眠る前、リビングに立ち寄って飲み物を飲んだり、音楽を流しながら少し話をしたりするのが<ミネルバ>の日常。
今夜もアルフィンはジョウと隣り合わせにソファに座りながら、互いにマグを口に運んでいた。
アルフィンはそっと隣を窺う。
お砂糖は抜きにしてあげたけれど、それでもココアなんて飲みつけないものを手渡されたジョウは、なんだか口にカップを運ぶ手つきがこわごわだ。まるで苦いものを含むみたいなむずかしい顔をしているからつい笑ってしまいそうになる。
……おっきな手。
決して小さくないマグカップが小ぶりに見えるほど、ジョウの右手に視線を惹きつけられる。
静脈がうっすら手の甲に浮き出ているのが、セクシーだと思う。無骨だけど、あったかいのよね、ジョウの手のひらって。
無造作に脚を組んで背もたれに凭れている姿。ラフなスウェットを纏って、髪もタオルドライで簡単に乾かしただけ。リラックスしきっているその足首からのぞくくるぶしが、素足のかかとがびっくりするほど骨太で、どきっとしてしまう。
身体のつくりが、女の自分とは全然違うんだなあと改めて突き付けられてる気がして。
「アルフィンは何を飲んでるんだ」
ジョウがアルフィンの手元を覗き込む。
「ルイボスティーよ。美容にもいいの」
夜なので、ノンカフェインのものを選んだ。初めて聞くお茶の名前らしく、ジョウはふうんと言っただけだった。
……あたしはね。
最近お気に入りのお茶を手に、アルフィンは独り言ちた。
甘い飲み物が苦手な人が世の中にいるってことを、ジョウに会うまで知らなかったし、お風呂上りに面倒くさがってドライヤーを使いたがらない人がいるってことも、知らなかったの。
もっと言うなら、ご飯のおかずといえば、肉一択で、野菜は一応食べるけれども、魚料理はあまり好まなくて。お肉さえたくさん出していれば手のかかったメニューを拵えるよりも喜んでもらえるなんて食卓があるってことも、ここに来てから知った(割とカルチャーショックだった)。
さらに言えば、隣にいてくれるだけで、こんなに安心する人がいるってことも、知らなかった。頭一つ分あたしより高い身長と、筋肉質で厚みのある身体。多少のことにはびくともしないという精神の強さがそのまま体現されている、たたずまいに説得力がある人がいるってことを、彼を通して知ったの。
ジョウの背中を見ているだけで、ほっとすることも。
ふとした瞬間に、身体が触れあうと、その部分が火を持ったように化学反応で熱くなるということも、ーー抱きしめられると毛布に包み込まれるようにあったかくて、そのくせ胸が痛いくらいに締め付けられるってことも、彼に会うまで知らなかった。
自分に向けられる好きな人の瞳が、こんなにきれいに見えるだなんて。
夜の空を凝縮したような、星の光を灯したような真っ黒な二つの目が向けられると、もういてもたってもいられないくらい心がときめくってことも、あたしはジョウと会うまで全然知らなかったの。
アルフィン、と呼ばれるたびに嬉しいってことも。彼の口に、自分の名前が載って、声にしてくれるってことだけで、それだけでただ無性に嬉しいってことを初めて知った。
色んな初めてをあたしにくれるね、ジョウは。
そんなことつらつら考えていると、つい口元が緩んでしまったみたいで、
「何を笑ってるんだ?」
と訊かれた。
「んー。なんでもない」
ごまかしてソファの上に膝を持ち上げ、腕で抱えるようにする。素足をちょこんとそろえて膝がしらに頬を当てた。
「……ちっさい足」
ジョウが横目でぼそっと呟く。
「そうお? 普通よ、成人女性のサイズとしては」
「俺の半分しかない」
「それは言い過ぎじゃない?」
「そうでもないぜ」
ジョウもソファの座面に脚を上げて、アルフィンの左足に自分の右足を添えるようにした。いかつい男の足がいきなりぴとっとくっつけられたので、アルフィンは内心ドキッとする。
確かにジョウの素足は大きい。肌の色も浅黒く、それに比べると自分の裸足は漂白したみたいに真っ白に頼りなげに映った。
そこでジョウはうかつにアルフィンに触れたことに気づいたのか、あ、という顔をした。でも今となって身体を離すのもわざとらしいと思ったのか、固まって黙り込んでしまう。
アルフィンは「半分は大げさね。三分の二ってとこかな」と言いながら、そっと左側に体重を預けていった。こつん、とジョウの肩に頭を凭せ掛ける。
がっしりした骨の感蝕と、それを覆う筋肉の質感が心地よい。
身体はんぶんをジョウに預けたまま、アルフィンが
「ジョウ、なんか眠くなっちゃった」
と小声で囁く。
「うん、そろそろ寝もうか」
どこかしらほっとした様子でジョウが言う。そのままマグをローテーブルに置き、立ち上がろうとしたので、
「眠くて立ち上がれないよう。抱っこ」
上目でわざとらしく甘えてみた。両手を突き出して。
ええ……。ジョウはわかりやすく動揺した。
やっぱりどさくさ紛れにおねだりするのはだめか。アルフィンはペロッと舌を出して「うそうそ。おやすみ」とソファから腰を上げた。
すると、急にふわっと身体が持ち上がり、自分がジョウに抱きかかえられたことを知る。
え?
ジョウはアルフィンを子ども抱きーーお姫様抱っこではなくて、小さい子を親が対面でがっしりホールドする抱え方をして、ソファから立ち上がった。
そのまますたすたと自動ドアへと向かう。
え? え? アルフィンは混乱しつつ、
「ジョウ、なんかこれって、抱っこの種類、違わない?」
なんか、全然ロマンティックじゃないんだけど、と抗議。
「どっちかっていうとこれ、プロレスの技みたいじゃない? なんで」
ジョウは笑いながら「おっもいなあ。太ったんじゃないか、アルフィン」と抗議を無視してドアをくぐる。
私室へと続く通路を苦もなく歩いて行った。
ジョウのばかっ。ニブちん! 朴念仁!
さりげなく、ロマンティックに、夜のことを教えてもらおうと思ったのに。
あたしのまだ知らない男の人のこと、身体のこと、ベッドでの振る舞い、声や仕草、色んなこと、初めてのことをジョウに教えてほしかったのに。
はぐらかした。はぐらかされた。
ジョウはアルフィンを子ども抱きしたまま進んでいく。
真正面から彼にがっしり抱きつく格好なので、顔は見えない。けれども密着感は半端ない。
……まあ、いいか。
あたしがあなたに教えてほしいことの数々は、もう少し先延ばし、もうちょっと先のお楽しみってことでね。
アルフィンは少しがっかりしたような、それでいて幸福そうな微笑みを浮かべ、「……待ってるね」とだけ彼の耳たぶに置いた。
ジョウは「ーーん」と顎を引いて、アルフィンを彼女の部屋にしっかりと送り届けた。
ココアとルイボスティーの飲み残しの入った二つのマグが、もどかしい二人のやりとりを最後まで見守っていた。
END
ひとつ前のお話のアンサーノベルになります。
初恋の人と結ばれるって素敵ね、と思いながら読みました。
楽しみにしています
分岐点、なぜか後編とは知らずに先に読んでしまっても、お気に入りです❤️
男連中の希望は肉一択でしょう🍖と自信を持って書きました。笑笑 同意頂ければ幸いです。