【7】へ
手塚は貪る。柴崎の肌を。
そう、それはまさに貪ると形容するにふさわしい行為だった。
ああ……、もうだめ。
あたし、溶けちゃいそう。
暖房で暖められた部屋の窓に雪が当たるなり消えてしまうように、あたしももう芯を無くしてしまいそう。
柴崎は手塚の腕の中くたりとなった。その身を支えて彼はいっそう吸い上げる。
「柴崎、こっち向いて」
今の彼ならかんたんにそうさせることなどできるのに、わざわざ口に出して言う。その意地悪さが、今夜はとても憎らしく思う。
「……」
目線で掬い上げるように後ろを見ると、手塚が柴崎の目の高さまで屈む。
彼女の頬を両手で包み込むようにして、手塚は額に額をくっつけた。
しばらくそのままの姿勢でいる。呼吸を整えるみたいに。
近すぎて、顔がよく見えない。
というか、直視なんかできないわ……。
柴崎は伏し目がちになって手塚の胸筋や腹筋のラインを見つめる。さっき自分がつけた首の噛み痕も目に入る。
もう傷口は乾いて、鎖骨の辺りに血がこびりつくだけになっていたけれど。それでも痛そうでまともに見られなかった。
ごめんとまた口に仕掛けて先に言われる。
「ごめんな、俺もう……これ以上抑える自信、ない」
そう低声で呟いて、苦しそうに口を噛んだ。
その表情を見ていたら、自然と動いた。
顔をずらし、自分の頬に触れる手塚の手のひらに唇を押し当てる。
そして柴崎は彼の親指を含んだ。口に。
会場でかぶりついたときとも、さっきまで手塚が吸い付いていたときとも全く違う口使いで、柴崎が彼を取り込んだ。
歯と歯のあいだに軽く挟む。手塚は指先に柴崎の温かい舌のうねりを感じた。
そうされた手塚は自分の腰の辺りに何か熱いものがよどむのを感じた。森に霞が立ち込めるように淡く、しかし何もかもすっぽりと覆い隠すように確かにそれは彼を押し包む。
裾を引いてたなびき、彼を別の場所へといざなう。
手塚は彼女の頬を自分の顔へと引き寄せる。柴崎は目を閉じおとがいを少し持ち上げた。
二つの黒い影のシルエットが、今、ひとつに重なり合おうとしていた。
と、そのとき。
コンコンと控えめなノックの音がドアの外で聞こえた。
「!」
瞬時に手塚と柴崎が身を離す。ばっとマントが翻るほど手塚は飛び退った。柴崎は「は、はいっ」と上ずった声で反射で返事。無意識に手塚に吸われたところを手で押さえる。
「柴崎いるか、俺だ、堂上だ」
「! ど、堂上教官?」
柴崎と手塚が目を見交わす。やばい、と互いの顔にはっきりと書いてあるのが見える。
やばい。なんでここに堂上教官が来るの?
まずい、まずいぞ。もしも俺たちが一緒にいるところを見られたりしたら。
部屋の明かりを点けているので、居留守もできない。第一声を上げてしまった。
どうしようと二人は困惑顔をつき合わすしかない。
いくらイブの夜だからって、女子寮に堂上がやってくること自体異常だ。なにか、突発的にことが起こったとしか考えられない。
ままよと、柴崎が手塚を突き飛ばした。自分のベッドへ。
うわっ。
よろめいて、手塚はカーテンの中に倒れこむ。辛うじて悲鳴は飲み込んだ。柴崎は乱れたカーテンをシャッと左右あわせて彼をそこに隠した。
そして自身は戸口へ行って、「はい、柴崎です。……どうしました?」と尋ねた。ドア越しに。
「すまん。下でたぶんここだと聞いて。今、平気か?」
全然平気じゃないんですけど。内心の動揺を押し隠し、返答。
「はーい、大丈夫ですけど、珍しいですね。教官がこっちまで来るなんて」
何かありました? そこだけ、語尾が震える。柴崎のベッドの上で聞いていた手塚だけがそれを感じ取る。
そういう自分だって心臓ばくばくだ。万一堂上に見つかったりしたら……。うあああ。考えるだに、恐ろしい。
「いや、その、笠原なんだが」
堂上の言いよどむ声。
「あの子がどうか?」
緊張を孕む柴崎の声。
そしてガチャリとドアを開ける音を手塚はカーテンの中で聞く。
そういえば、郁が熱を出したと聞いていた。堂上教官が付き添ったと。
その件なのだろうか。耳を澄ます。
柴崎は堂上の視野に自分のベッドが入らないように、細心の注意を払ってドアを開けた。もちろん身体でも遮るような位置に立つ。
ドアの向こうに現れた堂上は、白衣に身を包んだままだった。幾分憔悴した様子で悪いなと目で詫びた。
実はな、と前置きして切り出す。
「笠原なんだが、いま俺のところにいて。……すまんが柴崎、来て手を貸してくれないか」
「え? 私がですか。――あ、いえ。お手伝いするのはやぶさかではないんですが、」
とそこでいったん言葉を切って、背後の手塚に聞こえるようにはっきりと言う。事情説明義務。
「折角笠原お持ち帰りしたんなら、最後まで戴いちゃっていいんですよ? あの子だって立派な成人なんですから」
「だから、そういうんじゃなくてだな」
堂上は困り果てたように唸った。
「熱があるんだ。病人を戴くわけにもいかんだろうが」
「熱がなければ戴いちゃってたって解釈してよろしいんでしょうか、今のご発言」
「……」
絶句する堂上。
柴崎のベッドで聞き耳を立てていた手塚がうっかり吹き出しそうになるのを堪える。
堂上教官、語るに落ちてる。
いや、語らせてるのは柴崎なんだが……。怖い女だ、全く。
「と、とにかく、来てくれ。頼む。女手が要るんだ」
苦りきって頭を掻く。
「女手?」
「ああ。できればあいつの着替えも頼めるか。パジャマとか」
「わかりました」
さすがにあまり苛めてもと思ったか、柴崎が踵を返して笠原のクローゼットに向かう。ナースの制服を脱がせるようなことをやらかしたのか、それともやろうとして未遂に終わったのか。
さしもの柴崎もそこを突っ込むのは憚られた。クローゼットを開け、中から適当に着替えを見繕う。そしてまた戸口に戻って、
「笠原は大丈夫なんですか」
「たぶんな。熱は下がってると思うんだが」
会話しながら部屋の外に出、柴崎は堂上に従った。ぱたんと声を遮るドアの開閉の音が手塚の耳に残った。
手塚は次第に遠ざかる堂上と柴崎の足音を聞いた。二人の声を拾えないかと集中していたが、くぐもって何も聞き取れなかった。おそらく堂上が女子寮に来ているので、辺りを気にしたに違いなかった。
部屋に無音の世界が戻ってくる。手塚ははあとため息をついて、ベッドの上に胡坐をかいた。
……水をさされちまったな。
内心、一人ごちる。マントから剥き身の腕を出してこめかみを掻いた。
まさかここで、このタイミングで堂上教官がこようとは夢にも思わなかった。度肝を抜かれた。未だに心臓が不整脈を刻んでいる。
いい雰囲気だったんだけどな。
あのままいけば、きっと俺は柴崎と……。
とそこまで妄想して赤くなる。さきほど、彼女に囁いた甘い言葉が脳裏にプレイバックしてきて、いやな汗を掻かせた。
取らぬ狸の皮算用、だなそれは。いや、ことわざっぽく言うなら、逃がした魚は大きい、か。
あーあ。と仰向けに大の字で寝転がる。やけっぱちな気分だった。と、そこでそういやここは柴崎の部屋のベッドなんだよなと思い出し。
そろそろと、枕に顔を押し当てた。
手塚はこの二人部屋のどちらのベッドが柴崎のもので、どちらが郁のかを知る由もない。柴崎に突き飛ばされこっちに隠された。
でも、枕の残り香で彼は知る。
……あいつの匂いがする。
目を閉じ、息を吸った。確かに香る。柴崎のシャンプーの匂い。かすかに、でもさっき俺がかいだものと同じ香りが漂う。
柴崎。
彼女を腕に抱いていたときより、その肌に唇を押し当てていたときよりも、切ない想いが手塚を焦がした。傍に柴崎の体温がない、部屋にいないという事実が彼を打ちのめす。
身体が火照って仕方がない。
くそ……。手塚は歯噛みした。
恨みますよ、堂上教官。いや、諸悪の根源は、笠原にあるのか? あいつが熱なんか出さなければ今頃は。
いや違うんだ。俺をこんなにさせるのは、やっぱりあの女だ。性悪の、世にも美しい吸血鬼のせい。
麗しい微笑が手塚のまぶたの裏に焼きついて離れない。
その吸血鬼の置き土産のマントを纏い、手塚はしばし柴崎のベッドの上くっそおと悶絶した。
【9】
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手塚は貪る。柴崎の肌を。
そう、それはまさに貪ると形容するにふさわしい行為だった。
ああ……、もうだめ。
あたし、溶けちゃいそう。
暖房で暖められた部屋の窓に雪が当たるなり消えてしまうように、あたしももう芯を無くしてしまいそう。
柴崎は手塚の腕の中くたりとなった。その身を支えて彼はいっそう吸い上げる。
「柴崎、こっち向いて」
今の彼ならかんたんにそうさせることなどできるのに、わざわざ口に出して言う。その意地悪さが、今夜はとても憎らしく思う。
「……」
目線で掬い上げるように後ろを見ると、手塚が柴崎の目の高さまで屈む。
彼女の頬を両手で包み込むようにして、手塚は額に額をくっつけた。
しばらくそのままの姿勢でいる。呼吸を整えるみたいに。
近すぎて、顔がよく見えない。
というか、直視なんかできないわ……。
柴崎は伏し目がちになって手塚の胸筋や腹筋のラインを見つめる。さっき自分がつけた首の噛み痕も目に入る。
もう傷口は乾いて、鎖骨の辺りに血がこびりつくだけになっていたけれど。それでも痛そうでまともに見られなかった。
ごめんとまた口に仕掛けて先に言われる。
「ごめんな、俺もう……これ以上抑える自信、ない」
そう低声で呟いて、苦しそうに口を噛んだ。
その表情を見ていたら、自然と動いた。
顔をずらし、自分の頬に触れる手塚の手のひらに唇を押し当てる。
そして柴崎は彼の親指を含んだ。口に。
会場でかぶりついたときとも、さっきまで手塚が吸い付いていたときとも全く違う口使いで、柴崎が彼を取り込んだ。
歯と歯のあいだに軽く挟む。手塚は指先に柴崎の温かい舌のうねりを感じた。
そうされた手塚は自分の腰の辺りに何か熱いものがよどむのを感じた。森に霞が立ち込めるように淡く、しかし何もかもすっぽりと覆い隠すように確かにそれは彼を押し包む。
裾を引いてたなびき、彼を別の場所へといざなう。
手塚は彼女の頬を自分の顔へと引き寄せる。柴崎は目を閉じおとがいを少し持ち上げた。
二つの黒い影のシルエットが、今、ひとつに重なり合おうとしていた。
と、そのとき。
コンコンと控えめなノックの音がドアの外で聞こえた。
「!」
瞬時に手塚と柴崎が身を離す。ばっとマントが翻るほど手塚は飛び退った。柴崎は「は、はいっ」と上ずった声で反射で返事。無意識に手塚に吸われたところを手で押さえる。
「柴崎いるか、俺だ、堂上だ」
「! ど、堂上教官?」
柴崎と手塚が目を見交わす。やばい、と互いの顔にはっきりと書いてあるのが見える。
やばい。なんでここに堂上教官が来るの?
まずい、まずいぞ。もしも俺たちが一緒にいるところを見られたりしたら。
部屋の明かりを点けているので、居留守もできない。第一声を上げてしまった。
どうしようと二人は困惑顔をつき合わすしかない。
いくらイブの夜だからって、女子寮に堂上がやってくること自体異常だ。なにか、突発的にことが起こったとしか考えられない。
ままよと、柴崎が手塚を突き飛ばした。自分のベッドへ。
うわっ。
よろめいて、手塚はカーテンの中に倒れこむ。辛うじて悲鳴は飲み込んだ。柴崎は乱れたカーテンをシャッと左右あわせて彼をそこに隠した。
そして自身は戸口へ行って、「はい、柴崎です。……どうしました?」と尋ねた。ドア越しに。
「すまん。下でたぶんここだと聞いて。今、平気か?」
全然平気じゃないんですけど。内心の動揺を押し隠し、返答。
「はーい、大丈夫ですけど、珍しいですね。教官がこっちまで来るなんて」
何かありました? そこだけ、語尾が震える。柴崎のベッドの上で聞いていた手塚だけがそれを感じ取る。
そういう自分だって心臓ばくばくだ。万一堂上に見つかったりしたら……。うあああ。考えるだに、恐ろしい。
「いや、その、笠原なんだが」
堂上の言いよどむ声。
「あの子がどうか?」
緊張を孕む柴崎の声。
そしてガチャリとドアを開ける音を手塚はカーテンの中で聞く。
そういえば、郁が熱を出したと聞いていた。堂上教官が付き添ったと。
その件なのだろうか。耳を澄ます。
柴崎は堂上の視野に自分のベッドが入らないように、細心の注意を払ってドアを開けた。もちろん身体でも遮るような位置に立つ。
ドアの向こうに現れた堂上は、白衣に身を包んだままだった。幾分憔悴した様子で悪いなと目で詫びた。
実はな、と前置きして切り出す。
「笠原なんだが、いま俺のところにいて。……すまんが柴崎、来て手を貸してくれないか」
「え? 私がですか。――あ、いえ。お手伝いするのはやぶさかではないんですが、」
とそこでいったん言葉を切って、背後の手塚に聞こえるようにはっきりと言う。事情説明義務。
「折角笠原お持ち帰りしたんなら、最後まで戴いちゃっていいんですよ? あの子だって立派な成人なんですから」
「だから、そういうんじゃなくてだな」
堂上は困り果てたように唸った。
「熱があるんだ。病人を戴くわけにもいかんだろうが」
「熱がなければ戴いちゃってたって解釈してよろしいんでしょうか、今のご発言」
「……」
絶句する堂上。
柴崎のベッドで聞き耳を立てていた手塚がうっかり吹き出しそうになるのを堪える。
堂上教官、語るに落ちてる。
いや、語らせてるのは柴崎なんだが……。怖い女だ、全く。
「と、とにかく、来てくれ。頼む。女手が要るんだ」
苦りきって頭を掻く。
「女手?」
「ああ。できればあいつの着替えも頼めるか。パジャマとか」
「わかりました」
さすがにあまり苛めてもと思ったか、柴崎が踵を返して笠原のクローゼットに向かう。ナースの制服を脱がせるようなことをやらかしたのか、それともやろうとして未遂に終わったのか。
さしもの柴崎もそこを突っ込むのは憚られた。クローゼットを開け、中から適当に着替えを見繕う。そしてまた戸口に戻って、
「笠原は大丈夫なんですか」
「たぶんな。熱は下がってると思うんだが」
会話しながら部屋の外に出、柴崎は堂上に従った。ぱたんと声を遮るドアの開閉の音が手塚の耳に残った。
手塚は次第に遠ざかる堂上と柴崎の足音を聞いた。二人の声を拾えないかと集中していたが、くぐもって何も聞き取れなかった。おそらく堂上が女子寮に来ているので、辺りを気にしたに違いなかった。
部屋に無音の世界が戻ってくる。手塚ははあとため息をついて、ベッドの上に胡坐をかいた。
……水をさされちまったな。
内心、一人ごちる。マントから剥き身の腕を出してこめかみを掻いた。
まさかここで、このタイミングで堂上教官がこようとは夢にも思わなかった。度肝を抜かれた。未だに心臓が不整脈を刻んでいる。
いい雰囲気だったんだけどな。
あのままいけば、きっと俺は柴崎と……。
とそこまで妄想して赤くなる。さきほど、彼女に囁いた甘い言葉が脳裏にプレイバックしてきて、いやな汗を掻かせた。
取らぬ狸の皮算用、だなそれは。いや、ことわざっぽく言うなら、逃がした魚は大きい、か。
あーあ。と仰向けに大の字で寝転がる。やけっぱちな気分だった。と、そこでそういやここは柴崎の部屋のベッドなんだよなと思い出し。
そろそろと、枕に顔を押し当てた。
手塚はこの二人部屋のどちらのベッドが柴崎のもので、どちらが郁のかを知る由もない。柴崎に突き飛ばされこっちに隠された。
でも、枕の残り香で彼は知る。
……あいつの匂いがする。
目を閉じ、息を吸った。確かに香る。柴崎のシャンプーの匂い。かすかに、でもさっき俺がかいだものと同じ香りが漂う。
柴崎。
彼女を腕に抱いていたときより、その肌に唇を押し当てていたときよりも、切ない想いが手塚を焦がした。傍に柴崎の体温がない、部屋にいないという事実が彼を打ちのめす。
身体が火照って仕方がない。
くそ……。手塚は歯噛みした。
恨みますよ、堂上教官。いや、諸悪の根源は、笠原にあるのか? あいつが熱なんか出さなければ今頃は。
いや違うんだ。俺をこんなにさせるのは、やっぱりあの女だ。性悪の、世にも美しい吸血鬼のせい。
麗しい微笑が手塚のまぶたの裏に焼きついて離れない。
その吸血鬼の置き土産のマントを纏い、手塚はしばし柴崎のベッドの上くっそおと悶絶した。
【9】
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まさかの堂上(笑)
手塚でなくとも悶々中です(笑)
でも・・・らしいといえば一番らしいですね(笑)
今後の展開も楽しみです★
裏ももちろん涎ものですが、寸止め手塚君の姿があまりにもシックリして(*^。^*)
こちらこそ、これからも楽しみにしています☆
でもじれじれの手塚を描くのが大好きですv