアパートへ戻って来た時、二人の男がアパ
ートの前に立って何やら話していた。
小牧が柔らかな口調で声を掛けた。
「失礼ですが、武蔵野署の方ですか?」
「君達は?」
年配の方がうさん臭そうに問い返す。
ポケットから手帳を出すと手早く自己紹介をした。
「関東図書隊の特殊部隊に所属している者です。警視庁で捜査している誘拐事件
の被害者の当事者と関係者です」
「あんたらがっ…! 何でこんなところをウロチョロしてる。迷惑だっ!」
カッと頭に血が上った郁が噛み付きそうになるのを、堂上が止めた。
ずいと、前に出る。
「邪魔をするつもりは一切ありません。ただ、こちらで掴んでいる情報がお役に
立つのではないかと思いまして」
手塚が補足する。
「私とこちらの夫妻は誘拐された子供達の親です。警察の方にお任せしていれば
良いのは百も承知ですが、我が子の命が掛かってると思うといてもたってもいら
れずに、自分達で何か出来ることが無いかと飛び出して来てしまった次第です。
浅はかな親の短慮とどうかご寛如下さい」
深々と頭を下げる手塚に二人の捜査官は毒気を抜かれてしまった。
こうまで丁寧な口調で下手に出られると、無下にする方の器が問われてしまう。
やがて、若い方の刑事が言った。
「取り敢えずこちらが持っている情報とやらを伺いましょうよ、吉本先輩」
「………。話してみてくれ」
堂上に促され、郁は知り得る限りの話と憶測を刑事達に伝えた――。
郁から話を聞き終えた刑事は、重たい口を開いてくれた。どうやら現場主義の
昔気質らしく、郁の言い分に刑事の勘が引っ掛かったらしい。
「このアパートは、一通り調べた。在宅は4件だが居留守か電気の点けっ放しで
留守なのが一件。聞き込み出来た家は、いずれも反応が薄く、心象としてはシロ
だ」
ハッと、郁達は顔を見合わせた。
「電気が点いてて出て来ない家はどこです?」
「そこだ。一階の左端」
ビンゴッ!
郁のセンサーが大きく振れた。
「おかしいですッ。そこ、ついさっきまで留守で真っ暗でした。私がこの人達を
誘導しにちょっと離れた間に帰宅したんだと思います。それなのに呼び掛けに出
て来ないなんて、絶対おかしい!」
堂上達も郁の意見に頷いた。
堂上が推測を述べた。
「仮に犯人の家だとして、子供達の意識があったんじゃないでしょうか。だから
子供達を大人しくさせておくのに精一杯で応対出来なかった。つまり、犯人は単
独犯である可能性が非常に高いと思われます」
夫の言葉に郁は納得した。
そうか。もう一人いるならば片方が子供を抑えている間に、もう片方が何食わ
ぬ顔をして応対に出られる筈だ。
そうでないから、居留守を使うしか無かったんだ!
「しかし、帰宅してすぐに近所に買い物に出ただけという可能性もある」
郁達の話に内心頷きながらも、年配刑事は慎重な態度を取った。
警察は令状無しには動けない。力技で怪しい家に踏み込むなど、今時刑事ドラ
マでさえお目に掛れぬ絵空事だ。
しかし…。
年配刑事の勘も今や大きく警報を鳴らしていた。このまま様子を窺うだけでは
事態は動かない。何かこちらから出来ることは無いか。
刑事は徐に携帯を取り出した。郁達に背を向けて電話の向こうの誰かに話し始
める。
「ああ、吉本です。駒田さん、まだ職場? 良かった。実は頼みがあるんです。
申し訳ないが、内緒で指紋照合を頼みたい。ホシのヤサらしき家を見つけたんだ
が、決め手が無いんだよ。ああ、前(前科)があるホシだ。すまんが、出張って
もらえんかね」
その時、手塚が肩の辺りまで手を上げ一同に静止を要請した。
玄関横にある小窓を顎でしゃくる。
「今、影が射しました。間違いなく在宅です」
その発言が終わらぬうち、小牧がスッと動いた。車を停めた方角へ何も言わず
に去って行く。
刑事達は頷き合い、ドア横へと移動した。手塚もそれに倣う。郁と堂上は建物
裏へ回った。
そこへ。
ガタンッ。
部屋の中から音が聞こえた。
「何やってんのよッ!」
続いて、女のヒステリックな怒鳴り声。
郁達は、ビリリッと緊張した。
「縛られてたから足が痺れちゃったんだもん! 晃を怒らないで!」
サンドイッチを頬ばっていた彩は、声を限りに晃を庇った。
足の戒めを解かれ、トイレに立った晃が転んでしまった。そんなの晃はちっと
も悪くない!
「煩いっ!」
怒鳴ったことで、水島は積もりに積もったストレスを吐き出す先を見つけた。
続け様に大きな声がその口をついて出る。
「口答えすんな!! ご飯食べさせてやんないからね!」
彩も、怒りが沸点に達した。
「いらないよッ!」
手にしたサンドイッチをテーブルに投げ出す。その行動と彩の爛々と怒りに燃
える瞳が、水島を更にカッとさせた。
ぶんと右手を大きく振り上げ彩の顔をひっぱたこうとした。
どんっと、その背中が押された。
「彩ちゃんをぶつなーーーッ!」
小さな体のどこからそんな声が出るのかという程の大声で、晃は叫んだ。
「…!」
一瞬でも怯んだ自分を立て直すべく、水島は振り上げた手をそのまま晃に向か
って振り下ろした。
晃が吹っ飛び、壁にぶつかった。
その、時。
「彩ッ! 窓から離れろッ!!」
堂上の声がした。
彩が素早く言う通りに動いた。
ガシャーン!!
住宅街に異常な大音響が響く。
「パパー!!」
小牧の車に備え付けてあったハンマーで、窓ガラスを砕いて飛び込んで来たの
は父の篤であった。
続いて。
「ママ!」
郁は、彩が無事なのを認めると堂上に任せ水島に向かって吠えた。
「てめーーーッ! ぶっ殺してやるッ!!」
「ヒッ」
微かに過ぎった過去の一場面が、とにかく水島に逃亡を促した。慌てて玄関の
鍵を開け、飛び出そうとした。
「!!!」
そこに、手塚が立っていた。
鬼の形相で。
「パパ!」
叫ぶ晃に一つ頷くと、手塚は恐怖のあまり棒立ちになった水島にゆっくりと片
手を伸ばした。
「…!」
声も無く怯える水島の喉をぐいっと掴む。握り潰すほどの力を込めて。
「あ…!」
恐怖と苦しさで金縛り状態の水島の体が、ゆっくりと持ち上がった。
片手だけで手塚が吊り上げたのだ。
真っ直ぐに水島の眼を覗き込み、手塚は囁きに近い静かな声で言った。
「次は、殺す」
地獄の底から響くような声だった。
今、この場で殺される。
呼吸出来ない苦痛と手塚の宣言に真実の恐怖を感じた水島は、その場で失禁し
た――。
「晃ーーー!!!」
図書館の駐車場には既に麻子が待機していた。
「ママー!」
「あああぁぁぁ!」
固く抱き合う親子は、声を限りに泣いた。
二人の肩に手を回し手塚が覆うように抱き締める。
その光景を離れて見守っていた堂上は、傍らに立つ妻に向かって言った。
「よく我慢したな。お前、わざと水島を捕まえなかっただろう」
彩をぎゅっと抱えた郁がえへへと笑った。
「あたしは前にぶん殴ってるからね。今度は手塚に譲った」
ぽんとその頭に優しく手が乗せられ、そのまま肩を抱き寄せられた。
☆最終話へ☆
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嫌な思いをさせてしまった分、溜飲を下げていただけたらと切に願っておりますm(__)m
手「たくねこさん、俺もいっそ殺してやりたかったが、子供が見てる目の前だったから自制した。笠原でさえ、俺にアレの確保を譲る理性があったんだ。俺が先にキレたら沽券に関わるというものだろう。まあ、あくまでも晃達が無事だったから言えた話で、二人にもし取り返しのつかない事態が起きていたら、警官の前だろうと笠原並みに抑制が効かなかったと思うが」
郁「…ねえ、あたしをオチに使うのはデフォルトなの?」